日本同盟キリスト教団|長野聖書教会

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2017年5月7日 主日礼拝「昇天されたイエス」

    

本日の聖書箇所

使徒の働き1章3〜11節

説教題

「昇天されたイエス」

今週の聖句

見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

マタイの福音書28章20b節

 

 

訳してみましょう。

1891 Your life is like a newspaper; do people read honesty in you?
(あなたの人生は新聞のようです。 人々はあなたの内に正直を読むだろうか?)

1892 It’s better to live one verse of the Bible than to recite an entire chapter.
(章全体を暗唱するよりも、聖書の一節を生きているほうが良い。)

 

 

説教メモ

1.聖霊のバプテスマの約束

ここ何週間か、十字架と復活について見てまいりました。本朝はイエス様が昇天されたところ、またイエス様が直前に弟子たちに何を言い残されたのかを見ていきます。

使徒の働きは、使徒パウロとともに伝道旅行をした「ルカ」が記した文章です。ルカが福音書の続きとして使徒の働きを書いています。その記述内容から見て、紀元64年にローマで大火があり、その原因をクリスチャンに押しつけられたという事件がありましたが、そのことに触れられていないことから、それ以前に書かれたものであると思われます。当時クリスチャンに対する迫害が厳しさを増していっていました。同時に福音がギリシャやローマといった多神教世界に拡大していきました。それと相まって、聖書の教えとまったく相容れない異教の宗教、また教えが流れ込んできました。クリスチャンが福音信仰にしっかり立つことが求められた世の動きの中で、ルカはパウロから受けたキリストの福音の指針や入手した資料に基づいて、その中心である唯一無比の救い主イエス・キリストが初代教会にあらわされたみわざについて聖霊の導きによって書きしるしているが、この使徒の働きであります。

使徒の働きは、新約聖書における唯一の歴史書であるとも言えます。主イエス・キリストが歴史の支配者であられることを示す書物でもあります。

使徒の働き1章1節には「テオピロよ。」とルカが語りかけています。ルカの福音書の最初を見ますと、

私たちの間ですでに確信されている出来事については、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、
初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、
私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。
(ルカ1:1〜3)

「テオピロ殿。」とルカの福音書には丁寧に書かれていますが、使徒の働きでは「テオピロよ」と言っています。この言い回しの違いから、テオピロという人はおそらくローマの高官でありまして、ルカの福音書が示されて、この時点でテオピロという人はクリスチャンとなり、ルカは親しみを込めて「テオピロよ。」と呼びかけているのだと思います。

ルカは使徒の働きで、イエス様が昇天された様子をもう少し詳しく記そうとしています。

 

ところで使徒の働きは「聖霊の働き」とも呼ばれるところです。
聖書が強調していることは御子イエス・キリストと聖霊の一体性にあります。イエス・キリストの宣教はバプテスマから始まり復活に至るまで、聖霊なる神さまの力によるものです。その同じ聖霊のバプテスマを受けるとき、弟子たちは力を受けイエスの証人となります。

 

最初に見ていきたいのは「聖霊のバプテスマの約束」ということです。

3節〜5節です。
イエス様は十字架で死んで三日目によみがえられました。40日間、数々の動かぬ証拠をもってご自身が生けるキリストであることを示されました。神の福音の中心であるご自身について弟子たちに語られました。さらに神の国の福音宣教の働きが聖霊のバプテスマを受けることによって始まるのだということを告げられました。そしてさらに弟子たちに対し、エルサレムでその時が来るのを待つようにと命じておられます。

6〜8節では、弟子たちはイエス様が告げてこられた神の国について、まだユダヤ教の枠組みの中でしか捉えていませんでした。それは6節を見ると分かります。

そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。
(使徒1:6)

しかし御国の完成は御父の主権に属することだと仰っています。

イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
(使徒1:7)

弟子たちがなすべきことは、聖霊によって力を受け、御国の福音の中心である主イエス・キリストを全世界に宣べ伝えることであると仰っています。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
(使徒1:8)

聖霊の導きなしには主イエス・キリストの証し人となることはできません。

 

