日本同盟キリスト教団|長野聖書教会

ヘッダー

2016年10月23日 主日礼拝「水の上を歩くペテロ」

    

本日の聖書箇所

マタイの福音書14章22〜33節

説教題

「水の上を歩くペテロ」

今週の聖句

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。

ヘブル人への手紙12章2a節

 

訳してみましょう。

1838 The Christian life is dependent upon faith. We stand on faith ; we live by faith. Without faith, there is nothing. (Billy Graham)
(クリスチャンの生活は、信仰に依存しています。 我々は、信仰の上に立っています。 我々は、信仰によって生活します。 信仰なしでは何もありません。)

1839 The church gets bogged down and itself becomes a real stumbling block to faith. (Billy Graham)
(教会は行き詰まるようになり、それ自体が信仰のつまずきとなります。)

 

説教メモ

1.アウグスティヌス

ここ最近のメッセージは、教会の歴史の中で用いられてきた人物に焦点を当ててきました。
本朝は「アウグスティヌス」について見てみましょう。

アウグスティヌスという人は、どのような人物だったのでしょうか。
313年、「ミラノ勅令」が発令され、それまで迫害されてきたキリスト教が公認されました。アウグスティヌスはこの時代に北アフリカに誕生しました。

アウグスティヌス(354 – 430年)はキリスト教徒の母モニカと異教徒の父パトリキウスの子として、北アフリカのタガステ(現在、アルジェリアのスーク・アハラス)に生まれました。若い頃から弁論術の勉強を始め、370年からは西方第2の都市カルタゴにて学びました。大都市カルタゴは、若いアウグスティヌスを立身出世の野心、そして肉欲と快楽の虜としてしまいました。父パトリキウスは371年、死の直前に受洗しました。そして母モニカは息子であるアウグスティヌスの救いのために、夜となく昼となく祈り続けました。幼い日に芽生えた信仰心は全く消えていました。彼は罪と不義の中で必死に真理への探究を続け、哲学を学び、さらにマニ教という異教の宗教に惑わされ苦しみは増すばかりでした。やがて彼は郷里であるタガステやカルタゴで教師となりました。30歳頃にはローマ市長の推薦を受け、ミラノ市で教授の職が与えられ、母モニカとともに移住しました。彼の願いは、何とかして罪深い肉欲から救い出され平安を得ることでした。信奉していたマニ教は、何一つ心のよりどころとなりませんでした。ある日、小さな庭のいちじくの木の下で祈っていた時のこと、隣家の子どもから「Tolle, lege(とって読め)」という声を聞き、近くにあったパウロ書簡「ローマ人への手紙13章13-14節の「主イエス・キリストを身にまとえ、肉欲をみたすことに心を向けてはならない」を読んで回心したといわれています。母モニカの喜びはいかばかりだったでしょう。アウグスティヌスは洗礼を受ける前に半年間、静かな山荘にこもって聖書と祈りに没頭しました。34歳のイースターに、ミラノ司教アンポロシウスから洗礼を授けられました。彼は今までの古い生涯を投げ捨て、母と共に郷里のタガステに帰りました。船出を待っている間に、母モニカはにわかに病に倒れ、彼の手を取り言いました。「神さまは私のような者の祈りさえもお聞きくださり、お前を救いに導いてくださった。もう何も思い残すことはない。私の地上の務めは終わった。」そして亡くなる間際に「私の体はどこにでも葬ってください。私の願いはただ一つ、お前がいつでも神さまにお仕えしてくれることです。」と言い残し亡くなりました。その後、アウグスティヌスは母の言葉通り、神にのみに仕える者となり、ヒッポの教会の監督に選ばれ、430年に天に召されるまで40年間、異端や異教から真理を守るために戦い、天に召されるまでに多くの著作を書き残しました。有名な著作に「告白」「神の国」「三位一体論」などがあります。
彼はカトリック側からもプロテスタント側からも深い尊敬を受け、最大の思想家、教会の教父として認められています。次の言葉は最も有名です。

「あなたは我々をあなたへと向けておつくりになった。その故、我々の心はあなたのうちに憩うまで安らぎを得ることができないのです。」

 

2.水の上を歩くペテロ

さて、本日の聖書箇所より、ペテロという人を見てまいりましょう。

シモン・ペテロは、十二弟子の筆頭とされていました。本当の名前は「シモン」です。イエス様と最初に出会ったのは「アンデレ」でした。アンデレはイエス様のもとに兄であるシモンを連れて来ました。シモンに向かってイエス様はおっしゃいました。

彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った。」と言った。
彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」
(ヨハネ1:41〜42)

イエス様は全てをご存知で、初めて会ったシモンがこれからどのような働きをするのかを分かっておられました。
シモンはガリラヤのベツサイダという町の出身の漁師でした。そしてイエス様によって「ケパ(岩という意味)、訳すとペテロ」と名づけられました。イエス様の期待がどれほどであったかが分かります。他の弟子たちに対してはこのようなことはなさいませんでした。
ペテロは結婚していました。そしてもともとベツサイダの人でしたが、やがてカペナウムに移り住み、言葉には北部地方の訛りがありました。イエス様が捕らえられたとき、大祭司の庭でその訛りによって召使いの女に見つかってしまいました。

ここでは、ペテロはじめ11人の弟子たちは舟に乗っていました。その直前の出来事はあの「5000人の給食」でした。その続きの出来事です。イエス様は弟子たちを強いて舟に乗せ向こう岸に渡らせました。イエス様はそこに残り、群衆を解散させました。それは「祈るために」そうされました。

群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。
(マタイ4:23)

弟子を舟に乗せてからかなりの時間が経っていたと思われます。

しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
(マタイ4:24〜25)

