2015年8月16日 主日礼拝「義人の悩み」

本日の聖書箇所

ヨブ1章

説教

「義人の悩み」

今週の聖句

「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」

ヨブ1章21節
 

訳してみましょう

1719 When your world is shaking, tun to the Rock.
(あなたの世界が揺らぐ時、岩(イエス)に向かって走りなさい。)
1720 To detect what is false, study the Truth.
(間違いを見つけるために、真実を学びなさい)
 

説教メモ

8月15日は終戦記念日でした。
平和のために皆で静かに祈りましょう。
先週お配りした、日本同盟キリスト教団が発行した「平和のための祈り」をご一緒に祈りましょう(8月9日主日礼拝のページを参照してください)。
 

ヨブについて

img_0今日はなぜ義人が悩まなければならないのか、ヨブ記を通して学びたいと思います。

「まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。彼らの死には、苦痛がなく、彼らのからだは、あぶらぎっているからだ。人々が苦労するとき、彼らはそうではなく、ほかの人のようには打たれない。それゆえ、高慢が彼らの首飾りとなり、暴虐の着物が彼らをおおっている。彼らの目は脂肪でふくらみ、心の思いはあふれ出る。彼らはあざけり、悪意をもって語り、高い所からしいたげを告げる。彼らはその口を天にすえ、その舌は地を行き巡る。それゆえ、その民は、ここに帰り、豊かな水は、彼らによって飲み干された。こうして彼らは言う。「どうして神が知ろうか。いと高き方に知識があろうか。見よ。悪者とは、このようなものだ。彼らはいつまでも安らかで、富を増している。」(詩篇73篇1~12節)

一言で言いますと、なぜ悪者が栄えるのか?という疑問です。
それは、サタンが支配するこの世だからです。
ヨブ記1節にあるとおり、ヨブという義人がいました。
ヨブは神さまの前に正しい人でした。
学者の中にはヨブは架空の人物だという人がいますが、聖書をみますと実在の人物だったことが分かります。
ヨブには息子、娘をはじめ、多くのしもべや家畜を所有し、東の人々の中で一番の富豪でした。
ヨブの一族はいつもひとつ集まって食事をしていました。一緒に食事をするということは、とても関係が良い一族だったことだと思います。
ヨブは家族の中で、祭司の役目も果たしていました。
そしてサタンが登場します。
「ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。」
サタンは、ヨブは神さまが守ってくださっていたから栄えたのだ、そして
その守りがなくなった時、ヨブはきっと神さまをのろうに違いありません、と主張します。
ところで、新約の時代にも同じような神とサタンとのやりとりが登場します。
「サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。」(ルカ22章31節)
サタンの試みは、神さまが許された試みです。
いうなれば、私たちの試みは神さまからのテストだということができるかもしれません。
私たちの試練は、必ず脱出の道も備えられ、そして私たちを成長させてくれます。
試練は人それぞれ違います。
「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6章11-12節)
サタンの策略に対抗することは、たやすいことではありません。
しかし、その策略(試練)は神さまが許されている策略だということを忘れずにいてください。
「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを探し求めながら、歩き回っています。」(Ⅰペテロ5章8節)
「しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。」(Ⅱコリント11章14節)
サタンは私たちの周りに、恐ろしくも巧妙な策略で近づいてきます。
私たちがそのサタンの攻撃を受けたとき、私たちはどのような選択をすべきでしょうか。
それは、ヨブのように神さまをのろうことをせず、さらに神さまを見上げていく選択をすることです。
主を信じ、今の苦しみを耐え忍ぶことができるなら、私たちはサタンの策略を打ち砕くことができるでしょう。
「私たちの世界が揺らぐとき、岩なるイエスに向かって走りなさい。」(冒頭の訳してみましょう)
試みに負け、悪にはしってしまう=誘惑
試みに勝ち、義に向かって成長する=主による試み
「試み」と「誘惑」の原文は同じです。
ヨブは妻にまで「神をのろって死になさい」とまで言われましたが、その試みに負けませんでした。
つまり、神をのろうことなく、神を見上げ、神を信じる選択をしたのです。
私たちは試練の中、「神よ、なぜですか!」と思わず叫びます。
私はいつも正しい神さまを礼拝しているのに、そうでない人たちは私よりも栄え、平安で、健康に暮らしています、と……。
私たちはなおも神さまを信じ、神さまを見上げていく選択をしましょう。
必ず神さまは導いてくださいます。
 
「主にありてぞ」讃美歌361番

  1. 主にありてぞ われは生くる
    われ主に、主われに ありてやすし
  2. 主にありてぞ われ死なばや
    主にある死こそは いのちなれば
  3. 生くるうれし 死ぬるもよし
    主にあるわが身の さちはひとし
  4. われ主に、主は われにありて
    天こそとこよの わが家となれ

 

特別なお知らせ

  • 祈っていただいておりました峰岸久子姉のお父上、円城寺敏行さんさんがお亡くなりになりました。ご遺族の上に主の慰めとさらなるお導きをお祷りします。
  • 8月の第5週、8月30日(午後5時~)賛美集会が行われます。

長野聖書教会の話題やお知らせをお届けします。

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