日本同盟キリスト教団|長野聖書教会

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2017年1月22日 主日礼拝「最初の弟子たち」

    

本日の聖書箇所

ヨハネの福音書1章35〜51節

説教題

「最初の弟子たち」

今週の聖句

わたしに従って来なさい。

 

訳してみましょう。

1861 When we bend our knees to pray, God bends His ear to listen.
(私たちが祈るために膝を曲げる時、神は聞くために耳を傾けてくださる。)

1862 Nothing can shake those who are secure in God’s hands.
(何ものも、神の手の中にいる者を揺るがすことはできない。)

 

説教メモ

物事には、すべてに始まりの時があります。今日は初めてイエス様にお会いし、イエス様にお従いした弟子たちの姿を学びます。

 

1.フローレンス・ナイチンゲール

皆さんも良くご存知のナイチンゲール。彼女が生まれたのは1820年5月12日、イタリアのフィレンツェで生まれました。お父さんは英国の貴族で、休暇のためにフィレンツェに滞在しており、そこで彼女が生まれました。旅の途中で生まれたので「フローレンス」という名を付けたそうです。彼女は幼少の頃からとても心の優しい人でした。犬や猫などの動物もとても可愛がり、もし怪我や病気などしていれば親身になって介抱していました。動物ばかりでなく、人に対しても同じでした。誰かが病気だと聞けば見舞いに行くなど、非常に心の優しい人でした。
17歳の時、世の人々のために奉仕をするようにとの神さまの導きを聞き、自分はどのようなかたちで奉仕をしたら良いのかを祈り求めました。彼女は様々な勉強もしました。統計学や建築関係も学びました。彼女はやりたいことが沢山ありました。病気の人に対して、貧民に対して、監獄の人に対して…。その中で最も強く迫ってきたのは病人の姿でした。当時は看護師制度のようなものはありませんでした。当時はお粗末な治療が行われていた中で、病人を介護することこそが自分に与えられた使命であると確信しました。1851年、ドイツのある田舎町で実際に介護の経験ができました。その二年後、その経験が認められ、ロンドンにある救護院を立て直す仕事に携わり、見事にそれを成し遂げました。
1854年にクリミア戦争が勃発すると、転機が訪れました。ロシア帝国がトルコに攻め込んできました。トルコを支援しようとイギリスや西欧諸国が参戦しました。その争いの中、多くの傷ついた人々が埋め尽くす野戦病院の様子が伝えられました。手当を受けられずに死にかけている人、苦しみ呻いている様子が報道されると、彼女はじっとしていられなくなりました。そこで彼女は陸軍大臣に手紙を出し、「私は看護婦として出かけましょう」と申し出ました。その年の10月21日、自らが看護婦長なり、18人の看護婦を引き連れてクリミアに出発しました。そこで朝早くから夜遅くまで負傷した兵士のために働きました。その戦争は二年ほどで終わりました。イギリスでは彼女のクリミアでの働きが知らされており、その帰りを国を挙げての歓迎ムードの中で待っていました。政府は、今で言う何億円ものお金を用意し彼女に与えました。そのお金を使って、聖トーマス病院に「ナイチンゲール看護学校」を設立しました。
彼女が看護婦として働いたのは2〜3年ほどだったようです。ほとんどは看護学校のために尽力したようです。その素晴らしい働きのお陰で、世界中の赤十字には彼女の功績をたたえる碑が建てられています。

 

2.アンデレ、ヨハネ

何事にも「出発点」というものがあります。ナイチンゲールの出発点、みなさんそれぞれの出発点があります。「わたしに従いなさい」というイエス様の御声を私たちは生涯の中で何回も聞きます。そして私たちはその都度悔い改めて、イエス様に従おうと決心をするのです。

今日の聖書箇所には、イエス様に最初に従った弟子たちのことが記されています。彼らはイエス様の召しに対して不完全ではありましたが、信仰告白をもって応答し、そしてイエス様に従って行きました。召しに続いてイエス様を証しする者へとなって行きました。
彼らには私たちとかわらない欠点のようなものが多々あり、私たちと何ら変わらない人間でした。しかし大切なのは、イエス様の召しに即座にこたえることができた人たちだったということです。

「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」
(ルカ9:62)

私も農業をやっていましたから経験があるのですが、手を鋤につけて脇見することはできません。牛や馬が引っ張っていくので、曲がったりしないようにいつも見ていなければなりませんでした。