聖書をご覧になればお分かりのとおり、弟子たちのほとんどは漁師でした。ガリラヤ湖でいつも漁をしていた彼らは、それまで何度も嵐に遭い、やっとの思いで岸に辿り着いた、そんな経験を何度もしていたはずです。その舟の操縦には熟練した漁師たちが向かい風に漕ぎあぐね、どうしたらよいのか分からなくなっていた時、イエス様はなんと湖の上を歩いて近寄られました。そして弟子たちに話しかけられました。

弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
(マタイ14:26〜27)

「わたしだ。」
このおことばは、モーセの前に燃える柴の中に現れた神さまがご自身の名を教えてくださった時のおことば「わたしは、『わたしはある。』という者である。(エゴー・エイミー)」でした。

「わたしはわたし自身だ。」
そのおことばに、一人だけ突拍子もない発言をした人がいます。ペテロです。

すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
(マタイ14:28)

ペテロはここで、水の上を歩けると思ったのでしょうか。
「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
「イエス様、あなたが本当にイエス様でしたら、あなたがお命じになれば私は歩いて行けます。」と言っています。ペテロの信仰です。「私は歩いてイエス様のところに行ける」とは言っていません。「もしイエス様がそう命じてくだされば、私は歩いて行けるでしょう。」これがペテロの信仰だったのです。

イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。
(マタイ4:29〜30)

ペテロはそれまで、しっかりとイエス様を見ていました。そして何歩かは分かりませんが、嵐の中で水の上を歩いたのです。歩いて行けたのです。ところが、風を見て恐ろしくなりました。

そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。
(マタイ4:31〜32)

私は今から30年以上前、ある人と関わったことがあります。当時は教会に役員会がなく、その役員会を立ち上げようという時でした。選挙によりある女性が役員に選ばれました。そのことに対し、ある宣教師から反対の意見が出たのです。彼女は心配しました。自分が愛されていた宣教師だったのでとりわけ傷つき、死んでしまおうとまで思い詰めました。線路の中に飛び込もうと実際に考えていたそうです。私はそのことを知らされ、宣教師らとともに夜中に探し回りました。30分ほど後、彼女は見つかりました。その時、私はこのマタイ14章をお話ししました。
もし私たちが、イエス様の方を向いていつも歩んでいけば大丈夫。他のことに心を奪われたりすると、自らの命を絶ってしまおうとするほどにおかしなことになってしまうのだ、と。

ペテロと同じように失敗したイスカリオテ・ユダがいます。ユダは失敗に気付きましたが、それで終わってしまいました。ペテロはイエス様の十字架を前にして、三度主を否定するという失敗をしました。イエス様はそのことを承知の上で、前日の夜にペテロに話しかけられました。イエス様はすべてのことをご存知でした。次の瞬間、何時間後、何年後、ずっと将来に何が起こるのかをすべてご存知なのです。

すると、ペテロがイエスに答えて言った。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」
イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」
ペテロは言った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った。
(マタイ26:33〜35)

そして、他の弟子たちを力づけてやってくれと頼まれました。

しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
(ルカ22:32)

それほどペテロは主に信頼されていました。ペテロの方が「こんな人は知らない」と言いました。そのこともすでに全部ご存知でした。ここでもイエス様はこのように言っているようです。
「あなたは私に向かって水の上を歩けたではないか。どうして風なんか見るのか。なぜ目を脇にそらしてしまうのか。」
そして「さあ、わたしの手につかまりなさい。」そう手を差しのべて下さいました。それでペテロは助かったのです。

3.イエスを見る信仰

イエス様はおっしゃいました。
「さあ、私の手につかまりなさい。」

私たちにも、信仰がなくなってしまう瞬間があります。クリスチャンであると思っていながら、信仰を失ってしまう時があります。その時、私たちはイエス様のもとに行き、「イエス様、助けてください。私が悪かったのです。」と祈るべきでしょう。ペテロが叫んだように「主よ。助けてください。」と祈るべきでしょう。「100%あなたを信頼してついてきませんでした。気をつけますから、今は助けてください。」と祈れば良いのです。なぜなら私たちはどこに行っても、イエス様の助けが必要なのです。私たちは欠けだらけの人間です。完全ではありません。

私たちはたとえ失敗しても、やり直すことができます。また一から、イエス様を信頼して歩み出すことができます。何年もクリスチャンをしていても、これで良しということはないでしょう。

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」
(ルカ9:23)

自分が知っているということはなかなか出来ないものです。何度も申しますが、古い私たちは十字架に付けて死んでしまったのだ。そのことは知っているのに、いまだに私たちには自分に対して死にきれていない姿があるのです。その都度その都度、そういう場面において主の前に悔い改め、主に助けを求めましょう。その必要があるのです。

真夜中の三時頃。悪いことは大抵、夜中に起こるものです。そして大変な嵐の中。
大切なことは、イエス様から目を離さないでいることです。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
(ヘブル12:2a)

私たちはいつでも立ち直れます。失敗したと気付き、イエス様に助けを求めるならば、イエス様は必ず助けてくださいます。立ち直る機会を与えてくださいます。イスカリオテ・ユダのように、失敗に気付き反省しただけでイエス様に助けを求めずになるならば、あのような結果になってしまいます。

神さまはいつでも現在のお方です。ペテロが信仰によって水の上を歩き、イエス様から目を離し、沈みかけることをイエス様はすべてご存知でした。私たちには今晩何が起こるか分かりません。しかし全知全能の神さまはいつも現在のお方で、すべてご存知のお方です。そのお方に向かって畏敬の念をもって素直に祈っていきましょう。
私たちの周りには問題が山積みとなっているかもしれません。しかし私たちは、その背後におられるイエス様をしっかりと見つめて歩んでまいりましょう。