2017年2月19日 主日礼拝「マタイの召命」

本日の聖書箇所

マタイの福音書9章9節〜13節

説教題

「マタイの召命」

今週の聖句

わたしは正しい人を招くためではなく、 罪人を招くために来たのです。

マタイの福音書9章13節
 
訳してみましょう
1869 We influence future generations by living for Christ today.
(我々は、今日キリストのために生きることによって、未来の世代に影響を及ぼします。)
1870 God is the real Owner of all of us.
(神は、我々全員の本当の所有者です。)
 

説教メモ

1.ハドソン・テイラー

この名前をご存知の方は多いのではないでしょうか。では、何をした人でしょうか。彼はイギリス人で、中国に初めて遣わされた宣教師です。中国に伝道しました。現在のOMFインターナショナルという名で引き継がれている宣教団体の創始者です。ところで私たちの団体は「日本同盟基督教団」です。その前身は「TEAM」という宣教団体です。そして長野聖書教会は、元々TEAMの宣教師によって開拓された教会です。
先週お話ししましたバックストンと今日のテイラーは、少しオーバーラップする部分があります。
テイラーは1835年にイギリスで生まれました。お父さんは薬剤師をしていました。教会の役員をしており教会では説教もしており、大変霊的に素晴らしい人だったようです。お母さんは牧師の娘で、とても敬虔なクリスチャンでした。ハドソンは生まれた時からそのような環境の中におり、霊的には恵まれた境遇で育ちました。しかし、彼は体が弱く、学校に行く年齢になっても学校に行くことができませんでした。それが恵みの時だったのかもしれません。素晴らしい両親と家庭礼拝を守り、家で勉強をしていました。11歳になってようやく学校に行けるようになりました。が、学校に入ってみると彼はいわゆる「温室育ち」だったものですから、周囲の人の不信仰な行いに何の免疫もなく、ついにそういった行いに染まってしまいました。不信仰で怠惰な生活に落ちてしまいました。2〜3年すると学校制度が変わり、学校に行かなくなりました。それで以前のように家庭で学ぶことになるのですが、怠惰な生活に落ちてしまっていた彼は、相変わらず神に対する信仰心は失われたままでした。15歳になると彼は銀行の見習い行員として働くことになりました。銀行という職場もとても世俗的な場所でした。以前にも増して怠惰な生活になり、ついに反省し良い生活に帰ろうと努力してみるのですが、努力すればするほど深い挫折感を味わうこととなりました。そのような罪の中、敗北の生活をしていき17歳になった頃、彼は神さまの救いについて書かれている小冊子を読みました。読みながらも心では、たとえ他の人に当てはまっても、この自分にだけは神の救いなんて与えられないのだと頑なに思っていました。ちょうどその日、お母さんは家を留守にし旅先の地にいました。お母さんはその地で息子のために一生懸命特別に祈る事を示され、行き先の部屋に閉じこもって必死に祈りました。やがて神さまから確信が与えられ、感謝をささげました。旅から帰ると、お母さんが祈ったちょうど同じその時、ハドソンはイエス・キリストの十字架が自分のためであったのだということを信じ、救いの確信が与えられていました。6年間にもわたるハドソンの不信仰な生活から回心し、積極的に主に従う生活へと変えられました。銀行をやめ、お父さんの薬剤師の仕事を手伝いました。いつものように祈っていると、何か主のために働きたいという思いが心に溢れてきました。彼のお父さんはハドソンが小さな頃から、中国に伝道に行かなくてはならないと言っていました。そのことをしきりにハドソンに話していました。お父さんはハドソンの体が弱かったために、中国伝道のことは諦めていました。しかし、中国への召命が息子にもあることが分かり、17歳の若い彼がこれからどうやってその召命に応えていけば良いのか分からずに、教会学校の教師に相談しました。すると中国語の聖書の分冊を貸してくれました。それを元に中国語の勉強をしました。他にも中国のことを色々と調べていました。そんな姿を見ていた牧師がその訳を聞くと、ハドソンは牧師に中国伝道の決心を明かし、「弟子たちのように何も持たずに、ただ主にのみ依り頼んで行くのです」と言うと、その牧師は「君はまだ若い。