2026年10月25日 主日第二礼拝「ヤコブの旅」

聖書箇所

創世記28章

「ヤコブの旅」——わたしはあなたとともにいて

はじめに

先週、私たちはエサウとヤコブについて学びました。
ヤコブは、神様の祝福を求めていました。それ自体は決して悪いことではありません。しかし、その祝福を手に入れようとして、兄エサウを出し抜き、父イサクを欺いてしまいました。
本来、神様の祝福は、人を欺いたり、自分の力で奪い取ったりするものではありません。神様が恵みによって与えてくださるものです。
しかし、ヤコブは自分の力で何とかしようとしてしまいました。その結果、どうなったでしょうか。
祝福を手に入れたはずなのに、兄エサウの怒りを買い、とうとう家を出て逃げなければならなくなったのです。
今日は、その続きです。
家族と離れ、見知らぬ土地へと向かっていくヤコブ。これから自分はどうなるのだろうか。無事に旅を続けられるだろうか。もう一度、家族のもとに帰ることができるのだろうか。
そんなヤコブに、神様はどのように関わってくださったのでしょうか。

1.ひとり旅立つヤコブ(1〜11節)

ヤコブは父イサクの命令に従い、母リベカの故郷、パダン・アラムへ向かうことになりました。
表向きは、結婚相手を探すための旅です。しかし、それだけではありません。兄エサウがヤコブを殺そうとしていたため、ヤコブは家を離れなければならなかったのです。
これまで家族とともに暮らしてきたヤコブが、ひとりで旅に出ます。
行き先は遠いハランです。今日のように、電車や自動車があるわけではありません。もちろん、スマートフォンで家族に連絡を取ることもできません。
長い道のりを、歩いて行かなければなりませんでした。

28章10節 ヤコブはベエル・シェバを出て、ハランへと向かった。

ヤコブはベエル・シェバを出発し、ハランへ向かいました。そして、ある場所で日が暮れたため、そこで一夜を過ごすことにしました。
11節には、石を取って枕にし、その場所で横になったとあります。
皆さん、少し想像してみてください。自分の家から遠く離れた、何もない場所です。夜になり、あたりは暗くなっています。柔らかい布団も、安心して眠れる家もありません。そこに、ヤコブはひとりで横になりました。
どんな気持ちだったでしょうか。寂しかったかもしれません。不安だったかもしれません。これから先のことを考えて、眠れなかったかもしれません。しかも、なぜ自分がこのような旅をしなければならなくなったのか、その理由をヤコブ自身が知らなかったはずはありません。自分が兄を欺いたこと、父を欺いたこと。その結果、家族のもとを離れなければならなくなったのです。
ですから、自分のしたことを後悔していたかもしれません。しかし、ヤコブはもう家を出てしまいました。今さらどうすることもできません。
私たちにも、こういうことがあるのではないでしょうか。
自分で考えて選んだこと、自分で決めて行動したことなのに、その結果に苦しむことがあります。「あんなことを言わなければよかった」「あんなことをしなければよかった」「違う道を選んでいたら、どうなっていただろう」。そう考えても、時間を巻き戻すことはできません。
あるいは、これからのことが不安になることもあります。高校生であれば、進学や将来のこと。大人であれば、仕事や家族のこと。今の生活がこの先どうなるのか、分からなくなることがあります。
そのようなとき、私たちは何を頼りにして歩んでいけばよいのでしょうか。

2.ヤコブに近づいてくださった神(12〜15節)

そんなヤコブが、不思議な夢を見ました。

28章12節    すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。

夢の中で、地から天に届く階段が立っていました。そして、その階段を神の使いたちが上り下りしていたのです。
さらに、主ご自身がヤコブに語りかけられました。
13節で、神様はご自分がアブラハムの神、イサクの神であることを告げられます。そして、かつてアブラハムとイサクに与えられた約束を、ヤコブにも与えられました。子孫を増やし、この土地を与え、地のすべての部族がヤコブとその子孫によって祝福されるという約束です。

そして、15節をご覧ください。

28章15節    「見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」

これは本当に驚くべき言葉ではないでしょうか。
なぜなら、神様は、ヤコブにこの約束を与える前に、何か立派なことをするように求めてはおられないからです。
ヤコブが罪を犯さなかったからでもありません。ヤコブが立派な信仰を持っていたからでもありません。それどころか、ヤコブは人を欺き、その結果、家を離れて逃げているところでした。
しかし神様は、そのヤコブを見捨てられなかったのです。
「わたしはあなたとともにいる。」
「どこへ行っても、あなたを守る。」
「決してあなたを捨てない。」
神様の方からヤコブに近づき、こう語りかけてくださったのです。
ここに、神様の恵みがあります。
先週も学びましたが、祝福とは、私たちが自分の力で勝ち取るものではありません。神様が恵みによって与えてくださるものです。そして「祝福」というヘブル語は、「膝を折る」という意味もありましたね。神様が膝を折られ、私たちに近づいてくださるのです。
そして、神様の恵みとは、私たちが立派な人間になったときに初めて与えられるものでもありません。罪を犯し、失敗し、神様の前に誇ることのできない私たちに、神様の方から近づいてくださるのです。

