日本同盟キリスト教団|長野聖書教会

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2016年10月30日 主日礼拝「否認するペテロ」

    

本日の聖書箇所

ルカの福音書22章31〜34節、54〜62節

説教題

「否認するペテロ」

今週の聖句

わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。

ルカの福音書22章32節

 

訳してみましょう

1840 We cannot avoid growing old, but we can avoid frowing cold.
(我々は年をとることを避けることができません。しかし、我々は心の冷たさを避けることができます。)

1841 Do we have a burden for the lost, or have we lost our burden?
(私たちは失われた者に重荷がありますか。または、私たちはその重荷を失っていますか?)

 

説教メモ

1.信仰人物伝 —— ジョン・バニヤン

彼は「天の歴程」を著した人です。
世界的に見て、聖書はベストセラーです。その聖書に次いで読まれているのが、彼が著した「天の歴程」だと言われています。
彼は1628年、イギリス中部の町で生まれました。父は貧しい「鋳掛け屋」でした。家々を訪問して鍋ややかんを修理して回る商売をしていた人です。家が貧しかったので彼は学校に行けませんでした。近所のガキ大将的な存在でした。ある日、ささいないたずらをした後で激しい罪悪感を持ったそうです。その頃のイギリスは、ピューリタン(イングランド国教会の改革を唱えたキリスト教のプロテスタント(カルヴァン派)の大きなグループ。 市民革命の担い手となった。 日本語では清教徒と訳される)が政治力を持っていました。1644年に内戦が起こり、バニヤンは政府軍に入隊して戦いました。翌年、軍隊の勝利の内に戦いは終わりました。彼が家に帰り2〜3年後に、信仰心のあつい慎ましい女性と結婚しました。この妻は嫁入り道具として、自分の父の形見であった聖書と信仰書の2冊を持ってきました。それで彼はその書物を熱心に読むうちに求道心が起こりはじめました。そして国教会に出て信仰生活に精進しましたので、いつの間にか「イギリスで私ほど神に喜ばれる人間はいないだろう」と自負する在り様でした。ある日彼は鋳掛けやの仕事をしながら町を歩いていると、女たちが数人立ち話をしているのを聞きました。それは生まれながらの人間がいかに惨めであるか、新生することはどんなに素晴らしい喜びであるか、魂の内にある神の平安等のことでした。外面ばかりを考えていたバニヤンにとって、これは新しい話しでした。それでもう一度真剣に聖書を読み、またその頃知り合ったバプテスト教会のギフォードという人からも色々と教えを受けました。自分の内側が神の光に照らされたとき、あまりにも醜いことに気付かされ嘆きました。こんなに罪深い人間として生まれるよりも、あの枝の上にとまっている小鳥や池の中の蛙の方が良かったと思わずにはいられませんでした。しかし、ついに主の十字架によってすべての罪が赦されるのであることが分かり、地獄だけが自分の行くべき所だと思っていた彼にとって、救われた喜びは非常に大きなものでした。バニヤンは国教会からベッドフォードのバプテスト教会に属することになりました。それとともに救いの喜びを伝えずにはいられなくなり、また人々に求めもあり、教会で説教をするようになりました。彼の話しは実際の体験に裏付けられた上に、深い聖書の理解とともに豊かな想像力が伴い、誰にでも良く分かるものでした。ところがその頃、清教徒による共和政治が崩れ王政復古となりました。あちこちで迫害が起こりました。その一つは国教会外の聖職者の資格を持たない者が説教することの禁止でした。バニヤンはそのかどで逮捕され牢獄に入れられました。もし説教を二度としないと誓えば許してやろうと言われても、「私は今日、牢獄から出たら、明日また説教する」と主張していたために、12年間も獄中で過ごさなければなりませんでした。この間に彼は、徹底的に聖書を読みふけりました。それとともに、10冊あまりの書物を著し、この中に「溢るる恩寵」という優れた内容の本も含まれていました。1672年に一度釈放され、しばらくしてまた逮捕され、今度は半年間獄中で過ごし、この時に「天の歴程」が書かれました。これはイギリスの古典文学の祖とも讃えられています。無学なバニヤンが獄中という逆境の中でひたすらに聖書を学び、この大いなる働きを成し遂げました。
「天の歴程」は決して難しい内容ではないと思います。ご一読をおすすめします。

 

