日本同盟キリスト教団|長野聖書教会

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2017年9月17日 主日礼拝「最初の罪」

    

本日の聖書箇所

創世記3章

説教題

「最初の罪」

今週の聖句

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義とみとめられるのです。

ローマ人への手紙3章23〜24節

 

 

訳してみましょう。

1925 All of creation bear God’s autograph.
(すべての創造物に神の署名がしてあります。)

1926 The death of Christ is the measure of God’s love for you.
(キリストの死は、あなたのための神の愛の尺度です。)

 

 

説教メモ

本朝は、人類が犯した最初の罪について見てまいります。

 

1.神の命令

その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。
(創世記2:7)

神さまは私たちを他の被造物と違ったものとして創造されました。進化論には人間に対する目標や目的がありません。また変化して行くものです。学校では進化論を教え、世の中は進化論的考えの中で回っています。しかし聖書は違います。神さまはすべてを創造された。そして人間は初めから人間に創造されました。また人間には崇高な目的が与えられている、そうはっきりと言っています。その主な目的とは、神さまと交わり、神さまの栄光を現していくことです。

「人をご自身のかたちに創造された。」
「鼻にいのちの息を吹き込まれた。」
私たちは他の動物とはまるで違う、霊的なものとして創造されました。

そんな人間が最初に犯した罪とは何だったのでしょうか。

 

エデンの園に人間を住まわせ、ある一つの命令を与えました。

神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
(創世記2:15〜17)

これが神さまがアダムに仰ったことば、命令です。
「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」

園には二つの木がありました。

神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木とを生えさせた。
(創世記2:9)

 

3章に入りますと、ある時一匹の蛇がエバに近づき語りかけました。実はこの蛇(へび)はサタンでした。

さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
(創世記3:1)

蛇はまるで神さまが意地悪な存在であるかのように話しかけています。エバは答えました。

女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」
(創世記3:2〜3)

ここに、エバの言ったことと、神さまが仰ったことの間に微妙な違いがあることに是非気付いてください。

神さまは「触れてもいけない」とは仰っていません。「取って食べてはならない。」と仰いました。
「死ぬといけないから」とは仰らず、「それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」と仰いました。
エバは神さまのことばを変えてしまいました。エバは神さまのことばを曖昧に受け取ってしまっていました。

 

それに対して蛇は「決して死なない。それを食べたらあなたたちの目が開かれ賢くなるのだ」と言いました。

あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
(創世記3:5〜6)

エバはその実をじっと見つめたのでしょう。とても美味しそうで、食べてみたくて仕方なくなりました。とうとうエバはその実に手を伸ばし、取って食べました。そしてアダムにも食べさせました。すると二人の目が開かれました。

このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
(創世記3:7)

目が開き、最初に気付いたことは、自分たちが裸であり恥ずかしいということでした。二人は葉っぱで裸を隠しました。
そこに神さまが二人に呼びかけました。近寄って来られました。二人はとっさに隠れました。神さまのご命令に背いたことで、神さまが恐ろしくなってしまいました。それまでは素晴らしい神さまとの交わりがありました。しかし二人は神さまが恐ろしくなってしまったのです。

神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」
彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」
すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」
人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」
そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」
(創世記3:9〜13)

神さまはアダムを問いただすと、アダムはエバに責任を押しつけました。エバを問いただすとエバは蛇に責任を押しつけました。素直さがありません。人の心の中に、神さまに背き自分勝手に考える罪の性質が入ってしまいました。

 

アダムとエバと蛇。誰が一番悪いのでしょうか。
私は、一番悪いのはアダムだと思うのです。

女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」
(創世記3:16)

神さまは夫婦に秩序をお与えになりました。夫は妻の頭であるとされました。男の責任は大きいのです。
神さまは最初、アダムに一つの命令をされました。その時、エバは聞いていません。エバはその命令のことを知らなかったのです。アダムはエバに神さまの命令を徹底的に、正しく教えておくべきでした。そうしておけば、エバが蛇にそそのかされたとき、エバはきっと正しく受け答えできたことでしょう。

各家庭の中に、女性の方が強い家庭があります。しかし、霊的には男性は女性よりも責任があります。男性が指導力を発揮しなければなりません。私は男性を特別尊んでいるわけではありません。神さまが定められたことだからです。そうでなければ、その家庭は本当の意味でうまくいかないでしょう。

 

 

2.罪の本質

私たちは神さまの命令を正しく理解しなければなりません。曖昧にとらえたり、付け加えたりしてはなりません。
「死ぬ」「死ぬといけないから」私たちの神さまに対する曖昧な態度、いい加減な姿勢は、サタンが入り込む隙間となります。