無理である」と諭すように言いました。しかしハドソンは主にのみに助けを仰いで中国に出て行くのだと思いました。借りた本の中に「中国では医療伝道が最も良い」と書かれているのを見つけると、今度は医療の勉強を始めました。さらにはどんな中でも伝道できるようにと、質素な生活を始めました。そして貧民街に出て行き、自分に出来ることは何でもしました。彼は特に弱い体質であったために運動を心掛け、健康に注意をし、また祈りによって神からの導きと助けをいただけるようにと祈りの訓練に励みました。こうして20歳になった1852年9月にロンドン行きの導きを主からいただきました。そして中国への道が開かれるまで怠らず、病院で実地の医学の学びを続けるとともに、どんな小さなことでも祈りと信仰によって解決できるよう、祈りと自己訓練を心掛けました。そしてついに、中国福音伝道協会が設立され、最初の中国宣教師として遣わされました。しかし中国への航海は困難をきわめました。何度となくもう神の助け以外に望みはないという状況に追い込まれ、そのたびに必死に神に助けを祈り求め、また神はその祈りに応えてくださいました。こうして翌年3月、5か月もかかって上海に着きました。彼の心は感謝で一杯になりました。しかし当時、中国奥地へは自由に行くことができませんでした。始めは上海に住み、そこから伝道旅行にでました。少し内陸に入ると、外国人を珍しがって付いてまわる人、逆に恐れる人と様々おりましたが、彼は聖書の分冊やトラクトを配布し、路傍に立って説教をし、病人がいれば無料で医療を提供しました。次第に評判を得て、伝道が進むようになりました。始めは覚えるのに苦労した中国語も不自由なく話せるようになり、中国の人々と接して行くに従って、彼は外国人としての服装や生活を捨て、中国人と同じ生活をしなければ本当の伝道はできないと思い、衣食住すべてを改めました。このことは同じイギリス人から見ると非難の的でしたが、中国人からは親愛の心で迎えられました。それが伝道する上で助けになりました。彼がある集会で説教をしていると、ニーという青年がそれを聞き、心から主イエス・キリストを信じるとうれしさのあまりテイラーに、「テイラーさん、イギリスではいつ頃からこの喜ばしい福音を受けたのですか」と尋ねると、テイラーは少し恥ずかしそうに言いました。「もう数百年も前になります」。するとニーは驚き「それをたった今、私たちにそれを伝えたのですか! なぜもっと早く来てくれなかったのですか。」と言いました。
そんな中国での生活で体調をすっかり崩してしまったテイラーは、6年半の伝道生活を終えて帰国せざるを得ませんでした。しかし帰国しても片時も中国を忘れることなく、それどころか益々中国への思いは強くなりました。そしていかにしたらあの広大な中国の人々に福音を伝えることができるのだろうかということのみを考え続け、主に祈り求めました。奥地への伝道は計り知れない困難、政治的な問題や経済的な問題がありましたが、しかしこれが主の御心であるという確信が与えられると、彼の心は平安で満たされました。
神さまは、このようなハドソンに、イギリスに多くの理解者を与えられました。1866年5月26日、22名の新しい伝道協力者が加わりロンドンを船出しました。この時から彼は39年間、中国奥地での伝道を続けました。中国奥地伝道団の働きのために、あのジョージミュラーやムーディーらが喜んで献げました。73歳の時、中国奥地の教会を巡回している途中、静かに息を引き取りました。彼の亡骸は妻と4人の子どもたちが眠る揚子江のほとりに埋葬されました。
後の統計で、中国宣教師の数は1,134名、中国人牧師が6,171人、伝道地は3,944箇所、信徒の数は67,500人にも拡大していきました。ひたすらに神に祈り求めたその答えは、私たちに感謝とともに恐れを覚えさせるものです。
 

2.マタイの召し

本日の聖書箇所です。

イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい。《と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。
イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。
すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
(マタイ9:9〜13)

