日本同盟キリスト教団|長野聖書教会

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2015年12月27日 主日礼拝「全ての人々に救いを」

    

本日の聖書箇所

ルカの福音書2章22〜38節

説教題

「全ての人々に救いを」

今週の聖句

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。」

ヨハネの福音書3章16節

 

訳してみましょう。

1757 Our God is God of second chances.
(私たちの神は、第二のチャンス<もう一度>の神です。)

1758 Our unknown future is secure in His hands of our all-knowing God.
(私たちが知らない未来は、全能の神の手中にあって安全です。)

 

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説教メモ

ふたりの人物が登場します。
一人は「シメオン」という老人、そしてもう一人が「アンナ」という老婆です。
なぜかルカはこの二人のことを記しています。
この場面は他の福音書には書かれていません。
ルカが記述したことを通してシメオンとアンナのことが、時代と場所を越えて証しされています。

この世に生まれた幼子は、「イエス」と名づけられました。
「イエス」とは、「ヨシュア」という名のギリシャ語風の発音です。
そして「ヨシュア」とは「主は救い」というような意味で、モーセの後継者ヨシュアをはじめ、当時のイスラエルではそれほど珍しい名前ではなかったようです。
けれども、この名が特別に救い主のお名前となりました。

ヨセフとマリヤは、旧約聖書の律法に従って、長子として生まれたイエス様を献げるためにエルサレム神殿に行きました。
救い主が救い主であるためには、神の律法に完全に従わなければならなかったのです。
主は後に「律法を全うするために生まれた」とおっしゃっています。

「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」(マタイ5:17)

ですからヨセフとマリヤは、律法に従って幼子を献げました。

そこに居合わせたのが「シメオン」と「アンナ」でした。
シメオンは「主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けて」いました。
そこに、両親に抱かれた幼子イエスが彼の前に現れました。

「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」(マタイ2:29-32)

と、とても喜び、神さまをほめたたえました。
さらに預言めいたことを言いました。

「また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。『ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現われるためです。』」(マタイ2:34-35)

イエス様がどのような地上の生涯を送られるかということを、彼は預言したのでした。
マリヤに対しては「剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現われるためです。」と、彼女が後に味わう思いを預言しました。
やがてマリヤは、預言通り、成人したイエス様が十字架に架かる道を全て見ていました。

続いて、非常に年をとっており、宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた「アンナ」という女預言者が登場します。

「ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。」(マタイ2:38)

このように、他の福音書には記述されていないシメオンとアンナの記事がここに描かれています。

何よりも大切なことは、ヨセフとマリヤが「律法(おきて)に従ってそのことをした」というところです。
イエス様の誕生までの不思議なストーリーを実体験した二人にとっては、イエス様は特別な幼子(おさなご)であることは十分に分かっていました。
しかしなお、律法が言われるとおりをヨセフとマリヤは行いました。
そこにシメオンとアンナという証人がいたのです。

 

●すべての人に救いを

「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(Ⅱペテロ3:9)

神さまのみこころは、「すべての人が救われる」ことです。
なぜなら、私たちはみな、神さまの似姿(にすがた)に創造されているからです。
神さまとしては、ご自身の似姿に創造された人間には、ひとりも滅んでほしくないのです。救われて欲しいと願っておられるのです。
現実的に、すべての人が救われているわけではありません。
しかし、神さまはそのことを望んでおられます。
すべての人が悔い改め、信仰を持つことを願っておられるのです。
私たちは、そのみこころを知っている者として、また証言者として、証しをしていかなければなりません。

 

今年のクリスマス、私は神さまから「マタイの福音書の系図」が示されました。
その系図の中には、信仰の父と呼ばれる「アブラハム」をはじめ、「ダビデ」「ソロモン」などといったとても栄えた人物が登場しています。
しかし同じ系図の中に、いわゆる「血統書」がつかない、さらに多くの失敗をおかした「罪人」が含まれているのです。
また、通常は登場しない「女性」が登場しています。
しかも登場する4人の女性は、すべて曰く因縁付きの女性でした。
タマルは、義理の父を騙して姦淫の罪を犯し息子を得ました。
ラハブは遊女でした。
ルツは素晴らしい女性でしたが、ユダヤ人ではなくモアブ人で異邦人でした。
バテシェバはダビデの部下ウリヤの妻で、ダビデの不倫相手でした。
神さまの御霊がマタイを導き、この系図を書かせました。