最初に出てくるのはアンデレとヨハネです。「ベツサイダ」という地名が出てきます。ベツサイダとは、死海からヨルダン川を遡り、ガリラヤ湖に行き、さらに北の方にガリラヤ湖にそそぐ川が伸びており、そのあたりにベツサイダという町がありました。ベツサイダという言葉には「漁師の家」という意味があるそうです。おそらくその地域は異邦人も入り交じり、厳格なパリサイ人も多くいました。そのような地でした。

またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていた。」
(ヨハネ1:35)

このふたりの弟子。一人は1:40に記されているとおり、シモン・ペテロの兄弟「アンデレ」で、もう一人はヨハネの福音書の記者の「ヨハネ」です。文章から見て、このふたりはバプテスマのヨハネの弟子だったようです。師であるバプテスマのヨハネが言いました。

「身よ、神の小羊」
(ヨハネ1:37)

という言葉を聞き、バプテスマのヨハネの弟子であった二人は、この時からイエス様に従い始めました。

イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ。今どこにお泊まりですか。」
(ヨハネ1:38)

彼らはこの時、自分で何を言っているのか分からなかったのだと思います。ただ、イエス様が泊まっておられるところを尋ねました。

イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らはイエスといっしょにいた。時は第十時ごろであった。
(ヨハネ1:39)

彼らはイエス様が泊まっておられるところまでついて行きました。「ついて行った」とは「従って行った」と訳せるギリシャ語が使われています。

さて、翌日のことです。

彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト・イエス)に会った」と言った。
(ヨハネ1:41)

シモンは、アンデレにしてみれば兄です。その兄をイエス様のもとに連れて行きました。

彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンを目に留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」
(ヨハネ1:42)

 

イエス様は神の子ですから、シモンのことをよくご存知でした。ですから見た瞬間に、「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」と仰いました。また他の箇所では

ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。
(マタイ16:18)

と仰いました。ヨハネの子シモン=ケパ(訳すとペテロ)、ペテロ=岩です。すべてをご存知だったイエス様が、最初に会った時から彼をペテロと呼ぶことにしてありました。実際イエス様が「ペテロ」と呼んでいるところは非常に少ないです。「ケパ」というのはアラム語であり、ギリシャ語訳が「ペテロ」になります。
ペテロは「ケパ」と呼ばれたり、「シモン」と呼ばれたり、「シメオン」と呼ばれたこともありました。

3.ピリポ、ナタナエル

ピリポですが、共観福音書をみると、十二弟子の中にピリポという名前が書かれているわけですが、それ以上のことはあまり書かれていません。しかしヨハネの福音書では2〜3回登場しています。ピリポもまたベツサイダ出身の人で、おそらく彼はペテロやアンデレを知っていたと思われます。彼もまたイエス様に従いました。

次に「ナタナエル」が登場します。彼はヨハネの福音書のみに登場します。ピリポという名前と併記されていることから、共観福音書に出てくる「バルトロマイ」と同じ人物ではないかと考えられています。

ナザレがあるガリラヤ地方には異邦人がたくさんいました。昔、北に捕囚として連れて行かれ、様々な政策の一つとして人々を移動させました。ガリラヤ地方も人が移動させられ、純粋なユダヤ人が少なかったようです。ですから厳格なユダヤ人は、このガリラヤから預言者が出るはずがないと軽蔑していました。ナタナエルはこのように言い放っています。

「ナザレから何の良いものが出るだろう。」
(ヨハネ1:46)

このように言い放った人を、ピリポは

「来て、そして、見なさい。」
(ヨハネ1:46)

と言い、イエス様のところに連れて行きました。
ご自分のほうに向かってくるナタナエルを見て、イエス様は仰いました。

「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」
(ヨハネ1:47)

そう言われたナタナエルは驚きました。「なぜ私をご存知なのですか」。

「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」
(ヨハネ1:48)

このことばを聞いてナタナエルは

「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
(ヨハネ1:49)

と答えました。それに対してイエス様は

「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きなことを見ることになります。」
そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」
(ヨハネ1:50〜51)

この前の箇所に、イエス様が洗礼を授けられ、天が開けて御霊が降るところがあります。その後にこのことが書かれているので、これからイエス様の生涯において、「天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見」ることになるのです。しかしそのような描写はこの後も出てきません。しかし、イエス様が神の子であるということは、この後だんだんと分かってくることでした。

