日本同盟キリスト教団|長野聖書教会

ヘッダー

2018年5月20日 主日礼拝「約束の聖霊の降臨」

    

本日の聖書箇所

使徒の働き2章1〜13節、14〜36節、37〜47節

説教題

「約束の聖霊の降臨」

今週の聖句

聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。

コリント人への手紙第一12章3節

 

 

訳してみましょう。

1987 This is the day the Lord has made; let us rejoice and be glad in it.—Psalm118:24
(これは主が作った日です。 私たちはそれを喜んで喜びましょう。詩編118:24)

1988 It is better to bite your tongue than to let it bite someone else.
(あなたの舌を噛む方が、他人に噛みつくよりも良いです。———あなたの言葉に気をつけなさい。)

 

 

説教メモ

1.聖霊降臨

二週間ほど前でしょうか、イエス様が弟子たちに宣教命令をされたところを見ました。マタイの福音書から、そしてルカの福音書からも見ました。そのように復活したイエス様は弟子たちと最後の命令を言われました。私たち教会とは、このイエス様の公生涯最後のご命令を、実際に果たすための集まりなのです。この命令の中に教会の本質的な姿を見ることができると思います。

イエス様の命令が示す教会の姿。それはまず、「あなたがたは行って」と書かれている通り、イエス様から派遣された者たちの集まりです。ギリシャ語では「ἐκκλησία・エクレシア」であり、それは「呼び集められた者」という意味です。何のために集められたのかと言うと、「出て行くため」です。礼拝の祝祷は派遣の祈りです。教会に属する人々は、礼拝を出発点としてそれぞれの宣教地へと出て行きます。宣教地とはそれぞれの家庭であったり、職場であったり、地域社会などです。
また、教会とは「人々をキリストの弟子とする集まり」と言うこともできます。

教会はあらゆる国に出て行くことが求められます。

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
(マタイ28:19〜20)

ここは一つの文章として綴られており、その中で最も大切な主動詞は「弟子とする」ということです。弟子とすることのために宣教をしたり、洗礼を授けたりします。

 

五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。
すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
(使徒2:1〜4)

使徒の働き2章に綴られている聖霊降臨の出来事は、イエス様が弟子たちに与えられた最後のことば、

「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」
(使徒1:8)

その約束の成就でした。弟子たちは待ち望んでいました。その弟子たちに三位一体の第三位格である聖霊なる神さまが注がれた出来事です。

この日、イエス様の弟子たちおよそ120人が一つの部屋に集まっていました。何をしていたかは聖書に記されていませんが、恐らく祈りながらイエス様が言われた約束の助け主が来られるのを待っていたのでしょう。

聖霊は一つの確かな形をもって弟子たちの上に臨みました。神さまは霊でありますから、私たちの肉眼では見ることが出来ません。しかし聖霊が与えられた時は、はっきり分かる確かな形を持っていました。

それは第一に、彼らが聞いた「天からの激しい風が吹いてくるような響き」でした。天からの音は聖霊が神さまから与えられたことを指しています。「風」は神ご自身の自由なお働きを思わせる語です。

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。
(ヨハネ3:6〜8)

イエス様とニコデモとのやりとりの中で出てきたおことばです。ペンテコステの時にその通りになりました。まず激しい風の音を聞きました。

第二に、彼らは「見た」ということです。何を見たのかというと、「炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった」のを見たのです。
「炎」は神さまのご臨在を表す語です。

主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。
昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。
(出エジプト13:21〜22)

神さまは出エジプトをした民たちを、昼は雲の柱の中に、夜は火の柱の中にいて彼らの前を進まれました。彼らが夜も昼も進んで行くためです。ここにも「火」、「炎」が書かれています。それは神さまのご臨在を象徴する語ではないでしょうか。

第三に、「話し出した」ということです。しかも色々な国の言葉で語り出しました。皆さんは聖書の中の「バベルの塔」の記述を読まれたことがあると思います。創世記11章です。そこで起こったことは、「言葉が混乱した」ことでした。人々が思い上がり、天(神)にまで届くようなバベルの塔を建てようと皆が一致協力して作業をしていた途中に、神さまは言葉を混乱させ、作業継続を困難なものとされました。言葉が通じなくなり、お互いが何を言っているのかが分からなくなり、意思疎通ができなくなり、当然巨大な塔を建てようといった大がかりな作業の継続は無理ということになりました。ペンテコステにはその逆のことが起こりました。聖霊が与えられ、弟子たちはそれぞれの国の言葉で語り出しました。ユダヤの三大祭りであるペンテコステに集まってきた、あらゆる国の人々に、それぞれの国の言葉で語り出しました。

そして14節からは、ペテロが立ち上がって説教をしたことが記されています。

 

 

