2020年6月24日 祈祷会「主のことばのとおりに」

列王記第二1章

第1列王記と第2列王記があります。王に関する記述です。
ヘブル語の聖書には列王記は一つの書物で、第一、第二の区別はありませんでした。70人訳聖書が出来る過程で長すぎた巻物を二つに分けたのだと言われています。
そもそもイスラエルには王は必要有りませんでしたが、イスラエルの民が王を求め、そして王が立てられました。
初代王はサウルでした。サウルは主によって立てられました。後にその神に背き、王から退けられてしまいました。
次に立てられたのがダビデでした。
次にソロモンが王となり、その後南北に分裂しました。
北イスラエルが滅んだのはBC722年(721年)。
南ユダが滅んだのはBC586年(587年)です。

北イスラエルには悪王が目立ちます。南ユダには比較的善王が多いようです。
主によって立てられた王ですから、王の上に主がおられることを忘れてはいけませんでした。しかし悪王と言われる彼らは、そのことを忘れてしまっていました。現在の教会も同じです。教会には牧師が立てられてはいますが、しかし私たちの上には主がおられるのです。牧師や伝道師が語るみことばは、本当に主が語られたことなのか。あるいは注解書においても同じです。そのことに注意していかなければなりません。

今日は「主のことばどおりに」というタイトルです。

みことばの光の「考えよう」のところを覚えておきましょう。

とっさの感情で先に動いてしまうことはないか。主に祈り、主のことばを実行しようとしているだろうか。

(みことばの光をお読みください。)

罪を犯し頑なに悔い改めを拒んでいる人が弱ったとき、私たちはどのような態度を取るだろうか。同情心でいっぱいになって罪などなかったことにしてしまうかもしれないし、反対に、その人の罪によって被害を受けた人は、その人が弱くなったのは主のさばきだと考えるかもしれない。しかし、大切にしなければならないのは、自分の感情の発露から生まれる態度ではなく主のみこころである。

エリヤは残酷とも思える使命を果たしました。
このことは、私たちにも求められていることでしょう。

(担当:北村師)

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