マルコの福音書2章14節を開いてください。

イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。
それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。
(マルコ2:14〜15)

この続きはマタイの福音書と同じです。
ルカの福音書5章27節をご覧ください。

この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい。」と言われた。
するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。
そこでレビは、自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたが、取税人たちや、ほかに大ぜいの人たちが食卓に着いていた。
(ルカ5:27〜29)

この続きもマタイと同じです。
マタイはマタイが主に召されて主に従う記事は3つの福音書に記されています。しかし、マタイの福音書はマタイ自身が記しているわけで、少し違うところは

『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
(マタイ9:13)

この一節を加えているというところです。このところから、マタイのイエス様に対する理解度と言いますか、イエス様が憐れみ深いお方であるということが分かっていたことが分かります。憐れみ深い神であり、何よりも誠実さを求めるお方である方を理解して、この福音書を記しています。

わたしは正しい人を招くためではなく、 罪人を招くために来たのです。
(マタイ9:13節)

私たちも大胆に神さまに近づくことができます。憐れみをもって罪人を招いてくださる神さまを、私たちは人々に紹介していくわけです。
使徒パウロがこう言っています。

私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、上敬虔な者のために死んでくださいました。
正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。
(ローマ5:6〜10)

使徒パウロがこのように言っているのですが、パウロは弱い者、不敬虔な者、敵。こういう者のためにイエス様が死んでくださった。その事を通して神さまはご自身の愛を明らかに示しておられるのだとパウロは言っています。また、正しい人の為でもなく、情け深い人の為にでもない。そこに神さまの憐れみの深さが示されているのではないでしょうか。
もう一度戻ってマタイの召されたところを見ましょう。
場所はカペナウム。ガリラヤの北の方です。ユダヤ人と異邦人が混ざって住んでおり、当時およそ5万人ほどいたのではないかと言われています。ここは交通の要所でもあり、また交易の要所で、そこには当然取税人がいました。人頭税、物品税を取り立てていました。取税人というのは皆さんご存知のように、ローマに変わって税金を徴収する人たちで、不正をして私腹を肥やしていたので、バプテスマのヨハネは取税人たちに対し、「決められた以上にはなにも取り立ててはいけない」と言っています。ユダヤの国を征服したローマの手先となり私腹を肥やしていた取税人は、ユダヤ人たちに嫌われ遊女や罪人のように見なされ、敵視されていました。マタイはその取税人でした。マタイは「アルパヨの子、レビ」と呼ばれていました。これは「主の賜物」という意味合いの言葉です。アルパヨの子レビということで、イエス様にここで初めて「マタイ」という名が与えられました。アルパヨもレビもヘブル語の名前です。なのでマタイは生粋のユダヤ人でした。別の箇所にザアカイという取税人が出てきますが、マタイはザアカイと同じく、お金はあっても友だちがいないといったような寂しさを覚えていた人でした。そんなマタイの渇いた心にイエス様は「わたしについてきなさい」と仰いました。このことばは、特別な意味をマタイに与えました。それでマタイは即座に応えました。ペテロやヨハネは漁師でした。ですからイエス様がよみがえりの後、一旦は漁師に戻りましたが、そのような事が出来たのです。しかしマタイは取税人でしたから、簡単に元の座に戻ることはできません。ですからマタイは相当な覚悟をもってイエス様に従ったのでしょう。後戻りができない思いきった決断をしました。

