日本同盟キリスト教団|長野聖書教会

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2017年5月28日 主日礼拝「エステルの覚悟」

    

本日の聖書箇所

エステル書4章

奨励題

「エステルの覚悟」

奨励者

矢野尚子姉

今週の聖句

あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。

エステル書4章14b節

 

 

訳してみましょう。

1897 Fear can paralyze but faith propels us to follow God.
(恐れは麻痺することがありますが、信仰は神に従うように私たちを推進します。)

1898 God promises His children a peaceful home in His kingdom.
(神は彼の子供たちに、彼の王国の平和な家を約束します。)

 

奨励メモ

エステル記はとてもドラマチックです。
紀元前470年頃に書かれた書です。この年代に書かれた書に、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記とあります。
エステル記に書かれていることは、ネヘミヤ記より30年前、エズラ記の6章〜7章の頃かと思われます。
この話しの場所はペルシャ帝国。アハシュエロス王、またはクセルクセスとも呼ばれている王様の時代でした。ペルシヤ帝国の前はバビロン帝国でした。バビロンのネブカデネザル王がイスラエルを攻め、バビロン捕囚の際に強制的に移住させられたユダヤ人たち。その後バビロンは滅びペルシヤ帝国となり、時の王様クロス王がエルサレムへの帰還を許可した後も、このペルシヤの国内には、すでに安定した生活をしていたユダヤ人たちが多く残って暮らしていました。

このお話しのほとんどは、ペルシヤ帝国の都、シュシャン(スサ)にある王の宮殿での出来事です。
エステルの両親もペルシヤに残留したユダヤ人でした。
エステルはペルシヤで生まれ育ちました。両親が亡くなってからは、両親の甥、エステルの従兄弟であるモルデカイが彼女を養女として育てていました。ペルシャの王、アハシュエロスは誇り高く、直情的な人物であったようです。
王様はシュシャンの宮殿で何日間にもわたる大宴会を良く催していました。王は酒に酔って陽気になり、自分の美しい妃ワシュティを客人たちに見せようと、王妃に宴会に出向くようにと命じましたが、彼女は王の命令を拒み宴会に顔を出しませんでした。このことで王は大変憤り、怒りにまかせ家来たちと相談して王妃を追放してしまいました。時の権力者が自分の気分次第で人々を思いのままにできる、何でもできるということはとても恐ろしいことです。王妃を追放した王は、新しい王妃をさがすためにペルシヤ全土におふれを出しました。その時、モルデカイは美しく育ったエステルを王宮に連れて行きました。王宮に集められた娘たちは監督官ヘガイの管理のもとに置かれ、一年間様々な世話や教育を受け、王の前に出させられ、王による品定めにより王は自分の気に入った娘を王妃にしました。その王妃にエステルが選ばれました。エステルは監督官のヘガイにも気に入られていました。彼女は性格も気立ても良い娘だったようです。

この時、王妃となってもエステルはモルデカイに前から命じられていた通りに、自分がユダヤ人であることを誰にも話していませんでした。

エステルが王妃となり、そしてモルデカイが王の門のところに座っていた時、王の宦官二人が王の殺人計画を話しているのをモルデカイが耳にし、そのことをエステルに話しました。エステルはモルデカイの名で王に告げ、おかげでその殺人計画は失敗に終わりました。そして宦官二人は処刑されました。
この出来事ですが、この場面で唐突に語られる印象を受けますがそうではありません。この出来事は年代記に記されました。

1.ハマンの企み

エステルが王妃になった同じ頃、ハマンという人物が王に認められ、大臣よりも上の位に定められ、誰もがハマンにひれ伏すような権力者になっていました。しかし、門番のモルデカイだけが自分に敬意を示しませんでした。また敬礼もせずひれ伏すこともしないということで、ハマンの自尊心は傷つけられ、彼はモルデカイを憎み、その心は憤りに満たされていました。

このハマンは「アガク人」でした。アマレク人の王アガクの子孫でした。アマレク人というのは、昔からユダヤ人と敵対関係にある民族でした。そのようなことからかもしれませんが、ハマンはモルデカイ一人だけでなく、彼の出身民族であるユダヤ人を全滅させるという陰謀を企て、王に取り入り、その命令を出させることに成功しました。
その命令はペルシヤ全州に直ちに公布されました。

