2026年9月17日 木曜日祈祷会「備える。そして主に依り頼む」

聖書箇所

歴代誌第二 14章

「備える。しかし、主に拠り頼む」

今日は、歴代誌第二14章です。
昨日の13章では、アビヤ王の時代に、ユダの人々が前からも後ろからも敵に囲まれてしまいました。
もう自分たちではどうすることもできない。
その時、彼らは主に叫び求めました。
そして聖書は、彼らが勝利を得た理由を、「彼らが、その父祖の神、主に拠り頼んだからである。」と記していました。

今日の14章では、アビヤの子アサが王になります。
そしてこのアサの姿からも、やはり「主を求めること」「主に拠り頼むこと」の大切さを教えられます。
ただ、今日の箇所には昨日とは少し違うところがあります。
昨日は、危機のただ中で主に叫び求めました。
今日はまず、危機のない時をどう過ごすのかというところから始まります。

主が安息を与えてくださった

1節を見ると、アサの時代について、

彼の治世になって十年の間、国は平穏であった。
歴代誌 第二 14章1節

とあります。

さらに6節には、

主が彼に安息を与えられたので、当時数年の間、国は平穏を保ち、彼と戦う者はいなかった。
歴代誌 第二 14章6節

とあります。

アサは良い王でした。
偶像を取り除き、民に主を求めるように命じました。
指導者として、やるべきことをしっかり行っています。
ですから、ユダの国が平穏になったことについて、アサの働きが全く関係なかったということではありません。

しかし聖書が一番大切な理由として挙げているのは、「主が彼に安息を与えられた」ということです。
ここは大切だと思います。
私たちの生活が守られている時。
大きな問題もなく過ごしている時。
仕事がうまくいっている時。
家族が守られている時。
教会の働きも大きな問題なく進んでいる時。
私たちはつい、「自分が頑張っているからだ。」「うまくやってきたからだ。」と思ってしまうことがあります。
もちろん、私たちが努力することは大切です。
しかし、その背後にある主の守りを忘れてはいけないのですね。

今日一日が守られた。それも主の恵みです。
大きな問題が起こらなかった。それも主の恵みです。
私たちが気づいていないところで、主がどれほど守ってくださっているか分かりません。

アサの時代の平穏も、主が与えてくださった安息でした。

平穏な時に備えたアサ

そして、ここからがアサの素晴らしいところだと思います。
国が平穏になった。戦争もない。
普通なら、「これで大丈夫だ。」「しばらく何もしなくてもいい。」そう考えてしまいそうです。
これまでの王たちを見ていても、うまくいっている時に高慢になったり、油断したり、主から離れてしまったりすることがありました。
苦しい時には一生懸命祈っていたのに、問題がなくなると、いつの間にか祈らなくなってしまう。
これは私たちにもあるのではないでしょうか。
困った時には、「主よ、助けてください。」と祈ります。
けれども問題が解決すると、少しずつ主を求めなくなってしまう。

しかしアサは違いました。
平穏な時に、町々を築きました。城壁を造りました。やぐらを建て、門とかんぬきを整えました。軍隊も整えました。
つまり、平穏な時を、油断する時ではなく、備える時として用いたのです。

これは私たちにとっても大切なことだと思います。
問題が起きてから初めて聖書を読むのではなく、何もない時から御言葉に親しむ。
苦しくなってから初めて祈るのではなく、平穏な時から祈る。
信仰が揺さぶられてから慌てて主を求めるのではなく、日々、主を求めて歩む。

主が与えてくださった平穏な時は、ただ何もしなくてよい時間ではありません。
信仰を整え、次の時のために備えることのできる恵みの時間なのだと思います。

備えた。しかし、備えには頼らなかった

けれども、やがて大きな試練がやってきます。
クシュ人ゼラが大軍を率いて攻めてきました。
アサには軍隊がありました。城壁もありました。武器もありました。平穏な時に、できる備えをしてきました。
それではアサは、「これだけ準備してきたから大丈夫だ。」と言ったでしょうか。
そうではありません。11節を見ると、アサは主に叫び求めています。