3.イエスの使命

マタイはまた、イエス様に出会った喜びを分かち合いたいという強い思いが与えられたのだと思うのです。そこで早速、取税人仲間や罪人を招いて食事を振る舞いました。マタイはこのことが自分の家で行われたことを記していませんが、先ほど見たマルコとルカはそのことを記しています。また、ルカは「大振る舞いをした」と書いています。あまりにも嬉しかったので、大振る舞いをして人々を歓迎したのです。
ここで多くの取税人や罪人たちがイエス様に従って行くきっかけとなりました。
私たちの人生は、私たちがどんな人と出会うかによって決まると言っても過言ではないと思います。特に幼少時代は感化を受けやすいですから、学校の先生とかに影響を受けやすいでしょう。大学生になるとどうでしょう。自分の学部を選ぶ時、教授の評判というものが選択の基準になり得るのではないでしょうか。あの教授のもとで学んでみたいとか、そう思うのではないかと思います。ですから、私たちの人生は出会いによって決まります。どんな先生について学んだか、また、どんな友人を持ったかによって私たちの生活や考え方は影響を受け、変わってくるものでしょう。ここでマタイは素晴らしい先生に出会いました。ですから非常に喜んで様々な人と喜びを分かち合いました。あのアンデレも、イエス様に会ってすぐに嬉しくて嬉しくて、兄のペテロのところに言ってイエス様を紹介しました。
私は思うのです。神さまは私たちをこよなく愛してくださり、そのしるしとしてひとり子イエス・キリストをこの世にお遣わしくださいました。私たちはイエス・キリストという方との出会いを体験したのです。このイエス・キリストと私たちはどういった関わりを持って生きて行くかという、すべてがそのことによって決まるのです。救われるか救われないかもそこで決まります。自分が本当に一生、この方のために祈っていくのかどうか。あるいは知識として頭の中のどこかに留めておくだけなのか。ここにおられる皆さんは、十字架とよみがえりのイエス様との出会いを個人的に体験して救われた方々です。その体験は伝道の基盤です。素晴らしい方とお会いした。神さまはこれほど私たちを愛しておられる。そのしるしとしてこの世にイエス様を送ってくださった。「ぜひこの素晴らしい体験をしてください。この方に出会ってください。この方を知ってください。そしてこの方とどういった関わりを持って生きていくのか決めてください。」私たちが証しすることはこのことです。
この世にいるすべての人が、イエス・キリストというお方とどういった関わりを持って生きていくのか、それを決めて欲しいと願っています。そこに多くの魂が救われるきっかけがあると思うのです。
主が必要としておられるのは、丈夫なものではなく病人です。イエス様が招いておられるのは、正しい者ではなく、罪人です。
ある人は言いました。
「すべての人は、眠っている罪人か、目覚めた罪人かのいずれかである。」まさに、義人はいない、ひとりもいないのです。
すべての人はキリストの救いに招かれています。ただその事実に気付かないならば、キリストとともに食卓に着くことはありません。
パリサイ人や律法学者たちは、自分の罪に気付きませんでした。それが一番の弱点でした。
『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』
(マタイ9:13)
皆さんの聖書の下の方を見ますと、どこからの引用か分かります。ホセア書からの引用です。ホセアはいけにえそのものではなく、誠実さのない形式的ないけにえを非難しています。主は私たちが何をどれだけ献げるかではなく、その心をご覧になります。どういう思いで献げているのか。この礼拝も、献金も同じです。神さまは私たちの心の内を問うておられます。パウロはピリピの書簡において「喜んで捧げる者を神は喜んでくださる」と言っています。私たちは喜んで献げているでしょうか。喜んで礼拝を捧げているでしょうか。どういう思いで捧げているか。神さまはそのことを一番問われます。形式的なものは、神さまは受け取られません。
イエス様は取税人や罪人たちを招くことが、神さまの御旨にかなっていることをここでお示しになりました。パリサイ人たちはこのイエス様のことばが理解できませんでした。ですからマタイ12:7でもう一度同じメッセージを繰り返さなければなりませんでした。それほどパリサイ人、律法学者たちは頑なだったのです。
マタイという弟子は、これからあまり聖書に登場してきません。約束の聖霊を受ける、ペンテコステの時にはマタイの名前が出てきます。このマタイの最期がどうであったのか。それは伝説的なことしか伝え聞いていません。マタイはどこでどのように召されたのか。聖書はそれを記していないので分かりません。しかし確かにマタイはこれ以来、イエス様のおことばに忠実に従ってついて行きました。そして多くの人々をイエス様に引き合わせました。

わたしは正しい人を招くためではなく、 罪人を招くために来たのです。
(マタイ9:13)

このみことばを深く覚えたいと思います。

長野聖書教会の話題やお知らせをお届けします。

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