日本同盟キリスト教団|長野聖書教会

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2017年6月25日 主日礼拝「ピリポ」

    

本日の聖書箇所

使徒の働き8章4〜40節

説教題

「ピリポ」

今週の聖句

散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。

使徒の働き8章4節

 

 

訳してみましょう。

1905 God does not ask us to go where He does not lead.
(神は私たちに、神が導かないところに行くようにと言われない。)

1906 God speaks through His word to those who listen with their heart.
(神は、心から聞く人たちに、神のみことばを通して語ります。)

 

 

説教メモ

1.ピリポのサマリヤ伝道

今日の舞台は「サマリヤ」です。ピリポが伝道した場所です。

他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。
ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。
群衆はピリポの話を聞き、その行なっていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。
汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大ぜいの中風の者や足のきかない者は直ったからである。
それでその町に大きな喜びが起こった。
(使徒8:4〜8)

ピリポはサマリヤへ行きキリストを宣べ伝えただけでなく、色々なしるしを行いました。病人を癒したり、悪霊を追い出したりしました。そして大勢の人が救われました。

さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。
(使徒8:14)

サマリヤで大勢の人が救われたということで、ペテロとヨハネが駆けつけました。なぜサマリヤに行ったのかは続きをお読みくだされば分かるのですが、一番大切なことは「救われた人たちが聖霊を受けること」。それが一番大切なことでした。ピリポによって救われた人たちは、まだ聖霊を受けていなかったからです。

彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。
ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。
(使徒8:16〜17)

このためにペテロとヨハネはサマリヤに下っていきました。

 

 

2.バプテスマを受けたエチオピア人

次いで、エチオピア人の宦官が登場します。
サマリヤで成功を収めたピリポは聖霊に導かれガザへと向かいました。30節には「主の霊」とありますから、主ご自身に導かれたということになります。ガザへと下る道の途中にエチオピア人の宦官がいました。

そこで、彼は立って出かけた。すると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、
いま帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
(使徒8:27〜28)

「エチオピアの女王カンダケの高官で・・・」とあります。カンダケとは、女王の個人的な名前ではなくて称号です。「皇帝」のような称号です。宦官である彼は神を信じていました。そして礼拝のためにエルサレムに上りました。ある参考書には、この宦官はエルサレムで聖書を購入したのだそうです。それでエチオピアへと帰る道々、その聖書を読んでいました。御霊がピリポに近寄って行くように命じられました。

そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」と言った。
すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言った。そして馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。
彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。
彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
(使徒8:30〜33)

イザヤ書53章を声に出して読んでいました。苦難のしもべの箇所です。

旧約の時代のユダヤ人は、このイザヤ書53章がやがて救い主が現れるのだという預言であるということを受け止めていました。しかしイエス様が実際に現れると彼らは主張を変えてしまいました。イエス様を救い主として受け入れませんでした。

エチオピアの宦官は、当時としては非常に高価な聖書を購入しました。しかし読んでいても内容は分かりませんでした。そしてピリポにたずねたのです。ここまで問われると、話す方も話しやすいですね。

この箇所で預言者は一体誰のことを言っているのか、宦官はピリポにたずねました。ピリポが、ついこの間エルサレムでイエスというお方が十字架に架けられて死んだこと。そして三日目によみがえったこと。自分たちはそのことを証ししているのだと言い、宦官が読んでいたイザヤ書53章はこのイエス様のことを言っているのだと説明すると、エチオピアの宦官はピンときたのでしょう。それらのことを理解し、そして信じました。

道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」
(使徒8:36)

とても素晴らしいことですね。宦官はイエス様を信じてバプテスマを受けました。

私たちの教会ではバプテスマの前にはバプテスマの準備を行います。学んで頂いております。宦官はピリポの話を聞き、学び、そしてはっきりと分かり信じ、救われました。ピリポの簡潔な福音を聞き、このイエス・キリストはイザヤが預言していた苦難のしもべであって、まさに十字架に架かって、私のためにも死んでくださった救い主に相違ない。そう信じました。彼は救われて洗礼を授けられました。

水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。
(使徒8:39)

聖書には書かれていませんが、この救われたエチオピア人は、エチオピアに帰っても伝道したのだと思います。そして多くのエチオピア人が救われたのではないかと思います。歴史が後に語っているように、エチオピアには多くのクリスチャンがいます。

それからピリポはアゾトに現われ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。
(使徒8:40)

アゾトはサマリヤからさらに北にある町です。そこで福音を宣べ伝え、カイザリヤに行きました。

 

 

3.万人祭司

万人祭司とは、宗教改革の際にルターが提唱したことです。すべての人が祭司だということです。牧師や宣教師だけがその役割をするのではなく、すべてのクリスチャンがその役割を果たすと言うことです。

ピリポは12使徒の一人ではありませんでした。以前、エルサレム教会内の食事の問題の対処のために選ばれた執事の中の一人です。先週見ましたとおり、その時一緒に選ばれたステパノは伝道し、そして迫害されて殉教しました。ピリポも最初は信じた者の一人でした。そして食事の配給のために選ばれた人でした。しかし実務的なことに携わっていただけではありませんでした。御霊に満たされて伝道しました。ピリポはサマリヤに伝道しました。伝道者でした。そしてエチオピアの宦官にもイエス様を紹介しました。そのエチオピア人は救われました。

伝道の方法には主に二つあります。一つは「大衆伝道」です。一人が大勢の方に伝道することです。もう一つが「個人伝道」です。エチオピアの宦官が救われたのはこの個人伝道によってでした。

「万人祭司」とは、信じる者一人ひとりがあたかも祭司のような役割をすることです。福音を宣べ伝えることです。イエス・キリストを人々に伝えること。人々が救われることを願うことです。私たちは信じて終わりではなく、何を信じたのかをもう一度吟味し、そして他の人々に伝えて行かなければなりません。もし信じて間もない人の信仰が間違っていたなら、それを正していく手伝いをすることも私たちの役割です。

羊が増えるにはどんな方法がありますか。親が子を産んでいきますね。教会も同じ事です。皆さん一人ひとりが親となり、子を産んでいかなければなりません。皆さん一人ひとりが福音を宣べ伝えていかなければ、信じる人は増えません。いくら宣教師が頑張っても限られたことです。私たちの救いの喜びの証しをし、分かち合い、そしてその相手が信じて救われて欲しいと祈っていくことです。

 

さて、この後ピリポはどうなったのでしょうか。

私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。
翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家にはいって、そこに滞在した。
この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。
(使徒21:7〜9)

それから約20年が過ぎた頃のことが記されています。「私たち」とはパウロとルカのことです。
聖書にはこのことしか記されていませんが、ピリポには預言する4人の未婚の娘がいました。その娘たちは預言しました。つまりピリポを通して信じ、救われたのでしょう。私たちはそのことに励まされて、伝道に携わっていかなければなりません。

 

さて、使徒の働きは28章で終わります。しかし、私たちは使徒の働き29章を歩んでいるのです。29章は私たち自身の伝道の姿が記されます。私たちもキリストの弟子とされました。使徒の働きを継続する者たちなのです。

エルサレムの片田舎で起きたことが、なぜ世界中に広がり、そして今の私たちのところに届いたのでしょうか。福音が私たちのところに届いたのでしょうか。
イエス様が予告された通りになりました。

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
(マタイ28:19〜20)

大宣教命令です。信仰の先駆者たちが福音を宣べ伝え、私たちに福音が届きました。私たちもまた、福音を届ける者たちとなりました。