日本同盟キリスト教団|長野聖書教会

ヘッダー

2018年6月3日 主日礼拝「宣教の前進」

    

本日の聖書箇所

使徒の働き13章15〜15章35節

説教題

「宣教の前進」

今週の聖句

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

エペソ人への手紙2章8節

 

訳してみましょう。

1991 To stay youthful, stay useful.
(若々しくいるために、役立つように振る舞いなさい。)

1992 Growing old but not retiring, Lord, the battle still is on.
(老いていくが引退することなく、主よ、この戦いはまだ続くのですから。)

 

 

説教メモ

私たちは日曜ごとに礼拝に集いますが、なぜ、礼拝に来るのでしょうか。そのように皆さんに問いますと、どのような答えが出るでしょうか。礼拝という神さまへの奉仕をするため。神さまの臨在に触れるため。復活の主を仰ぎ見る。色々な答えが出て来ると思います。今日も礼拝式のプログラムが用意されていますが、そこに書かれているすべての項目が大切な要素となっています。ある人は説教だけが重要な要素であると言います。しかしそれは違います。司会者が祈る開祷から始まり最後の祝祷に至るまでの、すべてのプログラム一つ一つが尊ばれなければなりません。主の祈りや使徒信条も、ただ諳(そら)んじて唱えるだけでは意味がありません。賛美や聖書朗読、説教、献金、祝祷、すべて重要で欠かせないものです。私たちは精一杯、礼拝式のプログラムに従って、一つ一つを丁寧に主に献げていかなければなりません。

そして、ただ礼拝に出席するだけでは良くありません。一週間の旅路をどのように歩んできたか、その伝道の証しを神さまにしなければなりません。そして礼拝の終わりには祝祷がされ、私たちはそこから新たに宣教の場、伝道の場に遣わされていきます。それが職場であるのか、家庭であるのか、遣わされる場所は人それぞれです。それぞれの場所に出て行くのです。そのようにして新しい一週間が始まります。そのことをもわきまえて礼拝を献げて参りましょう。

 

 

1.聖霊による宣教旅行への派遣

先週はペテロが百人隊長コルネリオのところに遣わされて、異邦人にも公平に救いが提供されていることを学びました。これは本当は嬉しいことのはずなのですが、ユダヤ人の中には異邦人の救いを認めようとしなかった人たちがいました。今日はそのような問題をどう解決していったかを見てまいります。

使徒の働き13章あたりから見てみましょう。
ペンテコステがあり、ステパノの殉教のことが記されています。ステパノの殉教をきっかけにして、段々と迫害が強くなり、エルサレムを離れざるを得なくなった信徒たちがいました。彼らはただエルサレムを離れたのではなく、福音を宣べ伝えながら巡り歩きました。そして二箇所のアンテオケという町が出てきますが、シリヤの都市のアンテオケ、こちらを私たちは通常アンテオケとして認識しています。そこは地中海から24㎞ほど内陸に入った国際都市でした。当時はローマ、アレキサンドリヤに次ぐ人口50万人の大都市でした。国際都市特有の自由な空気に溢れる一方、道徳的に問題の多い町でした。ユダヤ人の信者たちは、ユダヤ人の同胞にだけ福音を伝えていましたが、アンテオケに来たキプロス人、クレネ人の信者たちはギリシヤ人に対しても自由に宣教をしました。

ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。
そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。
(使徒11:20〜21)

「主の御手が彼らとともにあった」とありますが、彼らは主の力によって用いられました。その結果、アンテオケでは大勢の人が罪を悔い改めて主に立ち返り、最初の異邦人教会が誕生しました。
エルサレムの教会は、異邦人の回心を確認するためにバルナバを派遣しました。バルナバの励ましと熱心な指導によって、ますますたくさんの人々が群れに加えられていきました。そして、同労者の必要を感じたバルナバは、異邦人への選びの器として召されたあのサウロを探し出し、連れて来て、教師としました。一年間そこで共に働きました。この教会で初めて信者たちが「キリスト者」つまり「クリスチャン」と呼ばれるようになりました。使徒の働きではそれまで、「この道の者」と呼ばれていた人たちのことです。クリスチャンということは「キリストに属する者」という意味です。もっと平たく言うならば、「キリスト屋」でしょうか。ニックネームに等しいものです。アンテオケの教会がユダヤ教の一派ではなく、新しいキリスト教の群れとして初めて認識されることになりました。

さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。
彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。
そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。
(使徒13:1〜3)

ここに、聖霊によって伝道旅行への派遣が記録されています。普通の平信徒の群れから始まって、後に指導者を得て急成長を遂げたアンテオケの教会は、聖霊に命じられると断食と祈りをして、バルナバとサウロを伝道旅行に送り出しました。

サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。
(使徒13:5)

ここのヨハネとは、十二使徒のヨハネではありません。マルコと呼ばれるヨハネです。バルナバの従兄弟で、後にマルコの福音書を書いたマルコのことです。

そのマルコですが、ヘブル語読みでヨハネと言います。母マリヤはエルサレムに自分の家を所有しており、イエス様の最後の晩餐の時、二階の広間を提供した人だと言われています。バルナバは後に、アンテオケ教会から救援物資を届けた帰りに、マルコをアンテオケ教会からエルサレムへと連れて来ました。パウロの第一次伝道旅行の時にバルナバはマルコを同行させました。ところがマルコは、キプロスから渡って小アジヤの内陸部に進もうとした時に、何らかの理由で一行から離れてエルサレムへと帰ってしまいました。それはパウロの気に入りませんでした。その後マルコが再び登場するのは、エルサレム会議後の、第二次伝道旅行に出発する際に、バルナバがマルコを再度同行させようとした時です。パウロはこれに激しく反対しました。バルナバはマルコを引き取りキプロスへと向かいました。
後にパウロがローマで幽閉された時、マルコはパウロとともにいました。そしてパウロはマルコのことを「私の同労者」と呼びました。また、パウロの最後の書簡には「彼は私の務めのために役に立つ」と言っています。マルコは、パウロが人として共にいて欲しいと求めるほどに成熟した働き人となっていました。この頃マルコは、同じくローマにいたペテロにも仕えていたと思われます。

パウロとペテロの最後の時期に、ローマで仕えるまでの間、マルコは通訳としてペテロが伝道したと思われるポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ベテニヤに同行してその働きを助けたと言われています。恐らくその時に、使徒ペテロから直接聞いた主イエスの公生涯をまとめたものが、後の「マルコの福音書」になりました。

聖霊はマルコのような弱さを持った人の傍に寄り添い、成熟した神の器として重要な働きを担う人物に育ててくださったということは、私たちにとっても大きな励ましとなるでしょう。

 

 

2.宣教の旅

使徒の働き13章4節から14章の終わりまで。ここにはパウロの第一回の伝道旅行のことが記されています。

この旅行はバルナバの故郷であるキプロス島から始まりました。この時から「サウロ」はユダヤ名であるサウロから、ローマ式の別名「パウロ」として登場していきます。以降ずっと、回想場面以外すべて「パウロ」と呼ばれています。
そのパウロの活躍はめざましく、ピシデヤの国境に属するアンテオケに向かう頃から、パウロの一行のことが記されていきます。彼らは安息日にユダヤ人の会堂に入り、人々に求められるままに語りました。「イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ方々」と呼びかけ、明らかにユダヤ人とユダヤ教に回心した異邦人を意識して語りました。

パウロはイスラエルの歴史から始めてダビデの子孫であるイエス、そしてイエスの十字架と復活の事実を語り、このイエスこそが神が約束に従ってお遣わしになった救い主であると宣言しました。あのイエス様を迫害していたパウロがそのように宣言したのです。そして人々に決心を促すと、多くの者が感銘を受けて、次の安息日にはほとんど町中の人々が神のことばを聞くために会堂に集まってきました。