2.イエスを否認するペテロ

本朝は、先週に続き、ペテロについての二回目の学びとなります。

31〜34節は、イエス様を否認する予告です。
このイエス様の執り成しの部分は、最後の晩餐でのイエスとペテロの会話です。イエス様のペテロへのことばは、愛と励ましに満ちていました。一方、ペテロの返答には、情熱的ではあるけれど、己への過信がありました。彼はそれに気付いていませんでした。ペテロは返事の後、他の福音書にも記されております、ペテロの裏切りの予告が語られます。イエス様のことばはペテロをはじめ弟子たち全員がサタンのふるいにかけられることを神が許されたというものでした。大きな試練によって信仰がなくなるほど揺さぶられることを示唆しています。旧約聖書のヨブ記と重なります。ヨブは正しい人で罪を犯さなかったけれどももの凄い試練に遭いました。これは神とサタンとの対話の中で試練を受けている物語です。そこにこの場面は重なるように思います。

ここでイエス様は、ペテロのために祈ったと仰っています。

シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
(ルカ22:31〜32)

イエス様はペテロの信仰がなくならないように祈られました。そして立ち直ったら兄弟たちを励ましてやってくれと仰っています。この時点ではペテロは良く分かっていなかったのでしょう。しかし、後になってどれほどの大きな慰めになったか分かりません。
何度も申しますが、イエス様にとってはいつでも「現在」なのです。ですから後にペテロが立ち直ることもご存知でした。
これに対しペテロの答えは、己の現実と弱さを自覚していない人の姿そのものでした。イエス様が最初にペテロに会ったとき「あなたをペテロ(岩)と呼ぶ」と仰いました。

イエスはシモンに目を留められて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」
(ヨハネ1:42)

ルカの福音書を見ていくと、イエス様が「ペテロ」と呼んだのは、実はここだけなのです。どれほどイエス様がこのペテロに期待していたか、ペテロと名づけたことからうかがえます。しかし、ペテロは自分の力で岩となろうとしました。ペテロは自分が岩と呼ばれることの意味を自覚していたのでしょう。

54〜60節の前半までは、イエス様を三度知らないとペテロがイエス様を否認する場面です。

ペテロはイエス様が捕らえられた時、後をついていきました。大祭司の庭までついて行き、寒かったので火を囲んで腰をおろしていました。

ペテロは自分は大丈夫だ、他の者がみんな躓いても私だけは躓きませんと言いました。他の弟子たちが逃げてしまったのに対し、ペテロは一人イエス様のあとをついて大祭司の庭まで行きました。そのことを見ても「自分だけは裏切らない」という思いに自信があったのでしょう。

第一の否認は女中が唐突に言った言葉からでした。

すると、女中が、火あかりの中にペテロのすわっているのを見つけ、まじまじと見て言った。「この人も、イエスといっしょにいました。」
ところが、ペテロはそれを打ち消して、「いいえ、私はあの人を知りません。」と言った。
(ルカ22:56〜57)

ここでペテロは、「イエスを知っている」ことを否認しました。
第二の否認は他の男からの指摘でした。

しばらくして、ほかの男が彼を見て、「あなたも、彼らの仲間だ。」と言った。しかしペテロは、「いや、違います。」と言った。
(ルカ22:58)

ここでは、「イエスの仲間である」ことを否認しました。
第三の否認は、また別の男が登場し、

それから一時間ほどたつと、また別の男が、「確かにこの人も彼といっしょだった。この人もガリラヤ人だから。」と言い張った。
しかしペテロは、「あなたの言うことは私にはわかりません。」と言った。それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。
(ルカ22:59〜60)

ペテロにはガリラヤ地方の訛りがありました。ガリラヤ人は、シボレテと発音できず、スィボレテと発音したと旧約聖書にあります。 それを指摘され、それに対する否認でした。

ヨハネの福音書18:26を見るとこのように記されています。

大祭司のしもべのひとりで、ペテロに耳を切り落とされた人の親類に当たる者が言った。「私が見なかったとでもいうのですか。あなたは園であの人といっしょにいました。」
(ヨハネ18:26)

ここでペテロを指摘した男は、ゲツセマネの園でペテロに耳を切り落とされた「マルコス」という人の親類だったようです。ですからイエス様のことも、ペテロのことも良く知っていたようです。それで、その男はペテロをじっと厳しいまなざしをもって注視していました。
そしてペテロは、この三度目の否認を、のろいをかけた誓いをもってしてしまいました。「誓って言うが、私はこの男は知らない。何の関わりもないのだ」と。

