日本同盟キリスト教団|長野聖書教会

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2016年4月24日 主日礼拝「モーセの葛藤」

    

本日の聖書箇所

出エジプト記2章11〜25節

説教題

「モーセの葛藤」

今週の聖句

怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。

エペソ人への手紙4:26

 

訳してみましょう

1791 Blessing comes from seeking wisdom and living by it.
(祝福は、知恵を捜して、知恵によって生きることによってもたらされます。)

1792 Prayer is an intimate conversation with our God.
(祈りは、私たちの神さまとの親密な会話です。)

 

tipora

説教メモ

先週から出エジプト記の学びに入り、モーセの生涯を少し学びました。先週はモーセが生まれた背景を見ました。
本朝はモーセがどういう過程を経て神さまに用いられるようになったのか。それは簡単なものではありませんでした。説教題を「モーセの葛藤」と題しました。モーセは本当に苦しんで、神さまの器とされていく過程を見てまいります。
今週の聖句を「エペソ人への手紙4章26節としましたが、4章をご覧ください。26節だけでなく、続けて拝読したいと思います。

怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。(エペソ4:26〜30)

エペソの教会に宛てられた手紙です。その内容に驚きませんか? このようなことが書かれていたということは、エペソの教会にはこのような人がいたということでしょう。盗みをしている者、悪いことばを話す人などです。神さまの聖霊を悲しませている人もいたのでしょう。
本朝はエペソ4:26〜27「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」を心に覚えておきたいと思います。

私たち人間にとって、怒りはごく自然の感情であり、怒らない人はほとんどいないと思います。怒ってはいけないということではありません。ただ、神さまの怒りは聖なる怒りであって、私たちの怒りはあまり考えもしないで怒ってしまう、自己中心的な怒りです。それによって悪魔に機会を与えることになってしまうと聖書は言っています。信仰のある者が憤っていると、悪魔は喜ぶのです。さらに怒りの火を焚きつけてきます。それは神の教会に大きなダメージを与える悪魔の策略です。ですから、怒ることがあっても罪を犯さないように、その日のうちにおさめることが大切です。怒ったまま翌日を迎えてはいけません。

あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。(創世記4:7)

私たちは怒ることがあっても、ずっと怒っていてはいけません。その日のうちに解決するのです。しかし私たちは翌日に持ち越してしまうことが常ではないでしょうか。そういったことも悪魔に機会を与えていることになってしまいますから、ぜひ気をつけたいと思います。

 

1.モーセの過ち

聖書には、モーセの幼年〜青年時代のことが記されていません。ただ、モーセが生まれた時、母は「かわいい」という表現がありますから、見た目がかわいかったのでしょうが、それに加えてモーセの母らしい考えもあったのではないでしょうか。この子は殺してはならない、神さまの役に立つように、という思いが少なからずモーセの母の中にあったのではないかと思います。

モーセは王家の子どもの一人として、エジプトのあらゆる教育が授けられました。使徒の働き7章を開いてください。この箇所を参考までに見てみましょう。

このようなときに、モーセが生まれたのです。彼は神の目にかなった、かわいらしい子で、三か月の間、父の家で育てられましたが、ついに捨てられたのをパロの娘が拾い上げ、自分の子として育てたのです。モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、ことばにもわざにも力がありました。四十歳になったころ、モーセはその兄弟であるイスラエル人を、顧みる心を起こしました。そして、同胞のひとりが虐待されているのを見て、その人をかばい、エジプト人を打ち倒して、乱暴されているその人の仕返しをしました。彼は、自分の手によって神が兄弟たちに救いを与えようとしておられることを、みなが理解してくれるものと思っていましたが、彼らは理解しませんでした。翌日彼は、兄弟たちが争っているところに現われ、和解させようとして、『あなたがたは、兄弟なのだ。それなのにどうしてお互いに傷つけ合っているのか。』と言いました。すると、隣人を傷つけていた者が、モーセを押しのけてこう言いました。『だれがあなたを、私たちの支配者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、私も殺す気か。』このことばを聞いたモーセは、逃げてミデアンの地に身を寄せ、そこで男の子ふたりをもうけました。四十年たったとき、御使いが、モーセに、シナイ山の荒野で柴の燃える炎の中に現われました。(使徒7:21〜30)

この続きは次週学ぶところとなります。今日は、ミデヤンの地に逃れて、それから約40年間、ミデヤンの祭司に仕えたというところまでがメッセージの範囲となります。ステパノはこのようにモーセのことを語っています。そのことが理由でステパノは石打ちの刑にあって殺されてしまいました。ステパノは最初の殉教者です。
モーセはエジプトの最高の教育を受けました。また、宮殿で育ちましたから、音楽などにも慣れ親しんで成長していったのだと思われます。

いつしか、モーセは自分がエジプト人ではないことを知ります。モーセが40歳になり、言葉にもわざにも力ある者となりました。そして自分の同胞であるヘブル人に対するエジプト人の扱いに反感を抱くようになりました。モーセはパロの娘の子としてそれに目をつむり、自分の地位と名誉を求めることも出来たはずです。しかし

信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。(ヘブル11:24〜25)