ところが、多くの異邦人が主の日ごとに会堂に集まるのを見た一部のユダヤ人は妬みに燃え、パウロに反対し妨害しました。このことからパウロは「異邦人の光」(イザヤ49:6)として、地の果てまで福音を伝える使命を悟り、「私たちはこれから異邦人のところに向かいます」と宣言しました。

頑固なユダヤ人と神さまの恵みに留まる救われた異邦人の様子が対照的に描かれています。

永遠のいのちに定められていた人たち(使徒13:48)とは、救われる者を限定したという意味ではなく、救われた人のことであり、彼らが救いを神の選びと恵みとして受け止めたことを表しています。

パウロとバルナバはユダヤ人の迫害に遭いながら旅を続け、多くの異邦人を救いへと導いていきました。これが第一回伝道旅行の大まかなあらすじです。

 

 

3.エルサレム会議

異邦人が段々と救われていくにつれ、ある問題が持ち上がりました。

パリサイ派のユダヤ人がイエス様を信じて受け入れ、彼らも救われました。しかし自分たちは長い何千年という歴史の中で、ユダヤ人の中にも在留異国人という表現が旧約聖書に何度も出てきますが、その在留異国人として彼らの間で生活していた異邦人が、「自分たちもユダヤ教に回心したい」という思いがあれば、ある条件を満たせばそれが可能となりました。その条件とは「割礼」でした。割礼を受けることによってユダヤ人社会に受け入れられることとなり、それが彼らにとっての回心でした。

律法学者、パリサイ派の人たちがイエス様を信じて救われた時、彼らはイエス様を信じて救われた異邦人に対し、自分たちと同じように割礼を受けるべきであると主張しました。しかしペテロやパウロ、バルナバはそうではないのではないか、と考えました。自分たちが負いきれなかったくびき(律法)を彼らに課するのは良くないと思ったのでした。そのことを討議するために使徒の働き15章で「エルサレム会議」が行われました。

エルサレム会議は、長い教会の歴史の中で最初の、第一回の「教会会議」でした。教会会議は今でも行われるものです。日本の京都でも行われました。

教会は福音宣教の拡大によって異邦人信者が増えていきました。そのような中で異邦人の救いについて、特に回心してクリスチャンとなった律法学者やパリサイ派の人たち、ユダヤ人信者たちの中から異論が唱えられました。彼らの主張は、異邦人が救われるために、イエス・キリストを救い主として信じるだけでは不十分であり、モーセの律法を守り割礼を受けなければならないというものでした。これはユダヤ教から救われたユダヤ人信者の福音理解と、キリストの救いの根幹に関わる重大な問題でした。

彼らはパウロが伝道したガラテヤの諸教会でこれを異邦人信者に教えながらアンテオケにまでやって来ました。この問題でパウロと彼らとの間に激しい対立が生じました。その解決のためにエルサレムで会議を開くことになりました。それがエルサレム会議でした。

パウロたちはエルサレム会議へと向かう途上での諸教会で、異邦人が無割礼のまま救われたことを報告しました。彼はエルサレム教会で、公式に異邦人の回心について報告しました。これを聞いた元パリサイ派の救われた人たちの中から異論を唱える声が上がりました。そこで統一見解を打ち出さなければないということで、エルサレム会議が行われました。

教会はこの問題の検討と解決のために会議を招集しました。招集されたのは、教会を信仰と知識の一致へと導かれる聖霊なる神さまのわざでした。

教会はこの問題について激しく論争しました。それは神さまのみこころを真摯に探り求めるためでした。

この後ペテロは、神さまは何の差別もなく、割礼を受けていない人たちにも聖霊を与え、イエス・キリストを主と信じる民を神さまの民に加えてくださった事実を証ししました。そして彼らに律法の重荷を負わせて神を試みてはならないと、ユダヤ人信者をいさめました。

