日本同盟キリスト教団|長野聖書教会

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2017年4月2日 主日礼拝「不当な裁判」

    

本日の聖書箇所

マタイの福音書26章57〜27章31節

説教題

「不当な裁判」

今週の聖句

キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

ペテロの手紙第一2章22節

 

 

訳してみましょう。

1881 Never fear criticism when you’re right; never ignore it when you’re wrong.
(あなたが正しいとき、批判を決して恐れるな。あなたが間違っているとき、決して無視してはならない。)

1882 To know God’s truth is to be fortified against the devil’s lie.
(神の真実をを知ることは、悪魔の嘘に対して強くされることです。)

 

 

説教メモ

1.スポルジョン

一度は聞いたことのある名前だと思います。私もクリスチャンになってから様々な機会に聞いてきました。私の中での強い印象は「名説教家」説教が上手だったということです。スポルジョンは57歳で召されたのですが、彼が召された時、約6万人の人々が弔問に訪れたそうです。
スポルジョンは「プリンス・オブ・スピーチス」と言われていました。誰が聞いても分かるような説教をしました。また彼にはモットーとしていたことがありました。「Jesus died for me. —イエス様が私のために死んでくださった」。これが彼のモットーでした。そのことをメッセージで語りました。
私はそこにもう一つ加えたいのです。それは「私もイエス様とともに死んだのだ。私もイエス様とともに十字架に架けられた」こう主張したいのです。イエス様は私のために死んでくださった。私もイエス様とともに死んだのだ。私の過去はイエス様の十字架とともに葬り去ってしまったのだ。私はこのことを私のモットーとして生きております。

チャールズ・ハッドン・スポルジョン(Charles Haddon Spurgeon, 1834年6月19日 – 1892年1月31日)
彼はイギリスでお爺さんとお父さんが牧師の家庭に生まれました。生まれてから5〜6歳くらいまではお爺さんに預けられていました。6歳くらいで父親の元に戻り、そこから初めて学校に通うようになりました。彼は非常に成績が良く、飛び級で最上級に進みました。
14歳の頃になると次第に自分の罪に対して悩むようになりました。神さまに対しても不信仰な思いになり、深い苦しみを味わっていました。16歳になった1月13日の日曜日は大変な吹雪でした。そのためにいつもと違う近くのメソジスト教会の礼拝に出席しました。彼は会堂の左側にある3番目の椅子に座り、周りを見渡すと12名あまりの信徒が賛美していました。牧師が来ないため、一人の痩せた信徒が前に立ち、聖書を読み始めました。それは「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。」(イザヤ45:22)のみことばでした。それからその信徒は、単純で素朴な説教を始めました。そしてスポルジョンだけを見つめるようにして、「若者よ、君の心には罪の苦しみが宿っている。もし君が今日、このみことばに従い、十字架の主を見上げないならば、今も、そして後もただ悲惨な生涯が待つだけだ。しかし今、このみことばに従うなら、その瞬間に救われるのです。」それから両手を高く上げ、「若者よ。イエス・キリストを見よ、見よ、ただ見上げよ。このほかに君の成すべきことは何もない。ただ見上げて救いを得よ」。このことばに16歳のスポルジョンは心突き刺され、ただ罪と暗黒び閉ざされた心に光が差し込み、救いの喜びに満たされました。
17歳の時に彼は洗礼を受けました。神さまに従って行くことこそ自分の進むべき道であるとの確信が与えられました。彼はある学校の教師として働きながら、熱心に伝道をしました。そればかりか、信徒伝道団に加わり16歳で最初の説教をする機会がやってきました。それはケンブリッジでのある家庭集会でのことでした。これが「説教王」と呼ばれたスポルジョンの始まりでした。それから一年もしないうちに、立派な説教者として活躍していました。
17歳になったばかりの1850年、ウォータービーチ村の小さな教会から彼に牧師としての招聘がありました。この村は「イギリスで最も堕落した村」と呼ばれており、酒やギャンブルなどあらゆる罪悪がはびこり、教会に来る者はほんの少数でした。しかし彼の伝道は熱烈で、誰に対しても恐れることなく大胆に神のみことばを宣べ伝えました。それから3年間の間に、村の人々はすっかり生まれ変わりました。教会は村人で満ち溢れ、神への感謝と賛美に包まれた素晴らしい集会となりました。
20歳の頃、神さまは大いなる道を彼の前に開かれました。当時の世界の中心都市、ロンドンの大教会と呼ばれた「ニュー・パーク・ストリート・バプテスト教会」に招かれました。1,200名も入る会堂に当初200名ほどしか礼拝出席者がいませんでした。そこで彼は福音を単純明快に語り、人々は目を覚まされ、集まる人々が増えていきました。わずか20歳でその大教会の正式な牧師となりました。彼の説教は評判となり、大会堂は空席一つ見当たらないほどでした。しかし、それを見て快く思わない人々がおり、新聞記事に批判記事を掲載しました。
当時、ロンドンではコレラが流行しており、彼は毎日、死体を葬ったり病人を訪ねたりと、休む間もなく奉仕しました。自分自身も疲労が重なり、自分もコレラで死んでしまうのではないかと不安に陥りながらも、足を引きずりながら町を歩いていると、一枚の紙が宙を舞って降ってきました。その神には詩篇91編が書かれており、これが彼に深い平安と神に対する強い確信を与えました。それによってたちまち新しい力に満たされ、今まで以上に良い奉仕に励むことが出来ました。
様々な試練を乗り越えたスポルジョンは、ますます主によって用いられました。殊に夜の伝道会では会場に入りきれない人々が押し寄せました。3年の間に数千人が救いに導かれました。スポルジョンのこのような働きに大きな教会は何度も増改築を重ねたにもかかわらず手狭になり、1861年3月、彼が21歳の時に新しく ロンドン南部のニューイントンに6,000人も収容できる大教会を建設。これより30年間、その大会堂で説教が続けられ、教会に加えられた人は13,179名にもなりました。
スポルジョンは大学教育を受ける機会はありませんでしたが、多方面にわたるる知識の広さ深さは誰にも劣らず、彼の読書量と読書力はイギリス随一と言われました。彼の説教を聞くために多くの政治家、教育者、学者、貴族、また一般民衆とあらゆる階級の人々が集いました。彼は大学や孤児院を創設したりと様々な働きをしました。
16歳で救われて以来、主に用いられた彼は1892年1月、わずか58歳にして天に召されました。