王室で育ちましたが、パロの娘の子と呼ばれることを嫌いました。そして同胞であるヘブル人に対するエジプト人による虐待を目撃し、そのエジプト人を殺してしまいました。自分はヘブル人であるという自覚が芽生えてきました。翌日、今度はヘブル人同士の争いの中に仲裁に入りましたが、その相手から意外なことを聞きました。それは、昨日の殺人事件の目撃者がいたということでした。モーセはその殺人を誰も見ていなかったと思っていました。モーセはエジプトで育ったけれど自分はエジプト人ではないことが分かりました。ヘブル人であることを知り、ヘブル人を助けようとしたけれども受け入れられませんでした。パロはモーセを殺そうと

パロはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜し求めた。しかし、モーセはパロのところからのがれ、ミデヤンの地に住んだ。彼は井戸のかたわらにすわっていた。(出エジプト2:15)

モーセはエジプトにいられなくなりました。さらに同胞であるヘブル人にも受け入れられてもらえませんでした。いる場所がなくなったモーセはエジプトから見ると東にあるミデヤンの地に逃げました。

 

2.荒野でのモーセ(荒野での訓練)

さて、ミデヤンについて、私たちはどれくらいのことを知っているでしょうか? 創世記25章を開いてください。

アブラハムは、もうひとりの妻をめとった。その名はケトラといった。彼女は彼に、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデヤン、イシュバク、シュアハを産んだ。ヨクシャンはシェバとデダンを生んだ。デダンの子孫はアシュル人とレトシム人とレウミム人であった。ミデヤンの子は、エファ、エフェル、エノク、アビダ、エルダアであって、これらはみな、ケトラの子孫であった。(創世記25:1〜4)

ミデヤンとは、アブラハムの子どもの中の一人です。それがやがてミデヤン人を構成していきます。西はシナイ山、北はモアブとアモン、南は葦の海に至る地、それがミデヤンの地でした。エジプトとカナンとの通商貿易の役目を果たす、半遊牧民によって占有されていた地でした。ここにモーセは逃げました。そこで出会ったのがミデヤンの祭司「レウエル」です。次の出エジプト記3章には次のように記されています。

モーセは、ミデヤンの祭司で彼のしゅうと、イテロの羊を飼っていた。彼はその群れを荒野の西側に追って行き、神の山ホレブにやって来た。(出エジプト3:1)

このことから、「レウエル」と「イテロ」は同一人物だったことが分かります。「イテロ」とは、祭司職での名前だったようです。

レウエルの娘たちが井戸に水を汲みにやってきました。井戸で水を汲み、また羊に水を飲ませていた時、悪者の邪魔が入りました。これはいつもの光景だったようです。レウエルが娘たちの思わぬ早い帰りに驚いているからです。

ミデヤンの祭司に七人の娘がいた。彼女たちが父の羊の群れに水を飲ませるために来て、水を汲み、水ぶねに満たしていたとき、羊飼いたちが来て、彼女たちを追い払った。すると、モーセは立ち上がり、彼女たちを救い、その羊の群れに水を飲ませた。彼女たちが父レウエルのところに帰ったとき、父は言った。「どうしてきょうはこんなに早く帰って来たのか。」(出エジプト2:16〜18)

娘たちは事の次第をレウエルに話しました。

彼女たちは答えた。「ひとりのエジプト人が私たちを羊飼いたちの手から救い出してくれました。そのうえその人は、私たちのために水まで汲み、羊の群れに飲ませてくれました。」父は娘たちに言った。「その人はどこにいるのか。どうしてその人を置いて来てしまったのか。食事をあげるためにその人を呼んで来なさい。」(出エジプト2:19〜20)

モーセは、思い切ってこの人といっしょに住むことを決断しました。

モーセは、思い切ってこの人といっしょに住むようにした。そこでその人は娘のチッポラをモーセに与えた。(出エジプト2:21)

モーセは荒野のミデヤンの地、レウエルの元で40年間暮らしました。大変な毎日だったと思います。
そこではエジプトの王宮では学ぶことができなかった訓練が与えられました。そのこと自体、モーセは気づいていなかったかもしれませんが、すべてをご存知の神さまは、エジプトの地で一度失敗しているモーセに対し、40年間という訓練を与えられました。
レウエルですが、祭司イテロと記されていますが、どんな神の祭司あったかは分かりにくいです。

イテロは言った。「主はほむべきかな。主はあなたがたをエジプトの手と、パロの手から救い出し、この民をエジプトの支配から救い出されました。今こそ私は主があらゆる神々にまさって偉大であることを知りました。実に彼らがこの民に対して上遜であったということにおいても。」モーセのしゅうとイテロは、全焼のいけにえと神へのいけにえを持って来たので、アロンは、モーセのしゅうととともに神の前で食事をするために、イスラエルのすべての長老たちといっしょにやって来た。(出エジプト18:10〜12)

