日本同盟キリスト教団|長野聖書教会

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2015年5月17日 主日礼拝「重荷を負う」

    

説教題

「重荷を負う」

聖書箇所

マタイの福音書11章25~30節

今週の聖句

「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

マタイの福音書11章28節

 

 

説教メモ

「良い収穫のために祈りなさい。しかし、鍬をふるい続けなさい。」

「収穫は多いが働き手が少ない。」

第一コリント3章6節「私(パウロ)が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」

私たちは福音の種を蒔く。神さまがそれを成長させてくださる。

私たちは種を蒔き続ける。成長させてくださる神様に期待して。

 

イザヤ41章10節「恐るな。わたしはあなとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

かつての宣教師、ロビンソン先生の好きな聖書箇所。

宣教のわざをされていたとき、このみことばで励まされたのではないでしょうか。

 

マタイ11章16節~「この時代は何にたとえたらよいでしょう。市場に座っている子どもたちのようです。彼らは、ほかの子どもたちに呼びかけて、こう言うのです。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、君たちは踊らなかった。』

 

このように、この世はとても無関心。

 

牛の「軛(くびき)」をご存知でしょうか?

牛を動かすのに必要な道具。

第一サムエル11章7節「彼は一くびき(二頭)の牛を取り、これを切り分け、それを使者に託してイスラエルの国中に送り、サウルとサムエルに従って出てこない者の牛は、このようにされる」と言わせた。民は主を恐れて、いっせいに出て来た。」

第二コリント6章14節「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。」

 

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マタイ11章25~30節

ジョージ・ミュラーは未信者の友に祈り続けたが、友は救われなかった。

しかし彼は確信があった。

「私は友と天国で再会することを確信している。なぜなら、そうでないなら、神さまは私に60年ものあいだ彼のために祈り続けるという重荷を与えなかっただろう。」

 

ジョージ・ミュラーは孤児院を建て、1万人以上の孤児を育てた。

彼は祈りの人であった。

ある日、多くの孤児院の子どもたちに食べさせるものがなに一つなく、神さまに祈った。

すると、次の朝、孤児院の玄関にはたくさんの食料が置いてあった。

 

アウグスティヌスの母は、彼の救いのために60年間祈り続けた。

 

北村師は祖母のために20年間祈り続けた。

 

矢野姉は母のために20年間祈り続けている。

 

他の教会員も家族や友人・知人のために祈り続けている。

ひとりひとり、重荷がある。

神さまがその重荷を与えておられる。

だから、確信がある。

喜んで重荷を負っていこう。

 

オズワード・チェンバーは「信仰は鍛えられなければならない。信仰は葛藤の中で成長する。」と言う。

いろいろな葛藤を通し、信仰は必ず強くなる。

 

重荷を負う。

重荷を追って祈り続ける。

その重荷は神さまに与えられているもの。

だから確信して重荷を負い続けよう。

 

 

我に来(こ)よと主は今 優しく呼び給う
などて愛の光を 避けてさまよう
帰れや、我が家に 帰れや、と主は今呼び給う

疲れ果てし旅人 重荷を下ろして
来たり憩え、我が主の 愛のみもとに
帰れや、我が家に 帰れや、と主は今呼び給う

迷う子らの帰るを 主は今待ち給う
罪も咎(とが)もあるまま 来たりひれ伏せ
帰れや、我が家に 帰れや、と主は今呼び給う