 

 

2.6つの裁判

今日の聖書箇所で、正式ではない6つの裁判が行われました。それはすべて不当な裁判でした。そのことを見てまいりたいと思います。

4つの福音書を総合すると6回の裁判になります。そのうちマタイの福音書が記しているのは二つだけです。まずマタイの福音書26章57節あたりから見てまいりましょう。

イエスをつかまえた人たちは、イエスを大祭司カヤパのところへ連れて行った。そこには、律法学者、長老たちが集まっていた。
(マタイ26:57)

ここではまずカヤパのところに連れて行かれたと記されています。しかしヨハネの福音書を見ると、その前に大祭司アンナスの元に連れて行かれたことが記されています。大祭司が二人いたことは歴史上珍しいことでした。アンナスはカヤパの舅(しゅうと)にあたり、完全に引退していなかったようです。ユダヤ人の中では未だに幅をきかせていました。それでまずアンナスの元に連れて行かれました。そして次にカヤパのところに連れて行かれ、そこにはサンヘドリン(70人議会と呼ばれる)の議員たちが集まってきました。しかし70人全員ではなかったようです。少なくともイエス様を密かに信じていたアリマタヤのヨセフとニコデモはいませんでした。

第一回目はアンナスのもとで。第二回目はカヤパとサンヘドリンの前で。第三回目はマタイ27章での夜明け直後の裁き。第四回目はピラトの前で。第五回目はヘロデ・アンテパスのもとに送られて。そして第六回目はピラトのもとに再び送り返され、十字架の判決となりました。

マタイの福音書26章57節から、六つの裁判のうち三つはユダヤ人側の裁判、三つががローマ側の裁判でした。当時の歴史を見てみると、ローマの支配下にあったユダヤではユダヤ人が誰かを死刑にすることはできませんでした。ただ宗教上の問題で誰かを「石打ちの刑」に処することは許されていました。その場面は聖書に何度か登場します。
しかし、十字架につけるにはローマの裁きでの判決が必要でした。サンヘドリンでの裁きでは不十分だったのです。それで彼らはイエス様をピラトの元に送るわけです。

マタイの福音書27章11節からはピラトのもとでの裁きとなります。
ピラトはイエス様を釈放したかったようです。何とかしてイエスという人を解放してやりたかった。ところがある圧力に負けてしまいました。ピラトが一番恐れたのは人々の間で起こる「暴動」でした。暴動が起こると自分の首が危なくなります。つまり総督という職を失うことになります。それを恐れたピラトは群衆の圧力に負けてしまいました。

そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」
(マタイ27:24)

一つの奥の手として、「その祭りには、群衆のために、いつも望みの囚人をひとりだけ赦免してやっていた。」という慣習を利用してイエス様を解放しようとしました。イエス様とバラバとを群衆の前に出し、どちらを解放して欲しいのかと問いました。すると群衆は「バラバだ!」と叫びました。ピラトはイエス様をむち打ってから解放したいと考えていましたが、それが出来なくなりました。

私たちの社会でも気の弱い人がいますね。正しいことが分かっていながら、他の圧力に負けてしまう。仕方なく流れに任せてしまうことが良くあるのではないでしょうか。ピラトも自分の首、職を失ってしまうことの方を恐れ、群衆の圧力に負けてしまいました。

 

 

 

3.イエスの真実

最後の場面でイエス様は本音を語られます。

そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに上利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」
しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」
イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
(マタイ26:62〜64)

「あなたはキリストと言われているが、そうなのか」。その問いに対してイエス様は否定されませんでした。「あなたがそう言ったのだから、そうなのだろう」という意味合いで答えられました。

六つの裁判において、今の私たちの裁判制度と比べて不思議な点があります。
不当な裁判でしたから、あらゆることにおいて不当ではありました。夜明けに誰かを逮捕することなど当時の法律においては違反でした。予告無しに裁判が行われ、判決が即刻くだされたということも不当な点です。当時の習慣では、サンヘドリンでの裁きが行われたら、後日、三日の後に再び集まり、若い議員から順番に自分の考えを言い、そして最終的に総意をもって判決がくだされるという順序がありました。それが無視されました。さらにイエス様には弁護人もいませんでした。その点が今の裁判制度と比べて不思議に思う点です。

さらに、これは子どもが父親を裁くようなものです。イエス様は創造主です。そのイエス様が被造物である人間が裁いているのです。普通ではあり得ないことです。

このように、あらゆる点で「不当な裁判」でした。しかしながらイエス様は百も承知で、ゲッセマネの園で祈られました。

「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
(マタイ26:39)

イエス様は父なる神のみこころを求めて祈られました。ゲッセマネでのイエス様の悲しみ、苦しみ。これから十字架について肉体的に苦しむ。もちろんそれもあるかもしれませんが、もっともっとイエス様を苦しめたこと。それは

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
(マタイ27:46)

この叫びでした。
父なる神から完全に見捨てられる。断罪される。それが御子イエス・キリストには耐えがたいことでした。父なる神のみこころが成し遂げられるために、それも体験しなければならないこと。それによって父なる神から完全に見捨てられる。断罪される。これほど苦しいことはありませんでした。それゆえイエス様は血の汗を流され祈られました。あのゲッセマネでの祈りがありました。

イエス様にとって不当な裁判はあってもなくても良かったのかもしれません。しかし私たちはこのところを見て、イエス様の裁判が本当にひどいものであったことを知る必要があります。

 

裁判の中でもう一つ私たちが気付いておくべきこと。それはイエス様は沈黙を守られたということです。
イエス様は祭司長たちや長老たちのどんな問いに対しても沈黙を守られました。それはピラトにとって、いつも見慣れている犯罪者たちの姿と違って、非常に驚くべきことでした。彼はイエス様に罪がないことを知っていました。そして目の前のイエス様の姿や彼の妻の言葉からもその確信はますます深まっていきました。しかしイエス様を死刑にしようとし、益々高まるユダヤ人の群衆の圧力には勝てませんでした。ピラトとしては偽りの判決を下すまいと努力しました。しかし激しい群衆の叫び「十字架につけろ! 十字架につけろ!」その声に負けてしまいました。ついに死刑の判決を下してしまいました。

ピラトにはピラトの思いがあった。パリサイ人や律法学者たちには思いがあった。心の中に燃えさかる妬み。

私たちの心の内に、ピラトが犯したような罪はないでしょうか。
また、群衆が犯したような罪はないでしょうか。
あるいはパリサイ人や律法学者たち、権力者たちが犯したような罪はないでしょうか。
私たちも日々の生活の中で、そのようなことを問われ、確かめられていくことになるのではないかと思います。

私たちの社会には「空気を読む」ということがあります。誰かにある一定の配慮は必要です。しかし時と場合によっては雰囲気がどんなに悪くなるとしても、私たちは愛をもって真理を語るべきこと(エペソ4:15)を覚えておきたいものです。