それで、ペテロはもう一度否定した。するとすぐ鶏が鳴いた。
(ルカ22:60)

このペテロの姿を、イエス様は見ておられました。
三度目の否認の後、すぐに鶏が鳴きました。イエス様はすぐに振り向き、ペテロを見つめておられました。

主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。」と言われた主のおことばを思い出した。
彼は、外に出て、激しく泣いた。
(ルカ22:61〜62)

イエス様はどのような眼差しで見つめておられたのでしょうか。鶏の声とイエス様のまなざしはペテロに昨夜の会話を思い起こさせたと思います。
イエス様のまなざしは、すべてを知っていたという、慈しみと憐れみに満ちたものでした。ペテロはいたたまれなくなりその場を逃げるように去り、そして激しく泣きました。

ルカは後日これを記しています。ルカは色々な人の取材をもとに福音書を書きました。ですからルカは、ペテロ自身にこのことを聞いたのでしょう。このイエス様のまなざしのことを、ペテロは後の日に自身で証しをしたのです。ペテロ以外は知り得ない情景です。

それはイエス様の圧倒的な祈りと愛、赦しの中で生かされ、用いられていることの証しでした。

このペテロを見るイエス様のまなざしが、ペテロを後に立ち直らせるものとなりました。

ペテロが否定した「私は、私ではない」との言葉。覚えておられるでしょうか。先日イエス様はご自身のことを「わたしは、わたしはある」とおっしゃいました。そこに「わたし」を強調しています。ペテロはここで、「私は、私ではない」と言っており、私は知らない、関係ないと誓って、そして最後は呪って否定してしまいました。

しかし、イエス様はペテロが必ず立ち直ることをご存知でした。それでイエス様は「あなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と仰いました。「あなたは必ず立ち直るのだから」と仰ったのです。

鶏が鳴き、イエス様のまなざしを受け、そしてイエス様の自分に対する予告を思い出した時のペテロはどんな気持ちだったでしょうか。
そんなペテロにイエス様は信仰の回復の約束もなさいました。信仰はなくならず立ち直るという約束です。主がそう祈ってくださいました。ですから必ずそうなります。
ペテロはサタンにふるいにかけられ、人生で最も惨めな経験をしました。しかしそれは主が許されたこと。つまり、主の手のひらの中で起こったことにすぎないのです。「知らない」とは関係を遮断する冷たい言葉ですが、それを三度も口にしてしまったペテロ。そんなペテロを主は見ておられました。「あなたがわたしを知らないと言っても、わたしはあなたを知っている」と、憐れみのまなざしを注がれました。主を否定したペテロでしたが、主との関係は断絶されませんでした。イエス様はご自分を見捨てた弟子を見捨ててはおられませんでした。主の守りの中で起こった挫折であるがゆえに、その弟子は立ち直れるのです。

私たちは罪を犯してしまった時、自分はどうしようもない人間だと自分に絶望することがあります。しかし、主が私たちに絶望しておられるわけではありません。主は私たちがそこから立ち直れることをご存知です。そして立ち直ったら、他の人を力づけてあげるように命じておられます。なぜでしょうか。他にも同じような失敗の経験をしている人がいるからです。その人に対して、立ち直った人は本当に力づけることができるのです。自分と同じような罪を犯した者、自らが罪を犯してしまった人を、もう一度主との関係を回復させる手助け、役に立てるのではないでしょうか。時に私たちは、惨めで消えてしまいたいと思う時があります。しかし、主は私たちが立ち直ることをご存知です。私たちに対するイエス様の約束でもあります。ですからそのように導いてくださいます。そしてさらに、私たちには神の国の祝福を拡大させていく役目が与えられています。ペテロのように送り出してくださいます。そのような資格がないような者であっても、私たちはある人を励まし力づけることができます。イエス様がいつも背後におられ、祈ってくださっています。イエス様は私たちに「立ち直ったら、他の人を励ましてやってくれ」と懇願されているようです。私たち自身が至らない者であり、罪を犯してしまう者ではあります。あなたがもし失敗を犯し、心が沈むとき、この記事を思い出してください。

ペテロは実際に立ち直って行きます。それはまた来週、見てまいりましょう。