ユダヤ人大虐殺の日はくじを投げて決められました。このくじは「プル」と呼ばれていました。その滅亡の日は第12の月、アダルの月の13日に決められました。その一日でユダヤ人の男も女も、年寄りから子どもに至るまですべてのユダヤ人を根絶やしに、滅ぼし、家財をもかすめ奪うという内容のものでした。
この法令を受けてシュシャンの町も、ペルシヤ全土も大混乱に陥りました。特にユダヤ人たちの内には大きな悲しみと断食、泣き声と嘆きが起こり、多くの人が荒布を着て灰の上に座りました。この行為は極度の悲しみを表す行為です。モルデカイはユダヤ人たちに起こることを知り、王宮にいて何が起きているのか知らないエステルに連絡を取りました。モルデカイはエステルに「ユダヤ人たちの命乞いを王にして欲しい」と頼みました。エステルはこの時、まだ躊躇する気持ちが強くあり、モルデカイに言いました。

「王の家臣も、王の諸州の民族もみな、男でも女でも、だれでも、召されないで内庭にはいり、王のところに行く者は死刑に処せられるという一つの法令があることを知っております。しかし、王がその者に金の笏を差し伸ばせば、その者は生きます。でも、私はこの三十日間、まだ、王のところへ行くようにと召されていません。」
(エステル4:11)

王の所にいくのはとても難しいと言いました。この時モルデカイは返事を送って言いました。

「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。
もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
(エステル4:13〜14)

あなたは何のために王宮にいるのか。もしかすると、この時のためであるかもしれない、と迫りました。
この言葉は死ぬようなことがもしあるとしても、それも仕方が無いというとても強い言葉です。犠牲を求める言葉です。自分にも死ぬ覚悟がなければ人には言えない言葉ではないでしょうか。

モルデカイの言葉を受けエステルは自分にできることは何でもしようと決心し、モルデカイに「自分にしなければならないことをします。死ななければならないのでしたら死にます。」と答えました。自分のため、シュシャンのユダヤ人たちに三日三晩断食をして欲しいと頼みました。この当時、断食ということは良く行われていたようで、断食と祈るとはほぼ同じ意味でした。エステルは正に「この時のため」に美しい娘として生まれ、王妃となり、同胞を救うようにと備えられました。

 

2.エステルの勇気

これらのことがあって三日目、エステルは勇気を持って行動を起こしました。
王の召しがないとき、王妃の服を着て王宮の内庭に入り、立ちました。もし王が金の笏を差し出さなかったならばエステルは処刑されてしまいます。この時のエステルの気持ちはどのようなものだったでしょうか。幸い王はエステルに笏を伸ばし、さらにエステルに「何でも望むものを与えよう」と言いました。そしてエステルは王に答えました。

エステルは答えた。「もしも、王さまがよろしければ、きょう、私が王さまのために設ける宴会にハマンとごいっしょにお越しください。」
(エステル5:4)

王はそのエステルの願い通りに、ハマンと共に宴会に出ました。そこでまた「何か欲しいものはあるか」と再びたずねました。そして

エステルは答えて言った。「私が願い、望んでいることは、
もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしくて、私の願いをゆるし、私の望みをかなえていただけますなら、私が設ける宴会に、ハマンとごいっしょに、もう一度お越しください。そうすれば、あす、私は王さまのおっしゃったとおりにいたします。」
(エステル5:7〜8)

二度も王と二人だけで王妃の宴会に招かれたハマンは上機嫌で家に帰りました。しかしその途中、王の門のところにいるモルデカイが自分に敬意を払わず、自分を恐れてもいないことに対して怒りを燃やし、そのままの勢いで家族や友人たちに自分が今、いかに恵まれ、王様に目をかけられているかを自慢しました。そんな自分に対するモルデカイの態度が自分にふさわしくないという思いで一杯になっていました。友人や家族たちはその高ぶりを見て、高い柱にモルデカイを架け、処刑してから王妃の宴会に出れば良い、と提案しました。ハマンはその提案を気に入り、早速22メートルほどの高い柱を建てさせました。