イヴ礼拝では、「賀川豊彦」のお話をしました。
彼は芸者の子どもでした。
妾(めかけ)の子だということで、異母兄弟からいぶかられ、いじめられていました。
そんな、恐らく当人にしか分からない苦しみの中で「私ほどみじめな人間はいない」と何度も自殺を図った彼は、イエス・キリストに出会いました。
それから彼は変わりました。
私よりももっと不幸な人間がいるに違いないと考え、スラム街のようなところに飛び込み、多くの人々に生涯福音を伝え続けました。
後に「組合運動」を始めました。
さらに、自伝小説「死線を越えて」がベストセラーとなり、ノーベル文学賞の候補となりました。
その2〜3年後には、ノーベル平和賞の候補者ともなりました。
このように、大いに用いられたのです。

私は思うのです。
私たちの系図、家系がどのようなものであれ、心配することはありません。
イエス様の系図を見るだけでも、先述のような罪人や異邦人が登場しているのです。
しかも、イエス様がお生まれになった時、ヨセフは何をしていたでしょうか。
ヨセフはダビデの子孫、王族の家系でありながら、落ちぶれて大工となっていました。
日雇いの職人です。
ですから、私たちの系図、家系には何も心配することがないのです。

また、聖書の中では、4人の女性だけでなく信仰の父と呼ばれたアブラハムでさえも数々の失敗をしています。
ヤコブは父と兄を騙し、兄に与えられるはずであった祝福を横取りしました。
モーセは、荒野において、神さまのご命令を自らの経験や記憶から勝手に取り違え失敗してしまいました。
このような主立った信仰の先駆者たちも失敗を犯しているのです。

私たちがどのような出身で、どのような歩みをしてきたとしても、神さまのみこころを知る者として証しし、しっかりと人生を歩んでいくことができるのです。

 

皆さんのこの2015年の歩みはどうだったでしょうか。
色々なことがあったでしょう。
思わず失敗をしてしまった、ということもあったのではないでしょうか。
こんなはずではなかったと、深く反省しておられる方もいるかもしれません。
そんな方は今日の訳してみましょうにある

Our God is God of second chances.

もう一度やり直しすることをお許しになる神さまをおぼえましょう。
私たちが神さまの前にへりくだって進み出るとき、神さまはそのように導いてくださいます。

今年できなかったこと、今年の反省を来年に活かしたい。
そのような願いが皆さんの中にあることかと思います。
未来のことは私たちには分かりません。
明日のことさえ分からないのです。
ですから、明日のこと、未来のことすべてをご存知であられる「全能の神さま」に相談し、すべてを託しましょう。
神さまの導きを祈り求めましょう。

私たちはあまりにも忙しい日常を過ごしています。
洗濯機や炊飯器、掃除機もなにもなかった時代の人たちに比べて、時間に余裕があるはずの私たちは何故かとても忙しくしています。
しかし、忙しい時こそ、私たちは神さまの前に静まらなければいけません。
祈らなければいけないのです。
メソジスト教会を始めたジョン・ウエスレーは「私は本当に忙しいので、日に6時間は祈らなければならなかった。」と言っています。
私たちは忙しければ忙しいほど、静まって祈るべきです。
私たちはいつでも、どこでも祈ることができます。
それが運転中であっても、料理をしている合間でも、祈ることができます。
忙しい時にこそ、神さまに祈り、神さまの導きを求めましょう。
きっとそんな毎日には祝福があると思います。
そんな祝福に満ちた新年を迎えて欲しいと思います。

 

特別なお知らせ

  • 24日のイブ礼拝には、39名の方々が来られました。献金は26,163円でした。全額を飢餓対策に献金します。
  • 2016年1月1日の元旦礼拝は、午前11時からです。