日本同盟キリスト教団|長野聖書教会

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2016年10月16日 主日礼拝「全てを益としてくださる神」

    

本日の聖書箇所

ルツ記4章10〜22節

奨励題

「全てを益としてくださる神」

今週の聖句

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。

ローマ人への手紙8章28節

 

訳してみましょう

1836 Our crime rate has increased in exact ratio to our comsumption of alcoholic beverages.
(私たちの犯罪は、アルコール飲料の消費に比例して増加している。)

1837 Drinking was a sin first and a disease later.
(飲酒は第一に罪であり、後の災いである。)

※どちらもビリーグラハムのことば

 

本朝は、丸山鈴子姉が奨励をしてくださいます。

今年のはじめ、北村先生よりルツ記からお奨めをするように言われました。でも長いところでどうお話ししてよいやら…、と伸ばし伸ばししていました。10月に、と念押しされ、不安な思いでここに立っています。

私の主人からは、「お前の話しは聞いているとイライラする。結論から言え!」と言われ、私は話し下手だといつも思っているのです。このような私が皆様の貴重なお時間をいただくことを、どうかお許し下さい。

さて、ルツという人はユダヤ人ではなく「モアブ人」でした。

先ほど、皆様と呼んだ箇所によると(このお話しの結論をみましょう!)、

こうしてボアズはルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところにはいったとき、主は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。
(ルツ4:13)

…その名をオベデと呼んだ。オベデはダビデの父エッサイの父である。
(ルツ4:17)

要するに、オベデはダビデ王のおじいさんにあたります。

モアブの女ルツがダビデの家系(またキリスト家系)に加えられた事を示すこのお話しは、絶望からの不思議な導きにより希望が与えられ、神さまのすばらしい祝福に満ちています。イスラエルの人々が軽蔑していたモアブ人、そのルツが救い主の系図に加えられるという栄誉にあずかったのはなぜでしょうか?
では、1章から見ていきましょう。

まず、「裁き司が治めていた頃」とあります。イスラエルにはまだ王がいなくて、神さまから遣わされた政治的指導者が国を治めていました。人々は自分勝手な生き方をし、霊的にも暗い時代でした。その頃に、ユダのベツレヘムに飢饉がありました。

エリメレク一家は、食料を求めてモアブという国に移り住みました。しかし、エリメレクは死に、妻ナオミと二人の息子が残されました。二人の息子はモアブの女性と結婚しましたが、あいついで二人の息子も死んでしまいました。残されたのはナオミと二人の嫁のオルパとルツです。三人の悲しみはどれほど深いことでしょう。

エリメレク一家がモアブに来て10年が経っていましたが、ナオミは故郷のベツレヘムに飢饉が去ったことを伝え聞き、変える決心をします。二人の嫁、オルパとルツも、ナオミと共にベツレヘムに行く決心をしていましたが、途中でナオミは、二人の幸せのために、二人に父と母のもとに帰るよう説得します。オルパは泣きながら帰って行きましたが、ルツはナオミと共にいることを固く決心していて、ナオミについてベツレヘムに行きました。
ルツの言葉を16・17節で見てみましょう。

ツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」
(ルツ1:16〜17)

ルツはエリメレク一家と暮らしながら、まことの神を信じルツにとって夫の神ではなく、私の神であり、そしてこの主に仕える決心をしたのです。

私たちにも人生の中で、どちらかに決断しなければならないことがたくさんあると思います。進学、就職、結婚…。二つの道があればどちらかを選択しなければなりません。ルツは自分で神とナオミに仕える決心をし、それによりこの素晴らしい祝福となったわけですが、神さまの導きだったのかもしれませんね。

2章を見ていきましょう。

ナオミと一緒にベツレヘムに着いたルツは「落ち穂拾いに行かせて下さい」と申し出ます。ちょうど大麦の収穫の時期でした。モーセの律法では、貧しい人々は畑で落ち穂を拾うことが許されていました。畑の持ち主はそれを残しておかなければいけないのです。