明日は二回目のエステルの宴会というその日の夜、王は眠れなかったために、従者に記録の書、年代記を持ってこさせ読ませました。その中に、宦官による王の暗殺計画が、モルデカイの報告によって未遂に終わったことが書かれており、そこが読まれました。王は従者に「モルデカイに褒美を与えたか」と尋ねると、まだ何もしていないことが分かりました。
その時ちょうどハマンがモルデカイを柱に架けることを王に許可してもらおうと、外庭に入ってきたところでした。王はモルデカイのことを思いながら言いました。

ハマンがはいって来たので、王は彼に言った。「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」そのとき、ハマンは心のうちで思った。「王が栄誉を与えたいと思われる者は、私以外にだれがあろう。」
そこでハマンは王に言った。「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、
王が着ておられた王服を持って来させ、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来させてください。
その王服と馬を、貴族である王の首長のひとりの手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着させ、その人を馬に乗せて、町の広場に導かせ、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである。』と、ふれさせてください。」
(エステル6:6〜9)

王が褒美を与えたいと思っているのは、ハガイが柱に付けて殺してしまおうと考えていたモルデカイであることを知らずに、ハガイは自分にして欲しいことをこのように王に提案しました。王はハマンの意見どおりにモルデカイにしてやるようにと命じ、ハマンは憎むべきモルデカイに自分にして欲しいと思って進言したことをすべて行いました。すべてを行ってからハマンは頭をおおい、恥を隠しながら家に帰りました。しかも、ハマンがこのことを家族に話したところ、

「あなたはモルデカイに負けかけておいでですが、このモルデカイが、ユダヤ民族のひとりであるなら、あなたはもう彼に勝つことはできません。きっと、あなたは彼に負けるでしょう。」
(エステル6:13)

とまで言われてしまいました。

この当時、出自を明らかにしていたユダヤ人は少数でしたが、周りから他の民族とは何か違うと一目置かれていました。ユダヤ人の他の人たちとの違いは何だったのでしょうか。どんな状況にあってもいつも神さまがユダヤ人とともにいてくださる。ともに戦ってくださったという先祖からの経験の積み重ね、信仰だったのでしょうか。

この後、ハマンの破滅が続きます。
ハマンは王と共にエステルの宴会に出向き、この宴会でまた王はエステルに尋ねました。

この酒宴の二日目にもまた、王はエステルに尋ねた。「あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」
(エステル7:2)

エステルはここで初めて、自分がユダヤ人であり、ユダヤ民族をハマンが滅ぼそうとしている企てを話し、民族の救いを願い出ました。

王妃エステルは答えて言った。「もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください。
私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、殺害され、滅ぼされることになっています。私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたでしょうに。事実、その迫害者は王の損失を償うことができないのです。」
(エステル7:3〜4)

王はそのことを聞き怒り、席を立ちました。ハマンはエステルに命乞いをするためにその場に残りましたが、そのこともまた王の怒りを買い、ハマンはただちに顔を覆われ連れて行かれ、自分がハマンを殺そうと建てた柱に架けられて処刑されてしまいました。
その日のうちに王はエステルにハマンの家を与え、モルデカイに自分の指輪を与えました。

このハマンの栄華と転落。この姿は聖書のみことばにも書かれております。

悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。
彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。
(詩篇37:1〜2)

あなたはこのことを知っているはずだ。昔から、地の上に人が置かれてから、
悪者の喜びは短く、神を敬わない者の楽しみはつかのまだ。
(ヨブ20:4〜5)

エステルはさらにユダヤ民族を滅亡させるという法令を取り消してくれるよう王に頼みますが、王であっても一度発布した法令は取り消すことができないことを告げられ、自分たちが自分の命を守り、襲ってくる者と戦い根絶やしにし、その財産を奪うことを許す法令をモルデカイを通して急いで発布させました。

この知らせを聞いてペルシヤ全土にいるユダヤ人たちは命が助かったことを喜び、楽しみ、祝宴をはってこの日を祝日としました。これが今でもイスラエルで行われている「プリムの祭り」の始まりでした。

 

 