パウロが述べた神さまのみわざと論証に、全会衆は正されました。そしてバルナバとパウロが語る異邦人に現れた神さまのみわざに耳を傾けていきました。これを受けて、議長であった主イエスの兄弟ヤコブが、以下のように教会会議の総括をしました。
異邦人が神の民に加えられることは、神さまから出たことである。これは預言者を通してなされた神さまの約束の成就であると、旧約聖書のアモス書9章11〜12節を引用し、「それゆえに異邦人に割礼と律法の重荷を課して悩ませてはならない」としました。割礼は受けなくても良い。割礼を受けなくてもただ恵みにより、信仰により救われるのであり、割礼によって救われるのではない。これは自分から出たことではなく、神さまからの賜物であるということでした。同時にヤコブは異邦人信者には、御霊の自由をはき違えないで、神の民として聖い生き方をするために、また彼らが節度ある生活をもって主を証してくために、避けるべき四つのことを示しました。

  1. 偶像に供えて汚れたものは避けること。
    偶像に供えた肉などの食べ物が神殿で振る舞われたり市場で売られていました。パウロはコリントの手紙において、「『これは偶像に供えられた肉です』と言う人があれば、その人の証のためにその肉は食べない方が良いだろう」と書いています。忠告をしたその人の信仰のために食べない方が良いでしょうということでした。
  2. 不品行(性的な不道徳)を避けるべきである。
  3. 絞め殺したもの(首を絞めて殺した動物)を避けること。
  4. 血を絞り出していない肉を食べることや、血そのものを飲んだりすることを避ける。

これら四つのことは、ユダヤ人にとって宗教的な聖さを保つために避けるべき大切な戒めでした。主を信じない異教の世界では問題にしない生活習慣ではありましたが、これらは明らかに偶像礼拝との関わりの中にあることでした。しかし主イエスを信じた異邦人信者も当然避けるべきことです。
これは交わりのために大切なことでした。律法ではなく、クリスチャンとしての交わりに大切なこととして決定し、エルサレム会議の決定事項として書きしるされ、これを携えてパウロ、バルナバ、ペテロたちが宣教の地に散らされて行きました。

第一回の教会会議で言われていることはとても大切なことです。
私たちも異邦人ではありましたが救われました。割礼を受けずとも、洗礼を受けることによって教会の群れに加えられることとなりました。しかし、クリスチャン同士の交わりのためには色々と約束事があろうかと思います。それらは守って行かなければなりません。

AD49年頃と言われている、史上初の教会会議がエルサレムで開かれました。激しい論争が繰り広げられましたが、ペテロが立ち上がってコルネリオの家での出来事を証し、ユダヤ人でも負いきれなかったくびきを異邦人に負わせる愚かさを戒めました。「私たちはただ主イエスの恵みによって救われたことを信じますが、あの人たちもそうなのです」と述べ、全会衆が沈黙し、神が異邦人の間で行われたしるしと不思議なわざについて語るパウロとバルナバの言葉に耳を傾けました。最後に議長であった主イエスの弟ヤコブが、異邦人の伝道の成果はアモス書の9章11〜12節までの成就であると述べ、異邦人クリスチャンに律法の義務を強要すべきではないとの結論を下し、救いは信仰のみによるものであるとここで確認されました。救いはすべての人に提供された神さまの恵みです。救われるために必要なことは、律法を守ることではなく、また人間的な努力や功績でもなく、主イエスを信じる信仰のみです。

しかし、私たちは早合点してはなりません。「十戒」「律法」には意味がないのか。そうではありません。イエス様は十戒、律法を二つに要約されました。

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
(マタイ22:37〜40)

十戒などどうでも良いというのではありません。

わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
(マタイ5:17)

イエス様が仰ったとおり、十戒は十戒として非常に大切なのです。

私たちが主の日の礼拝を守ることには非常に意味があることです。それを守ることが「律法主義者である」と言うのは間違っています。日曜日にいくら他にやりたいことがあろうとも、クリスチャンは教会に集って主を礼拝することから新しい週を始めるのが聖書的です。そして一週間の歩みを始め、一週間が終わったならば、一週間の報告をかねて教会に集まってくる。これがクリスチャンの歩みではないかと思います。