2017年10月15日 主日礼拝「ノアと箱舟」

本日の聖書箇所

創世記6章〜7章

説教題

「ノアと箱舟」

今週の聖句

ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。

創世記6章9節
 
 
訳してみましょう。
1928 When everything feel like an uphill struggle, just think of the view from the top.
(すべてが上り坂のような闘いの気分になったら、上からの眺めを考えてみてください。)
 
 

説教メモ

先週はカインの子孫たちの繁栄ぶりといいますか、文明が発達していったところを見てまいりました。しかし、人が増し加わると、比例して罪も増し加わっていきます。

主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
(創世記6:5〜6)

神さまが悔やむことなどあり得ないと思いますが、時には考えを変えられるときがあるのだろうかと思います。
 
 

1.地上の悪

1〜7節まで、人が地上で触れるに従って、悪も増大していったことが記されています。そして人々の心は常に悪に傾くようになりました。アダムとエバを通してこの地上にもたらされた罪は、人々の心を深くむしばみ、神が最初に創造された美しう愛に満ちた世界は無残にも損なわれ、醜く歪められてしまいました。

それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
(創世記6:6)

神さまは愛をもって神さまのかたちに似せて創造した人間が罪を犯し続ける姿に深く落胆され、嘆き悲しまれました。そしてもうこれ以上悪が拡大しないよう、苦渋の決断をしたのではないでしょうか。

そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」
(創世記6:7)

 
ノアの信仰と地上の人間の悪の面、それぞれ四つの面が記されています。

地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。
神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。
(創世記6:11〜12)

ここに人間の悪を形容する表現が四つ出てきます。

  • 堕落
  • 暴虐
  • 堕落
  • その道を乱していた

地上はこのように悪が繁栄していました。神さまはそれをご覧になり、人間や動物を含めてすべてを滅ぼしてしまおうという苦渋の決断をしました。
 
 

2.ノアの信仰と従順

悪の四つの形容詞に対し、ノアの信仰にも四つの面が出てきます。

しかし、ノアは、主の心にかなっていた。
これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
(創世記6:8〜9)

  • 主の心にかなっていた
  • 正しい人
  • 全き人
  • 神とともに歩んだ

これがノアの信仰でした。
 

信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。
(ヘブル11:7)

ヘブル書の記者がノアの信仰についてこのように記しています。
皆さんがこの時代のノアだったら、どのように生きていたでしょうか。仮定としてノアのように全き正しい人であり、神さまのおことばをすべて正しいと認め行動していたでしょうか。神さまがノアに命じたことをそのまま信じ、実行できたでしょうか。神さまはノアの家族を除いてすべての人間を滅ぼしてしまおうと仰いました。そのようなことを素直にすべて信じられたでしょうか。

そこで、神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。
あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。
(創世記6:13〜14)

ノアは山腹に住んでいました。海岸ではありません。アララテという山の中腹で舟を造るようにと命じられました。木を切り、板に加工し、大きな舟を造らなければなりません。しかも神さまは事細かに船のデザインを指示されました。

それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。その幅は五十キュビト。その高さは三十キュビト。
箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。
(創世記6:15〜16)

もし皆さんに神さまがこのように命じられたら、すべて従えたでしょうか。洪水が起こることを信じられたでしょうか。
1キュビトは手の指の先から肘までの長さ。およそ44センチとされています。それで計算しますと、長さ約132メートル、幅約22メートル、高さ約13.2メートルです。とても大きな舟で、ノアは何年もかけて造ったことが簡単に想像できます。
ところで、私たちの教会の聖餐台ですが、これはノアの箱舟の大きさを88分の1スケールで作られています。それは会堂が1988年に完成したところから、88分の1の縮小で大工さんに作っていただきました。
 
ノアは信仰により、何も文句不平を言わずに神さまがおっしゃった通りに箱舟を造り始めました。それがノアの信仰でした。信仰により、いったい何年かかるか分からない箱舟造りを、まずは木を切るところから始めたのです。
舟の容量は大体4万トンになります。今ではもっと大きなタンカーがありますからそれほど大きいものではありませんが、当時としてはとてつもない大きさでした。とてつもないことをノアは「神さまが仰ることだから」と、信仰をもって受け止めました。
私たちはノアに倣うべきです。私たちは神さまのとてつもない大きな命令を「無理だ」としてしまっているところはないでしょうか。色々と理由をつけて断ってしまう。尻込みしてしまう。そのようなことはないでしょうか。「神さまの仰ることですから」と受け止めることが、私たちクリスチャンの正しい態度ではないかと思います。信じて受け止めるということは、従うということです。従うと実行するとはまた別問題です。実行してはじめて神さまから、また人からの信頼が得られます。信じただけで何も実行しないならば、それは偽りです。神さまのおことばに従うことは簡単ではありません。そこには様々な闘いや障害があります。必ず抵抗や反対勢力が出てきます。しかし、困難があるからこそ、私たちは神さまに一つ一つ依り頼んでいくことができます。
 