イテロはアブラハムの子どもですから、信仰的なことは受け継いでいたものと思われます。全焼のいけにえをささげたり、いけにえを持ってやって来ることなど、祭司として当たり前の事としてやっていたのだと思います。しかしどの程度、アブラハムの神さまを知っていたから不明ですが、ある程度それに準じた祭司としての役割を果たしていたのではないかと思います。出エジプトの出来事を通して、主がすべての神々に勝っていることを認めており、全焼のいけにえをささげていることから、アブラハムの信仰を受け継いでいたものと思われます。イスラエルにとってはミデヤンとは異邦人の存在ですが、ミデヤンにはアブラハムの子孫であるという自負があったのではないでしょうか。

モーセは40年間、ミデヤンの祭司のもとで暮らしました。40歳でエジプトでの出来事が起こりミデヤンの地に入り、40年の訓練を受け、モーセが80歳の時に神さまからの命令がくだりました。このことを考えると、私もぼやぼやしていられないなぁと思います。それは、神さまはモーセが80歳になってから、「エジプトの地へ行き、わたしの民を約束の地に導き上りなさい」とのご命令をモーセに下されたのですから!

神さまはモーセに、荒野で様々な訓練を与えられました。

 

3.神、イスラエルに目をとめられる

それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエル人は労役にうめき、わめいた。彼らの労役の叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを留められた。(出エジプト2:23〜25)

モーセはミデヤンの地に40年間いて、神さまからの訓練を受けていた一方、エジプトにいるイスラエル人は、依然として苦役に苦しんでいました。そんな中、エジプトの王は死にました。そしてイスラエル人の叫びが神さまに届きました。

聖書はイスラエル人がエジプトに430年間いたと記しています。最初は70人という少人数でエジプトに入ったイスラエル人は、430年間という奴隷生活の中、人口的にも増えました。

神さまはイスラエル人の嘆きを聞き、彼らを救い出そうとされました。そのために指導者モーセという人物を立てられました。ところがモーセは失敗しました。自分はエジプト人でもない、同胞のイスラエル人にも受け入れられない。仕方なくミデヤンの地に逃れました。神さまはその地で40年間モーセを訓練されました。40年間の訓練を終え、モーセが80歳の時に、神さまは再びモーセを召し出しました。

まとめてみましょう。ミデヤンに逃れる前、モーセは自分の考えで勝手にことを行いました。神さまとは関係なく、自分がエジプト人でないということが分かり、エジプト人がイスラエル人を虐待しているところに介入して、エジプト人を殺してしまいました。自分はイスラエル人だという自負心があったのですが、翌日イスラエル人同士で喧嘩をしている仲裁に入った時、イスラエル人にも受け入れられないことを知りました。仕方なくモーセはミデヤンの地に逃れました。それらは、全く神さまにおうかがいをたてずに、モーセが勝手にしてしまったことでした。祈らずにしてしまったモーセの失敗でした。そこにモーセの葛藤がありました。しかし神さまは、逃れたミデヤンの地での40年間にわたる訓練をお与えになりました。次週見てまいりますが、モーセが80歳になったとき、神さまはモーセを召し出しました。それは神さまのみこころによってモーセをこのように導かれたことによるものでした。

私たちも、今やっていることは本当に神さまのみこころにかなっていることなのか、中々理解することができません。失敗もします。しかし神さまは、最終的に私たち一人ひとりを用いてくださいます。神さまは全能のお方です。すべてご存知のお方です。すべてお見通しです。私たちが何かのことに対して怒ってしまっていても、そのまま翌日を迎えてはいけないよ、とやさしく語りかけてくださる神さまがおられます。

イスラエル人は「この苦役から私たちを救い出してください!」と叫び続けました。その声を神さまは天でお聞きになりました。やがてモーセが登場しました。すべて「神さまの時」でした。

モーセには帰属意識が定かではありませんでした。エジプトにも、イスラエルにも、ミデヤンにも。しかし、主の召命に従う中で、誠実な帰属が与えられました。それは「天にふるさとを持つ民への帰属」です。ヘブル人への手紙11章23〜29節にもう一度モーセのことが記されています。

信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした。信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。信仰によって、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです。信仰によって、初子を滅ぼす者が彼らに触れることのないように、彼は過越と血の注ぎとを行ないました。信仰によって、彼らは、かわいた陸地を行くのと同様に紅海を渡りました。エジプト人は、同じようにしようとしましたが、のみこまれてしまいました。(ヘブル11:23〜29)

私たちは「もう年だから・・・」と言ってはいられません。私たちにも、80歳になってから神さまからの偉大な召しがあるかもしれません。

ところで、モーセはミデヤンの地で生まれた自分の子どもに「ゲルション(私は外国にいる寄留者だ)」と名づけました。モーセがそんな名前を付けたのは、自分がミデヤンに100%受け入れられていないという思いがあったからでしょう。モーセは80歳になってやっと自分が何者であるのかを確信できました。それでもモーセは、なかなか神さまのご命令に素直に従えない人物でした。私も含め、人は年を取るとなかなか素直になれません。あの時はこうであったとか、色々と反発していまいます。それが神さまのみこえであることを知りながらも、なかなか従えない。若いうちには若いうちの葛藤もありますので、なかなか素直になれません。モーセは80歳になって召しに応えられたのですから、幸いな人と言えるかもしれません。それはまた来週みてまいりましょう。