神さまが何を仰っているのか。私たちはそれを正確に捉えなければなりません。神さまのことばを完全に捕らえていくこと。そうでなければ自分の頭の中で曖昧な聖書理解となってしまいます。聖書はこう言っている。はっきりとした基準がここにあります。

あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
(創世記3:5)

蛇は神さまのことばをねじ曲げ、否定しそして偽ります。「神はいつも自分だけがナンバーワンでいたいのだ。人間が神のようになるのが気に入らないのだ」このように囁き、神さまのご性質を歪めました。

 

私たちは生活していく中で、たくさんの誘惑にあいます。それを避けることはできません。
私たちがもし誘惑に負けてしまうなら、それは私たちの責任、本人の責任です。

エバはじっとその木を見つめました。
聖書は、「誘惑とは戦うな。逃げよ。」
私たちは気をつけていかなければなりません。

すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。
(Ⅰヨハネ2:16)

日々経験する誘惑は、このうちの一つであるとある牧師は言いました。人を駄目にするのは私たちの欠乏ではありません。有り余る豊かさの中から私たちは誘惑を受けます。もっと欲しくなる。もう十分と決して言わない。そこに人間の不幸があります。
私たちはその欲望をどこかで断ち切らなければなりません。

 

3.罪の結果

罪の結果はどうなったのでしょうか。

イエス様が荒野でサタンの誘惑を受けられた時、イエス様は一つ一つの誘惑に対してふさわしい聖書のみことばを引用し勝利されました。みことばを心に蓄えること、覚えるこそ誘惑に打ち勝つ最大の武器です。そして勝利されました。エバはその姿勢が曖昧でした。誘惑の餌に食いついてしまったのです。

アダムはその時、どこにいたのでしょう。近くにいたのに助けなかったのか。彼の指導力はどうだったのか。アダムの責任はとても大きかったのです。

わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
(創世記3:14〜15)

これは「原福音(げんふくいん)」と呼ばれています。福音の一番の元となるものです。
おまえの子孫と女の子孫。おまえの子孫とはサタン。女の子孫とはイエス様のことです。
イエス様がサタンの頭を踏み砕くと仰いました。頭を踏み砕かれて生きているものはいないと思います。つまり徹底的にダメージを与えるということです。そしてサタンは彼のかかとにかみつくと仰っています。少しのダメージを与えることはできるかもしれませんが決して勝つことは出来ません。これが原福音です。

まず女に仰っています。

女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」
(創世記3:16)

そして男に仰いました。

また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
(創世記3:17〜19)

これが罪の結果でした。

 

もう一度罪について考えましょう。

創世記3章で言われている彼らが犯した罪は何だったでしょうか。殺人ですか、泥棒ですか、姦淫ですか。
最初の罪、それは「神さまの仰ったことに背いたこと」です。

旧約聖書を読んで行くなら、神さまの約束を守るなら祝福、破るならのろい。その契約が貫いています。
私たちには聖書が与えられています。その聖書がどう言っているか。神さまがどう仰っているのか。分かっているつもりではいけません。自分の理解力に合わせて曖昧にしておいてはいけません。的確に、正しく知っていなければなりません。知っていなければ、決して守ることができないからです。そのようにして罪を犯したアダムとエバは園を追い出されました。神さまと交わることができなくなってしまいました。神さまに創造された人間にとって大切な神さまとの交わりが損なわれてしまいました。

神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。
(創世記3:21)

神さまは罪を犯した結果、自分たちが裸であることを悟った二人のために皮の衣を作り、着せてくださいました。
ここにこれから後の時代、「いけにえをささげる」こと、さらには「イエス様がなぜ十字架で死なれたのか」が大きく関係してきます。つまり「血の問題」です。血を注ぎ出すことなくして罪の赦しはないとレビ記には記されています。そのために神さまはアダムとエバが最初に罪を犯した瞬間に、ある動物を屠(ほふ)ってくださり、皮の衣を着せて下さいました。これはイエス様の十字架のもとになることです。

 

アダムとエバは深く悔い改めたと思いますが、神さまはふたりを園から追放しました。そしてエデンの園に入れないようエデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれました。園に入れないように門を閉じられました。

こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。
(創世記3:24)

 

最後に私たちが考えたいこと。
神さまがアダムとエバに対する問いかけ。「あなたがたはどこにいるのか」と言うことです。

神さまは私たちがどこにいるのかすべてご存知です。それなのにあえて問われています。現代を生きる私たち人間一人ひとりに神さまは問いかけておられます。わたしから離れ、どこにいるのか。神さまはご存知です。しかしあえて私たちに問いかけられます。私たちはその問いに対して自分で答えを見出し、そして答えていかなければなりません。