日本同盟キリスト教団|長野聖書教会

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2016年1月1日 元旦礼拝「守られる主」

    

本日の聖書箇所

詩篇121篇

説教題

「守られる主」

 

説教メモ

みなさんにとって、2015年はどのような年でしたか?
何も問題がなかった、という方はほとんどおられないのではないかと思います。
おそらくそれぞれに色々な出来事があったことでしょう。
けれども、神さまが守ってくださった、支えてくださった。
そのことを神さまに感謝する一年であったと思います。

教会としては、大きな変化はなかったかと思いますが、皆さんが主の日に礼拝を守ってくださったこと、感謝です。
寒さと地震によって、修復が必要となった教会の墓地の修復もありました。
私は、家主の意向により牧師館を出て、近隣のアパートに引っ越しました。

昨年はそんな歩みでした。
今年はどのような歩みになるでしょうか。
今年一年、霊的にも、身体的にも、神さまの前に健やかに過ごしたいものです。

「守られる主」

本朝は「守られる主」と題して、詩篇121篇から学んでまいりたいと思います。

先程賛美しました讃美歌301番は、本日の聖書箇所である「詩篇121篇」をもとに作詞されたものです。
懐かしいシオンの山を見上げ、心の中からこみあげてくるような思いの中、天地万物を創造された神さまに思いを馳せているようです。

こんな言葉があります。

「山は神を見上げるために築かれた、神のカテドラル(聖堂)である。」

 

私たちは気をつけなければ、下を向いて、足もとばかりを見つめて歩いてしまいます。

羽鳥明先生が尊敬しておられる、今はもう天に召されているある牧師のお話しです。
その牧師が大学生のころ、身を持ち崩し、本も布団もすべて売り払い、遊興費にあててしまうような生活をしていました。
ある時、わずかばかりのお金でも落ちていないかと、下ばかり見て10km近く歩いたそうです。
後にその牧師は羽鳥先生にこうおっしゃいました。
「羽鳥君、下にはろくなものしか落ちていない。汚いものばかりだよ。それから僕は、上を見上げる者に変えられたのだよ。」

やはり人というのは、悲しんでいる時、打ちひしがれている時、下ばかり、足もとばかり見つめ、なかなか上を見上げられないものです。
ある時、羽鳥先生は、助けられるべき環境にある人が、誰からも相手にされていないといった状況を見て、その訳を周囲の人に聞きました。
するとある友人が答えました。
「彼は、誰かに泣きついて助けを求めるのだけれど、ちょっとしたことでその親切をしてくれる人を裏切って、別の人に泣きついて行くのです。そしてしばらくすると、また助けてくれた人の悪口を言って、別の人に泣きついて行く。そして誰からも助けてもらえなくなってしまったのです。」

 

「こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。」(コロサイ3:1-2)

地上のものを思わず、天にあるものを思うのです。
本当の助けは、地上の誰からでも、何からでもなく、天から来るのです。
本当の助けは天地を造られた主から来るのです。
地上のあちらこちらに助けを求めるのではなく、天を見上げ、神さまからの助けを求める。
それが、私たちがとるべき姿勢ではないでしょうか。

「主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」(詩篇121:3-4)

神さまは私たちをご自身に似た者として創造されましたが、私たちとは違います。
詩篇は、神さまは眠ることもなく、まどろむこともないと記します。
私たち人間は、眠ることなく生きていくことはできません。
私たちは眠ります。その眠りが長いか短いかはあると思いますが、
神さまが見守ってくださっているので、私たちは安らかに休むことができるのです。
眠ることもなく、まどろむこともない神さまが、私たちが眠っている時でさえ守っていてくださるので、私たちは安心して眠ることができ、そして目覚めて新しい朝を迎えることができるのです。

詩篇121篇3~8節までに、「守る」という表現がいくつ出てきているでしょうか。

  • 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
  • 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
  • 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
  • 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる
  • 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる

これほどまでに、守ってくださる神さまがおられます。
先日の祈祷会では、聖歌292番を賛美しました。

今日まで守られ 来たりしわが身
露(つゆ)だに憂(うれ)えじ 行く末などは
いかなる折にも 愛なる神は
すべての事をば 善(よ)きにし給(たま)わん

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)

すべてのことを益としてくださる神さまがおられます。
詩篇121篇は、そんな神さまに100%おゆだねするところに、神さまの守りがあるということを私たちに教えています。
たとえ私たちが眠っているあいだも、そしてどんな状況の中にあっても、神さまは目をさまして守ってくださっています。

 

神さまは、私たちに襲いかかるあらゆる危険から守ってくださいます。

あるご夫婦が航海の途中に嵐に遭いました。
夫が短刀を握りしめ妻の鼻先に突きつけ、「怖いか」と訊ねました。
すると妻は、「ちっとも怖くありません。私を愛し、私を守ってくださるなたの手に、短刀は握られているのですから。」そう答えました。
それを聞いた夫は、「私たちを愛してくださっている神さまの手に、風も、雨も握られているのだから、少しも怖くないのだよ。」

神さまは、行くにも帰るにも私たちを守ってくださいます。

私たちがどこへ行こうと、どこから帰ってくるとしても、家の外にいる時も、家の中にいる時も、裸の時でも、いつでも、とこしえまでも守ってくださる神さまがおられます。
「昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。」

神さまは、私たちの心をも守ってくださいます。

何よりも神さまは、外面的な攻撃や危険から守ってくださるだけでなく、私たちのいのち、魂、心を強くし、私たちの足を強くし、どんな時でもくじけず、よろめかないようにお守りくださいます。
「主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」

 

そのような神さまが私たちの主なのです。
そのことを知っただけでも、感謝ではないでしょうか。
新しいこの一年も、そのような神さまが私たちの行く道を守ってくださる。
そんな神さまにすべてを委ねていくのです。
私たちの一歩一歩を、神さまに委ねていくのです。

今年も様々な問題が起こって来ることでしょう。
しかし、すべてひとつひとつ、些細なこともすべて神さまに委ねていきましょう。
毎日毎日、些細なことでも委ねて行くことを学んだ人は、たとえ大きな問題が起ころうとも、それを神さまに委ねることができるのです。
自分には到底耐えられそうもない試練が襲ってこようとも、それも神さまに委ねることができるなら、私たちは勝利者となるでしょう。

どんなことでも神さまに祈っていきましょう。
祈ることは、神さまと会話をすることです。
皆さんが思っていること、悩んでいること、直面している問題、乗り越えなければならない壁など、色々なことがあるかと思います。
それらすべてを神さまに祈っていきましょう。
どんな時でも神さまは聞いていてくださいます。
そして、神さまとの会話である祈りを通して、神さまに語りかけていただきましょう。
神さまは私たちが相談するよりも前に、すべてをご存知ですが、私たちが神さまに相談することを待っておられます。
ですから、何も恐れることなく、神さまに祈りを持って近づいてまいりましょう。
そうすると、必ず道は開けます。