3.プリムの祭り

プリムの祭りの「プリム」とは、くじを意味する「プル」という言葉の複数形です。この時代何かの日を決めるときにはくじを投げたり引いたりして決められていたようで、ユダヤ人滅亡の日もくじで決められました。しかし、神さまの介入とモルデカイ、エステルの勇気ある行動によって、一転して滅亡から救いの日に変わったことを祝う日とされました。そしてプリムの祭りと名づけられ、イスラエルでは今でも守り行われています。それはアダルの月、12月14・15日の二日間祝われ、悲しみの日が喜びの日に変わった日を祝う記念日とされています。王に次ぐ最高の位に就いたモルデカイによって制定されました。
この日はお互いにご馳走を食べ、貧しい人たちに贈り物をするそうです。ユダヤ人の七つの祭りには入っていませんが、ユダヤ人にとっては大切な祭りとなっています。

 

このエステル記を読むと、気付かされることがあります。
それは、不思議なことにこのエステル記には「神」という言葉が一度も出てきません。でも至る所に神の御手を感じることができます。神が介入してくださったところを挙げてみますと、

  • この時代にエステルがペルシヤに住んでいた
  • モルデカイの養女として育ったこと
  • エステルが美しく気立ても良かったこと
  • 王妃ワシュティの追放によって新しい王妃捜しが始まり、エステルが王妃となったこと
  • モルデカイが聞いた暗殺計画が年代記に記されたこと
  • 王の召しがないのにエステルが王に会いに行き、面会が許されたこと
  • エステルの宴会に王とハマンが出られたこと
  • エステルがユダヤ人の命乞いを一日延ばしたこと
  • その晩に眠れなかった王が年代記を読ませ、モルデカイに栄誉を与えようとしたこと
  • ハマンがモルデカイを処刑するために高い柱を建てたこと
  • ハマンに高ぶりの思いを与え、自分が建てた柱に架けられ処刑されたこと
  • 王がすべての権威をモルデカイとエステルに任せ、ユダヤ人を守る勅令を出すことができたこと

こう挙げてみますと、すべてが神さまの御手の中にあったということができると思います。

このエステルの物語は神さまの介入がたくさんあり、ユダヤ人を絶やすことを良しとしない神さまの御心があり、その上でエステルとモルデカイが神さまに信頼しゆだねつつ、自分が成すべき役割を自覚し、恐れや弱きを乗り越え、たとえ命を危険にさらしても行動するというエステルの勇気があって初めて神のみわざが実現するのだという厳しさが教えられているように思います。

神さまは私たち一人ひとりの人生に、確かに働いておられます。この世がどんなに破滅の方向に向かうように思おうとも、人の心が自分さえよければという風潮に流され愛が冷えているように見えても、神さまはやはりこの世を支配しておられ、この世を導いてくださっています。理不尽なことや理解に苦しむことがあっても、神さまはすべてご存知で共にいてくださり、愛を持ってご自分の計画に沿って導いてくださっています。このことを心から信じることができた時、私たちはどんなときでも命を差し出さなければならないようなことが起こっても、主の御手の中、神さまの中に憩うことができるのではないでしょうか。エステルもモルデカイもここには書かれていませんが、神さまを心から信じ命の危険があっても自分のやるべきことをやり、あとは神さまにすべてをお委ねした時、神さまの平安があったのではないでしょうか。
生まれてくることも、死ぬことも、神さまのなさることであるならば、神さまのために命を差し出すこともある意味自然なことなのかもしれません。もちろん、命をかけなければならないということがこの身に起こって欲しくはありませんが、このエステルの話しは、すでに信仰を持っている人に対して書かれているのかもしれません。愛の神さまと厳しい神さま。そのことを教えてくれているのかもしれません。

ある本に「再臨を信じることなしに、神さまを喜ぶことはできない」「罪が赦されたことが無上の喜びとなるのは、主の前に立たされた時である。その喜びを日々待ちながら、私たちは今を生きる。」と書かれていました。
このような思いで私たちは一日一日を生きていきたいと思わされます。

最後にみことばを分かち合って終わりにしたいと思います。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
(ローマ8:28)

鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか。
(イザヤ2:22)

ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。」
(使徒5:29)