ここでマタイの福音書28章に移ります。

女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こった事を全部、祭司長たちに報告した。
そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、
こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った。』と言うのだ。
もし、このことが総督の耳にはいっても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」
そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。
しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。
そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
(マタイ28:11〜20)

これがイエス様が弟子たちに託された「宣教命令」「大宣教命令」と呼ばれるものです。

 

 

2.宣教命令

罪から来る報酬は死です。
(ローマ6:23)

イエス様の十字架の死によりサタンは滅ぼされたはずでしたが、しかしサタンの働きはその後も続いていきます。さらにその勢力は益々大きくなります。喜びの知らせを告げるための御使いたちの働きを、兵士たちの「弟子たちがイエスの遺体を盗んでいった」という偽りに変えて人々の間に広めました。それは福音宣教の妨げとなったであろうと思われます。そこにもお金が働いていました。これらの裏でサタンが暗躍していたことは確かです。しかし新しい時代の訪れとともにサタンの力が全く及ばない領域が存在するようになりました。人類史上初めてサタンの誘惑に一度も屈したことのない人、イエス・キリストが現れました。主イエスが十字架で死に至るまで完全に神さまに従い通し、それを成し遂げてくださいました。すでに主イエスのうちに神の国が建てられ、神の支配が完全に行き届いていたことが分かります。

弟子たちが来てイエスの遺体を持ち出したのだというのは、全くのでたらめでした。それが事実だとしたら、ヨハネ以外の弟子たちは皆、殉教の死を遂げているのですが、嘘のために命をささげる人などいません。ユダヤの指導者たちはデマを広げました。兵士たちをお金で買収しました。

 

十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。
そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
(マタイ28:16〜17)

11人の弟子たちはガリラヤへ行き、指示された山に登りました。そしてイエスにお会いした時、弟子たちは礼拝しました。しかしその中に、疑った弟子がいました。疑ったのは11人の弟子の内の誰かなのか、あるいは他の弟子たちがいたのかもしれませんが、とにかく全員が、この時点においてはイエス様のよみがえりを信じていませんでした。現在の教会の姿も同じかも知れません。ある者はイエス様がよみがえってくださったことを信じていますが、全員がそうではない。
そこにイエス様が近づかれて仰いました。

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
(マタイ28:18〜20)

この宣教命令の中に3つのことが言われています。

①権威の宣言
天においても地においても一切の権威がイエス様に与えられているということ。

②宣教の委託
その権威によって、宣教の働きを弟子たちに委託されます。宣教の委託の目的。それは「あらゆる国の人々を弟子としなさい」です。その弟子とする「方法」が3つ書かれています。

  • 「行って」…出て行くこと。そこにじっとしているのではなく、出て行くということ。
  • 「バプテスマをさずける」…宣教は三位一体の神さまの御名によって、全世界の人々を教会に招くことです。
  • 「教えなさい」…何を教えるか。山上の説教でも示されているように、すべての人が悔い改めて福音を信じ、そして救われること。そのように教えなさいと仰っています。

③約束
行って福音を宣べ伝える証し人と、主がいつまでもともにおられるという約束です。

見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。
(マタイ28:20)

イエス様がお生まれになった時、イザヤは預言しました。

それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
(イザヤ7:14)

インマヌエルの意味はマタイの福音書に記されています。

「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
(マタイ1:23)

マタイの福音書はインマヌエルで始まり、インマヌエルで終わります。つまり神がともにおられるということ。マタイ1章から28章まで、インマヌエルの神さまのことが証しされています。

「ともにいる」ということは、非常に重要なことです。なんとなくいるわけではない。主が私たちとともに歩んでくださる。どんなに苦しい時、悲しい時でもイエス様がともにいてくださるということを知っていると知らないとでは大きな違いがあります。

 

イエス様は天においても地においても一切の権威が与えられていると仰いました。
ここに御国の王となられた主イエスがおられます。いかに悪がはびこり、暗黒の勢力が支配しようとも、この王の前ではすでに敗北し、死んでいるものです。王なる神さまは御国の民である私たちに命じておられます。

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
(マタイ28:19〜20)

御国の民である私たちが王とともに戦う時、そこにあるのは勝利のみです。
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
神の国は到来し、私たちはその民であります。いくら悪の暗黒が深まろうとも、イエス様に信頼して歩んで行くのです。それが宣教命令です。