2.ペテロの説教

聖霊が降った日は「五旬節の日」でした。最も多くの人々がエルサレムに来ている時期でした。神さまが聖霊降臨にこの日を選ばれたことは、多くの人々への証しのためでした。それは後の世界宣教への布石でもありました。

弟子たちが様々な国の言葉でイエス様の証しをしました。様々な人々の注目を集めました。さらに50日ほど前にイエス様を知らないと言い、イエス様を裏切ったペテロが、多くの人々の前で力強い説教をしました。これは人の力ではないことの証しでした。ペテロは「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」との約束通り、力を得ました。力を得ての説教がここに記されています。

ペテロの説教は、まず第一に13節にある、「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ。」と言ってあざける者たちへの言葉でした。そして第二に人々の記憶にまだ生々しく残っている、わずか50日前の十字架につけられて死んだ「あのナザレのイエスとは誰か」という証しでした。さらに第三に、イエス様の復活と天に挙げられたこと、そして聖霊が注がれたことの証し。第四には「聖霊によるバプテスマの勧め」でした。ペテロの説教は四つに分解することができます。

このようにしてペテロは、このイエス様を十字架につけたのは、実はあなたがたの罪だったのだと人々に示しました。

ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。
(使徒2:36)

その主イエスは死んだままではおられなかった。三日目に死人のうちからよみがえられたのだと、はっきりと救い主の十字架と復活の証しをしました。

ペテロのメッセージは、すべてのポイントにおいて旧約聖書の引用と、キリストにおける解釈によって説得力のあるものでした。聞いた人々は「心を刺され」ました。そして口々に「どうしたらよいのか」と問いました。

人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。
(使徒2:37)

ペテロの答えは、人が救われるための全てが含まれていました。

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
(使徒2:38)

それは第一に「悔い改め」でした。悔い改めとは180度方向を転換することです。後ろは顧みず、つまりこれまでの罪には振り向くことはせず、これからは新たに神さまに向かって歩み出すこと。それが回心です。まず自分は神さまの御前で罪人であることの告白が救いの第一歩です。罪とは何でしょうか。犯罪でしょうか。いいえ、それは「原罪」です。原罪とは「神さまを神さまと認めない」ことです。そこから悔い改めることです。

聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
(Ⅰコリント12:3)

聖霊によってイエス様が主である、主であるということは私の救い主であるという信仰告白ができた人は、この原罪から離れるのです。これからは神さまを見て歩むということです。

第二に「イエス・キリストの名によってバプテスマを受ける」こと。救われた人はバプテスマを受ける。それは当然のことでしょう。救われたと実感されていても、バプテスマを受けていない方がたまにおられます。神さまを信じておられる方は、あまり長い時間を置かずに、是非バプテスマを受けることをおすすめします。バプテスマを受けることは、イエス様が神の御子、救い主であるとの告白を公にするものです。私はクリスチャンであり、これからはクリスチャンとして歩んで行きますという、方向転換の告白です。

 

 

3.教会の誕生

そこに集まっていた人々は、ペテロの言葉に素直に応答し、その勧めを受け入れました。

そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
(使徒2:41)

今までの集まりと違って、使徒たちを中心とした組織的な働きをしました。聖霊の力によるイエスの弟子の群れ、いわゆる「教会」がここに誕生しました。

聖霊に満たされた教会は、活力ある共同体でした。使徒たちの教えを守ること、交わること、パンを裂くこと、祈ることを通して、教会は力強く前進していきました。これがペンテコステに起こった出来事です。

イエス様は、ご自分が去って行くことは良いことなのだと仰いました。それはご自分が去って行く代わりに助けぬ主を送ってくださるからだと、生前に弟子たちに語っておられたその通りのことが、約束の助け主である聖霊が与えられるということが実現しました。まことに喜ばしい日、ペンテコステです。

 

さて、皆さんにお配りしたお祈りのことばをご覧ください。それをご一緒に祈り、今日のメッセージを終わりにいたします。

 

全能にして永遠なる神よ。
宇宙を造り、支えておられる主よ、あなたを崇(あが)めます。

主イエス・キリストよ。
救い主にして世界の主よ、あなたを崇めます。

聖霊なる神よ。
神の民をきよめるお方、あなたを崇めます。

栄光あれ、御父に、御子に、聖霊に。
初めも今も尽きることのない世においても。
アーメン。

天の父なる神よ、今この日に祈ります。
あなたの御前で、みこころにかなうよう、
日々の歩みを進めることを。

主なるイエス・キリストよ、今この日に祈ります。
日々私の十字架を負って、あなたに従う事を。

聖霊なる神よ、今この日に祈ります。
御霊の実が、私の人生で豊かに実ることを。
愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制の実を結ばせてください。

きよく、恵みと栄光に満ちた三位一体なる神。
三つにいましておひとりなる神。
私をあわれんでください。
アーメン。