さて、ルツが出掛けた畑ははからずもエリメレクの親類ボアズの畑でした。その日たまたまボアズが畑に来て収穫の様子を見ていました。働き者のルツを見て、ルツが他の国から来て、愛情深く姑の世話をしていることを知り、とても親切にしてくれました。水を分けてくれて、食物も沢山分けてくれたので、それをナオミに持ち帰ることもできました。なんとルツのためにわざと穂を抜いておきなさいと命令したほどです。

ナオミは家で、ルツが辛い目にあっていないか心配し、帰って来たルツに「どうだった?」と尋ねました。ルツはボアズという人の畑でとても親切にしてもらったことを話しました。ナオミはびっくりしました。ボアズが買い戻しの権利のある親類だったからです。
買い戻しの権利のある親類とは、その家を存続させるための義務を引き受ける親戚のことです。ある女性が夫を亡くしたとき、その女性は死んだ夫と兄弟と結婚できます。ナオミの場合、二人とも息子が死んでしあいました。その場合には最も近い親類がその家、土地を買い戻し、未亡人と結婚できるのです。当時、土地は男の人しか継ぐことができなかったので、未亡人は買い戻す人がいなければ完全に社会から無視され、貧しさから抜け出せない惨めな人生だったようです。ナオミとルツはまさにそうでした。悲しみは絶望、貧困の二人にボアズによって希望が見えてきたのです。

3章に入っていきます。
ナオミはルツに言いました。

しゅうとめナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。
ところで、あなたが若い女たちといっしょにいた所のあのボアズは、私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けようとしています。
あなたはからだを洗って、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行きなさい。しかし、あの方の食事が終わるまで、気づかれないようにしなさい。
あの方が寝るとき、その寝る所を見届けてからはいって行き、その足のところをまくって、そこに寝なさい。あの方はあなたのすべきことを教えてくれましょう。」
(ルツ3:1〜4)

女の人が男の人の布団に入れなんて大丈夫なのかとビックリです。実際に、これはイスラエルの習慣と律法に沿った行動であり、召使いが主人の足下で眠り、布団の一部を共有することは一般的なことなのだそうです。この習慣を実行することで、ボアズに買い戻しの権利があることを知らせたのです。モアブ人ルツにとっては変なことと思えたでしょうが、ルツはナオミを信頼していましたから、それを実行に移しました。

こうして、彼女は打ち場に下って行って、しゅうとめが命じたすべてのことをした。
ボアズは飲み食いして、気持ちがよくなると、積み重ねてある麦の端に行って寝た。それで、彼女はこっそり行って、ボアズの足のところをまくって、そこに寝た。
夜中になって、その人はびっくりして起き直った。なんと、ひとりの女が、自分の足のところに寝ているではないか。
彼は言った。「あなたはだれか。《彼女は答えた。「私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。」
(ルツ3:6〜9)

ボアズはルツの話しを聞いてこう答えます。

すると、ボアズは言った。「娘さん。主があなたを祝福されるように。あなたのあとからの真実は、先の真実にまさっています。あなたは貧しい者でも、富む者でも、若い男たちのあとを追わなかったからです。
さあ、娘さん。恐れてはいけません。あなたの望むことはみな、してあげましょう。この町の人々はみな、あなたがしっかりした女であることを知っているからです。
ところで、確かに私は買い戻しの権利のある親類です。しかし、私よりももっと近い買い戻しの権利のある親類がおります。
今晩はここで過ごしなさい。朝になって、もしその人があなたに親類の役目を果たすなら、けっこうです。その人に親類の役目を果たさせなさい。しかし、もしその人があなたに親類の役目を果たすことを喜ばないなら、私があなたを買い戻します。主は生きておられる。とにかく、朝までおやすみなさい。」
(ルツ3:10〜13)