 

 

3.イエスの昇天

使徒の働きに戻ります。

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またお出でになります。」
(使徒1:9〜11)

イエス様の昇天のことが書かれています。

イエス様が昇天された山はオリーブ山と書かれていますが、必ずしも山頂とは限りません。ルカの24章を見ますと、オリーブ山の麓にあったベタニヤという村のことが書かれており、その村での出来事だったのかもしれません。イエス様が天に昇って行かれることにより、助け主なる聖霊が弟子たちのところに来るのだと、それはヨハネ16章7節においてイエス様が仰っています。

しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
(ヨハネ16:7)

ルカの福音書24章49節を見ると、

「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」
(ルカ24:49)

「いと高き所から力を着せられる」という表現があります。聖霊はイエス様を礼拝させます。

イエス様が弟子たちが見た時と同じ有様でおいでになる。再臨です。その再臨を異端の人たちは様々なことを言います。その日時を預言してみたり、自分こそが再臨のキリストであると言ったり。しかしここでは「あなた方が見た同じ有様で来る」とあります。それまでの間、私たちは祈り、力を与えられ、イエス様の証人として生きるのです。

イエス様の昇天は福音宣教の働きが新しい局面に入るきっかけとなりました。
それまで弟子たちは目には見えるイエス様に依存していましたが、その時から、目には見えませんがともにいてくださるイエス様を信じる信仰によって働くようになることを意味しています。現在のクリスチャンも同じです。目には見えませんが、そのような神さまがおられるということ。

御使いはイエス様が同じ有様で再臨されることを告げました。天に上げられたということは、イエス様が神さまの右の座につかれたこと。これを「高挙(こうきょ)」と言います。歴史はみことばの約束の通り、イエス様の再臨に向かって進んでいます。私たちクリスチャンは、人となって十字架に架かられ復活し、高挙され、やがて再臨する主を宣べ伝える者です。それが今の私たちの姿です。

 

それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
(使徒1:7)

父なる神さまは再臨の日を定めておられ、その日はイエス様さえもご存じないと仰います。私たちとしては主が約束通り再臨されることを確信し、待ち望み、忍耐をもって福音を宣べ伝えて行く。それが今の私たちの姿ではないでしょうか。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
(マタイ28:20)

イエス様はこのように約束してくださいました。

やがてイエス様は再臨される。それまで私たちは出て行って福音を宣べ伝えるのだ。そのような時代に生きていることを覚えたいと思います。

 

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
(マタイ24:14)

私たちは神さまの救いをすべての人に伝えて行かなければなりません。私たちが何もしないでいるなら、主の再臨はますます先へと行ってしまうかもしれません。
今は地上の97%ほどの人々に、それぞれの国語で聖書が与えられています。自分の書き言葉を持っていないような部族にも聖書は翻訳され届けられています。
日本はどうでしょうか。日本人のほとんどは読み書きに不自由がなく、聖書もたくさん発行されています。だれでも聖書を買い求めて読むことができます。それなのになぜクリスチャンが少ないのでしょう。それは私たちに課せられた大きな課題でもあります。そのような中で私たちは宣教のわざに召されています。宣教活動をしています。多くの人たちに主を証ししていきます。その証しの原動力となるのは「聖霊」であります。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」と、イエス様が約束してくださっています。

主の十字架から復活、昇天までを見て来た弟子たちは、ペンテコステまで非常に弱い者たちでした。弟子たちもはっきりとイエス様のことを受け止めていませんでした。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」と、他のユダヤ人と同じ考えの中にいました。しかしイエス様はそうのような救い主ではありませんでした。私たちはそのことを知っています。ペンテコステの時に聖霊が与えられ、ペテロたちは力を受けました。力を受けて証しをしました。そのようにしてキリスト教が全世界に宣べ伝えられて行きました。そして極東の片隅に生きている私たちにもその福音が届きました。その背後には多くの宣教者たちの努力があったことでしょう。

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御吊によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。
(マタイ28:19〜20)

私たちもこれから、この大宣教命令に従って、聖霊によって力を受け、証し人として歩んでまいりましょう。