そして、

アサは自分の神、主を呼び求めて言った。「主よ、力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたには変わりはありません。私たちの神、主よ、私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に向かって来ました。主よ、あなたは私たちの神です。人間が、あなたに力を行使することのないようにしてください。」
歴代誌 第二 14章11節

アサは祈りました。
ここが、私は今日とても大切なところだと思います。

アサは、備えました。しかし、備えには頼りませんでした。
町を築い、軍隊も整え、できることは十分にした。
しかし最後に頼ったのは、城壁でもなく、軍隊でもなく、自分の知恵でもありませんでした。
主でした。
これが信仰なのだと思います。

私たちも、できることはしなければなりません。
仕事なら準備する。
教会の奉仕なら、よく考えて備える。
私も説教の準備をします。御言葉を学び、原稿を整えます。
家庭のことでも、将来のことでも、必要な備えをする。

信仰とは、「神様に任せたから、私は何もしません。」ということではありません。
できることはする。
精一杯備える。
けれども、備えたものを神様の代わりにしない。
ここが大切なのでしょう。
「これだけ準備したから大丈夫。」ではなく、「主よ、私はできる限り備えました。しかし、私が頼るのはあなたです。」
そう祈る。
それがアサの信仰でした。

敵よりも大きな主を見る

そしてアサの祈りで、もう一つ心に留まるのは、

「力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたには変わりはありません。」

という言葉です。
アサは敵を見ていなかったのでしょうか。
いいえ。敵を見ています。
大軍が目の前にいることも分かっています。
自分たちよりも大きな力が迫っていることも分かっています。
しかし、敵の大きさだけを見ていたのではない。
その敵よりも、ともにおられる主を大きく見ていました。

信仰とは、現実を見ないことではありません。
「大丈夫、大丈夫。」と言って問題を見ないふりをすることでもありません。
問題は問題として見る。
苦しみは苦しみとして受け止める。
敵は大きい。自分には力がない。
それを認める。
しかしそこで、「それでも主がおられる。」と見るのです。
「私にはできないかもしれない。しかし主にはできる。」
「私は弱い。しかし主は弱くない。」
「私は先が見えない。しかし主には見えている。」
アサは、その主を見ていたのだと思います。
だからこそ、「私たちはあなたに拠り頼みます。」と率直に祈ることができたのでしょう。

平穏な時にも主を求めよう

昨日の13章では、前にも後ろにも敵がいるところで、「主よ!」と叫び求める信仰を学びました。
今日の14章では、その信仰がどこから育っていくのかを教えられているように思います。
それは、何もない時から主を求めることです。
平穏な時に主を求める。
平穏な時に御言葉を蓄える。
平穏な時に祈る。
平穏な時に、自分の信仰を整える。
そうしておくからこそ、いざという時に、「主よ、あなたに拠り頼みます。」と祈ることができる。
もちろん、私たちがどれほど備えていても、予想もしなかったことは起こります。
アサもそうでした。
備えた以上の大軍がやって来ました。
しかし、そこで慌てて別の神を探す必要はありません。
平穏な時に求めていた主が、苦しい時にも同じようにともにおられるからです。

ですから私たちも、主が平穏を与えてくださっている時にこそ、主を求めて歩みたいと思います。
できる備えをしていきましょう。
しかし、その備えに頼るのではありません。
そして、やがて自分の力ではどうにもならないことが目の前に置かれた時には、アサのように率直に祈ろうではありませんか。
「主よ、私たちはあなたに拠り頼みます。」
敵の大きさだけを見るのではなく、ともにおられる主を見上げましょう。

私たちは備えます。
しかし、備えたものではなく主に拠り頼みます。
そして平穏な時にも、苦しみの時にも、同じ主を求め続けてまいりましょう。

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