そして朝、ルツを帰らせてからすぐに彼は町に出掛けました。

4章では、ボアズは門のところにいます。ここは交通の要所であり、買い戻しの権利の最も近い人が通ることを知っていました。ボアズはその人に声をかけ、ナオミの畑が売りに出されていることを伝え、「あなたが最も近い親類ですから、その土地を買って下さい。私は二番目ですから」と言いました。するとその人は、はじめは買いましょうと言いましたが、モアブ人のルツと結婚しなければならないことを知ると辞退します。
これにより、ボアズはルツと結婚するための障害はなくなりました。
ボアズはとても素早く、誠実に、ごまかすことなく神さまのみこころに任せる行動をとったのです。
神さまはこの二人の結婚をとても祝福し、ひとりの男の子を与えました。ナオミもこの家族の中で、とても幸せに暮らしたことでしょう。

ナオミはいつもルツの幸せのことのみ考えて行動しました。
ルツはナオミのためによく働き、お世話をし、よく仕えました。
ボアズはナオミとルツのために誠実で親切で、自分の思いにとらわれず、神さまにすべてをお任せしました。

ナオミとルツとボアズの家庭は、愛に満ちた幸せな家庭かな、と想像されます。一番大切なことは、彼らが主を第一としてきたこと。そして相手の幸せを一番に考えたということにあると思います。

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
(マタイ22:37〜40)

もう一つ、ナオミの言葉に注目してみたい箇所があります。
1章20節で、ナオミは「私をラマと呼んで下さい」という言葉です。
ラマとは苦しみの意味です。愛する夫を失い、愛する我が子を二人も失い、財産も何もかも失い、みじめで苦しみの中にいたのです。けれどもナオミは、神さまを信じていたと思います。そして今日見てきたように、その中にも神さまのはからい、導き、ご計画と祝福にと変えられたのです。それはあとになって分かることで、その時は分かりませんでした。

私たちも、どんなに苦しいときも必ず神さまが助け出して下さるという信仰を持たなければなりません。絶望と思われる時も、もうだめだと思われる時も、その時は分からなくても主を見上げて、希望を持つことができたら素晴らしいです。

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
(ヘブル11:1)

最後に、安けさは川のごとく(It is well)を作詞したスパフォードさんのことを紹介したいと思います。

1873年11月、フランスの港からイギリスに向けて一隻の客船が出帆しました。この船にはスパフォードさんの妻と娘たちが乗っていました。11月22日午前2時、突然イギリスの船がこの船に衝突し、2時間後に船は沈没し、26人の乗客が海に沈みました。その中にスパフォードさんのこどもたちがいました。9日後に救出された妻より手紙が届き、スパフォードさんは事故を知ります。スパフォードさんは、子どもたちが事故に遭った海を見るためにイギリス行きの船に乗りました。船長さんがそばに来て言いました。
「この辺りだと思います。お子さんが事故に遭われたのは…。お気の毒です。」
その夜スパフォードさんは甲板に出て暗い海を見つめていました。すべてをのみつくした海はあまりに静かでした。ふと目を上げて空を見ると、愛する子どもたちの顔がありました。

「安心しなさい。子どもたちは今、天にいる。」
と声が聞こえてきました。子どもたちはイエス・キリストを信じていたからです。その時にスパフォードさんの心に浮かんだ詩がこの曲です。

It is well with my soul.
やすけさは川のごとく 心みたすとき
悲しみは波のごとく わが胸をひたすとき
すべてやすし
みかみともにませば

どうしてこんなことが…。悲しくて立ち上がれない。病気、災害、これから何が起こるかわかりません。私もその時、自分がどうなるか分かりません。今はナオミのように、スパフォードさんのように必ず助け出して下さる神を信じていたいと思います。

しかし神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。
(詩篇49:15)

ナオミとルツがボアズによって買い戻されたように、私たちはイエス・キリストによって買い戻されました。それは神さまの一方的な恵みであり、神さまの愛のゆえでした。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
(ローマ8:28)

苦しみの時、ナオミやルツを思い出し、神さまが救い出して下さると信じて歩みたいと思います。