バプテスマのヨハネは、自分の弟子であったアンデレとヨハネにイエス様を紹介しました。
アンデレは兄のシモンを見つけて、「私たちは救い主に会った」と言、イエス様に引き合わせました。
ピリポはナタナエルにイエス様を紹介しました。
ここに私たちのあるべき姿を学ぶのべきなのではないでしょうか。
イエス様の召しに応える者にとって、イエス様を証しすることはごく自然のことです。

今日の記事を読んで、若い人は「なるほどな」と思うと思います。しかし、イエス様の召しに応えようとする時、自分の年齢を考え、「私はもうこんな年だから」と思う方もおられるかと思います。しかし年齢は関係ありません。

私はクリスチャンになってから20年後に、神さまの特別な導きに従い献身し、神学校に行きました。40歳の時でした。神学校に行くと同学年では私が最年長でした。一番若い人は二十歳そこそこ。平均では20歳代でした。でも、先輩の中には60歳近くの方がおられました。当時は55歳が定年の相場となっており、その方は退職してからの献身でした。そういう人もおられるのです。その年齢になっていても、ただ生涯イエス様に従うのだということではなく、献身、つまりその生涯を全て神さまに献げるということです。そこに年齢というものは関係ありません。もし「自分はもうこんな年だから」とお思いの方がおられるならば、その考えは捨ててください。

旧約聖書には「全焼のいけにえ」というものがあります。それは携えてきた生け贄をすべてを神さまにお献げすることです。全部燃やしてしまって、自分たちには何も残りません。現代の私たちに当てはめるならば、私たちが神さまの、イエス様の愛に感動し、救いを一生涯かけて多くの人に宣べ伝えようと決心し献身する。牧師に、また宣教師になる。それは全焼のいけにえに等しいものだと思います。他の人は「罪と罪過のいけにえ」は、そのまま新約聖書にどのように引き継がれてきたのか分かりませんが、今日のみことばの通り「わたしに従って来なさい」とのイエス様の御声を聞き、その都度、その都度、神さまに従って行くかたちがあるのだと思います。
皆さんがこれからどう導かれるか。牧師になるのか、宣教師になるのか。CS教師として、音楽の指導をすることによって教会に献身するのかなど。献身には様々なかたちがあります。

そして、献身には様々な段階があります。初めて福音を聞いて素晴らしいイエス様の存在を知って信じ、そして従う。それが第一段階でしょう。それは一度ばかりではありません。それからあるときになると、また思いを新たにイエス様に従うという思いに駆られる時があります。

新たな人生の決断。神さまの召しに私たちが応える時、その決断の機会は様々でしょう。イエス様の弟子たちもまた、弟子としての歩みの初期の段階で決断を迫られました。そして大切なのは、イエス様に従うのだという決断です。

ただ自分たち自身だけの「従う」ではなく、兄弟や友など、身近な人をイエス様のところにお連れする、そのような役割が私たちにあるのです。私たちは他の人より一足先に救われました。ですからこの素晴らしい救いを、他の人に伝えて行く、紹介して行かなければなりません。そういう役割が一人ひとりにあるのです。
直接献身ではなくても、救われた魂は、その喜びを他の人に伝えていく役割があります。それは非常に尊い役割です。先に救われた者の務めでもあります。そして神の御国の働きに参与していくのです。
これから何度も何度も「わたしに従いなさい」との御声を聞くだろうと思います。新しく献身する。あるいは大学生であれば卒業して社会人となり、そこでどのようにイエス様に従ったら良いのかを見ていったら良いと思います。

私がアメリカで通っていた教会の牧師は、元電気技師でした。彼はもっと高いレベルの勉学を目指し、アメリカで最も有名なマサチューセッツ工科大学を目指し、カリフォルニアからマサチューセッツ州に旅立ちました。彼はぼろぼろの自分の車を運転し、大学へ向かっていました。その旅の途上で主に招かれました。「あなたはわたしに従いなさい。」すると彼はすぐさまその招きに応え、カリフォルニアにUターンし、神学校に入学したのです。そして牧師になりました。その教会に私は集っていました。その牧師がご自身の体験から「たとえ自分が学んだことがあったとしても、それが一生の仕事になるとは限らない。」とお話ししていました。人生の途上で、どのような導きがあるか分かりません。是非みなさんは、その都度祈って決断していただきたいと思います。