さて、箱舟はどこか目的地に向かって進むように作られてはいません。水が増えてきたら、ただ浮かべば良かったのです。良く絵本などに描かれている流線型の箱舟のイラスト、例えば教会のブログの記事一覧に付いているイラスト画像は間違っていることになります。
ノアの家族とあらゆる動物、そして食料を積み込むための舟。神さまの指示通りに舟を造ることは考えただけでも気の遠くなる作業です。それを家族だけで行わなければなりませんでした。その中でノアは信仰をもって受け止めたことは素晴らしいことです。
 
 
 

3.洪水

また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました。
(Ⅱペテロ2:5)

ノアは箱舟造りに精を出していました。ノアをせせら笑っていた人々がいたことと思います。なにせ山中で舟を造っているのですから。また、ノアは箱舟を造っていただけではなかったのではないでしょうか。先ほども申しましたが、反対勢力があったと思われます。周りから中傷めいたことを言われながら、しかしノアは揺るぎませんでした。さらに人間の罪により神さまが洪水を起こし、世界を滅ぼそうとされていることを人々に伝え、悔い改めのメッセージを伝えたのではないでしょうか。しかし聖書を見ると、だれ一人としてノアのメッセージを信じて救われた人はいませんでした。神さまはノアの証し、ノアの姿や言葉を通して救われる人々が起こされて欲しいと願われましたが、そのようにはなりませんでした。彼らはノアの証しを受け入れず、最後まで罪の生活から離れることはありませんでした。それが当時の人々の悪でした。
今の世の中も同じです。私たちの証し、警告を真面目に聞いてくれる人はどれくらいいるでしょうか。しかし私たちは何らかの形で証しをしていかなければなりません。神さまは一人でも多くの魂が救われることを願われているからです。
 
とうとう箱舟が完成しました。

こうして、いのちの息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつ箱舟の中のノアのところにはいった。
はいったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。
それから、大洪水が、四十日間、地の上にあった。水かさが増していき、箱舟を押し上げたので、それは、地から浮かび上がった。
(創世記7:15〜17)

大雨が降り続け水かさが増していくと、人々はノアが言っていたことが本当であったことを知りました。しかし時すでに遅しです。
私たちもみことばや日々の生活で語られる神さまのおことばに応答しないままに過ごしていることはないでしょうか。聖書の物語をただのお話しとして聞いただけでは何にもなりません。
「今」の私たちにとって神さまの大切なメッセージは何でしょうか。私たちが語り継げていくメッセージは何でしょうか。まもなくイエス様は再臨されます。私たちはそのイエス様の再臨を宣べ伝えていかなければなりません。十字架で死んでくださったイエス様は今、天に帰っておられます。そのイエス様はもう一度この地上にくだってこられます。この再臨を私たちは最も大切なメッセージとして受け止め、信じ、そして人々に伝えて行かなければなりません。それが今の時代を生きる私たちに託されたメッセージです。箱舟のメッセージと同じです。この聖書のメッセージを人々に伝えていかなければなりません。
イエス様の再臨はこの世の終わりとなります。この世界が終わってしまうことは、この世の人々は容易く信じられないでしょう。だれもかれも知ってはいないのです。私たちはそれを知らせなければなりません。
今はノアの時代よりももっと罪に満ちた世の中です。このまま世の中が過ぎていくわけではありません。悪は必ず裁かれなければならないのです。私たちはイエス様を信じていますから天国へ行けます。天国へ行くためには罪の悔い改めが必要です。罪人がそのまま天国に行くわけではありません。神さまは憐れみと恵みに満ちておられるお方ですが、私たちが罪を犯したまま天国へ連れて行かれるような方ではありません。私たち一人ひとりの罪が解決されなければならないのです。イエス様が十字架で死んでくださった。それは私たち一人ひとりの罪の身代わりとして死んでくださったのです。

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
(ガラテヤ2:20)

私たちはキリストともに死にました。もはや私ではなくキリストが私の内に生きておられるのです。それは御子を信じる信仰によっています。イエス様の十字架を信じるということは、私たちは自分の罪をイエス様と一緒に十字架につけてしまったということ。罪を帳消しにしていただき天国に行きます。罪を背負ったままでは天国には行けません。罪が赦され、一人ひとりの悔い改めがあって、そしてイエス様の十字架が自分のためであったのだと信じ悔い改めた人が天国へ行くのです。

その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
(ヨハネ17:3)

 
それほどまでに神さまは私たちを愛してくださっています。その愛を受け止めていくことが必要です。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)

神さまの「アガペーの愛」、私たち一人ひとりに注がれる神さまからの一方的な愛を信じるか信じないか。どうしようもない私たちのためにイエス様がこの世に降って来られた。このアガペーの愛を信じるか信じないか。信じる者は十字架の意味が分かります。自分の罪のことが分かります。そして悔い改めて天国へ行くことができます。
アガペーの愛の全てを知り、受け入れることができずとも、今は難しいと感じながらも、すべてを信じ受け入れることができるよう主に助けを祈り求め、こんな状態の私ではあるけれども信じてお従いする。そのような信仰の態度を神さまは喜んでくださいます。
もう一度、ご自分の信仰を確かめていただき、託された大切なメッセージを遅すぎないうちに人々に伝えて行きましょう。それが神さまに対する感謝の態度でもあると思います。

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