日本同盟キリスト教団|長野聖書教会

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2015年7月12日 主日礼拝「死にあずかるバプテスマ」

    

本日の聖書箇所

ローマ人への手紙6章1~13節

説教題

「死にあずかるバプテスマ」

今週の聖句

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」

(ローマ人への手紙6章23節)

 

2015年2月15日、午後5時。

ある青年が教会を訪ねてきました。

次週の日曜日から、午前の日曜礼拝に続けて出席されてきました。

それから今日まで、洗礼の準備をし本日に備えてきました。

本朝、その青年「T兄」は洗礼式を迎えました。

感謝です。

 

説教メモ

「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」ローマ5章20節

ここから6章へと続きます。

そして、

「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」

①知っている(5・6節)

キリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちはもはやこれからは罪の奴隷ではなくなるためであることを、私たちは知っています

イエスが私の罪の身代わりとなり、十字架につけられた。その事実を知りなさい。

②思いなさい(11節)

あなたがたも、自分は罪に対しては死んだものであり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きたものだと思いなさい

キリストはただ一度、罪に対して死なれた。キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。

今までは罪のために生贄(血)がささげられた。しかし今は、イエス様が「ただ一度」罪のための生贄(血)をささげられた。

キリスト者になったからといって、すべてがバラ色になるわけではありません。

しかし、イエス様の十字架の身代わりによって、罪に対しては死んだ者、神に対しては生きたものだと思い、罪の誘惑やいろいろなことに勝利していきましょう。

③捧げなさい(13節)

あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。

 

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(マタイ11章28-30節)

私たちはクリスチャンになってからも重荷があります。疲れます。

そんな私たちにイエス様はこのように語りかけます。

このように語れ、約束されるのは、イエス様のほかにいません。

 

「私が、神に呼ばわると、主は私を救ってくださる。夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる。」(詩篇55篇16-17節)

「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」(ローマ8章26節)

私たちが疲れ、傷ついているとき、また、うまく祈れない時でも、神さまは私たちの祈りを助けとりなしてくださいます。

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。」(詩篇55篇22節)

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(Ⅰペテロ5章7節)

ひとつ、ふたつではなく、いっさいの思い煩いを神にゆだねなさいと聖書は言います。

御霊は私たちの助け主です。

御霊の助けにすがり、クリスチャンとして歩んでいきましょう。

罪は小さなうちに摘みましょう。小さなうちから神さまに委ねましょう。

そのように、聖霊に導かれていくならば、私たちは罪を犯すことなく歩んでいけるでしょう。

 

特別なお知らせ

  • 本日、T兄の洗礼式が祝福のうちに執り行われました。おめでとうございます!2015-07-12 12.59.11
  • シャワー設置、墓石修復のための指定献金をお願いしています。
  • へランド先生が8月2日の英語礼拝でメッセージをされます。
  • 北村牧師は20日から10日間休暇をとります。