イエス様がこの世界に来てくださったことも、まさにそうではないでしょうか。私たちが努力して天に上っていったのではありません。神の御子イエス・キリストが、私たちのところに来てくださったのです。
そして、私たちの罪を負い、十字架にかかり、救いの道を開いてくださいました。私たちは、その恵みによって救われたのです。

ただし、ここで一つ覚えておきたいことがあります。
神様がヤコブを見捨てなかったということは、ヤコブのしたことが正しかったという意味ではありません。
また、神様がともにいてくださるということは、これからヤコブの人生に何の苦労もなくなるという意味でもありません。
実際にこの先、ヤコブはさまざまな困難を経験することになります。しかし、そのような人生の中でも、神様はヤコブを見捨てず、ご自分の約束を果たしてくださるのです。

私たちも同じです。
神様を信じていても、失敗することがあります。苦しいことも、悲しいこともあります。自分の思いどおりにならないこともあります。しかし、私たちの人生を支えているのは、私たち自身の立派さではありません。真実な神様の約束です。

3.神の約束に応答するヤコブ(16〜22節)

さて、夢から覚めたヤコブは、何と言ったでしょうか。

28章16節    ヤコブは眠りから覚めて、言った。「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」

ヤコブは、自分が思いもしなかった場所で、神様と出会いました。父イサクの家でもありません。立派な礼拝の場所でもありません。旅の途中の、何もない場所でした。そこで神様が自分に語りかけてくださったのです。
ヤコブはその場所を「ベテル」と名づけました。「神の家」という意味です。
そして、神様に誓願を立てました。
20〜22節を見ると、神様がともにいてくださり、守ってくださるなら、主を自分の神とし、与えられたものの十分の一をささげると誓っています。
この言葉には、まだ不十分なところがあるかもしれません。神様はすでに、「わたしはあなたとともにいる」と約束してくださったのです。それなのにヤコブは、「もし神がともにいてくださるなら」と語っています。
しかし、少なくとも確かなことがあります。これまで、自分の力で祝福を手に入れようとしていたヤコブが、今、神様に向かって語り始めているということです。これからの自分の旅について、神様に願い、その導きを求めています。
ヤコブは、まだ信仰の完成した人ではありませんでした。しかし、神様の約束を聞き、その神様に応答し始めたのです。
そして、この旅はヤコブにとって、神様とともに歩む人生の大切な出発点となりました。
私たちも、信仰を持ったからといって、何でも分かるようになるわけではありません。神様を信じていても、不安になることがあります。本当に大丈夫なのだろうか、と迷うこともあります。それでも、神様の約束に立ち返ることができます。

「わたしはあなたとともにいる。」

その約束を信じて、今日与えられている道を、一歩ずつ歩んでいくのです。

最後に、皆さんに考えていただきたいことがあります。
皆さんには、今、どのような道が目の前にあるでしょうか。
自分で選ばなければならない道かもしれません。自分では選びたくなかったけれど、歩まなければならなくなった道かもしれません。
あるいは、まだどちらに進んだらよいのか分からず、立ち止まっている人もいるかもしれません。
しかし、私たちは決して、ひとりで人生を歩まなければならないわけではありません。

イエス様は弟子たちに、このように約束されました。

「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
(マタイ28章20節)

ヤコブに語りかけられた神様は、今も生きておられます。そして、イエス・キリストによってご自分のものとされた私たちと、いつもともにいてくださるのです。
ですから、これからのすべてを見通すことができなくても、私たちは歩み出すことができます。
私たちが信頼しているのは、自分の判断がいつも正しいということではありません。私たちとともにいてくださる主が、真実なお方だということです。その主を信じて、これからも一歩ずつ歩んでいきましょう。

【分かち合い】

  • ヤコブは、神様から「決してあなたを捨てない」と聞いたとき、どんな気持ちになったと思いますか。
  • 皆さんは、神様がともにいてくださることを、どんなときに特に確かめたくなりますか。
  • 今、自分の前にある道を歩んでいく上で、神様に何を祈り求めたいですか。

長野聖書教会の話題やお知らせをお届けします。

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