2016年2月7日 主日礼拝「模範であれ」
本日の聖書箇所
テサロニケ人への手紙第一 1章
説教題
「模範であれ」
今週の聖句
「こうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです。」
(Ⅰテサロニケ1章7節)
訳してみましょう
1769 You cannot teach what you do not know nor lead where you do not go.
(あなたは、知らないものを教えることもできないし、行かないところに導くこともできません。)
1770 Our God is never predictable, but He is unfailingly reliable.
(我々の神は決して予見できません。しかし、神は失敗することなく信頼できる方です。)
説教メモ
2週間前になりますが、『弟子道』についてお話ししました。弟子(クリスチャン)は、どういう歩みをすべきか。
- 主イエスを最大限に愛する(何かとの選択、比較以前のことである)
- 自分の十字架を負う(他の人と比べるのではなく、自分の示された十字架を負う)
- 生涯キリストに従う(今日だけではなく、日々、毎日毎日従うこと)
今日は「クリスチャンであるとは、他の人の模範とならなければならない」ということをテーマとしています。良い例でありなさい、ということです。
当時のテサロニケ教会の背景を少し学んでみましょう。聖書は新約聖書の使徒の働き17章になります。
彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。そこには、ユダヤ人の会堂があった。(使徒17:1)
パウロがバルナバとともに、アンテオケにある教会から遣わされ、小アジヤ地方に宣教に行きました。そしてアンテオケの教会に戻ってきた様子が記されています。それから、二回目の宣教旅行(第二次伝道旅行)に行きました。しかしそのとき、バルナバのいとこであるマルコを共に連れていくべきかどうかで、パウロとバルナバの間で意見が別れ、ついに別の道を選ぶことになりました。パウロはシラス(シルワノ)を同行させ、バルナバはマルコを同行させました。そして、その後、小アジヤでテモテという信者に会い、彼も宣教旅行の一行に加えました。その後、パウロたちは小アジヤで宣教を続けたかったのですが、イエスの御霊がそれを禁じ、さらに幻を見て、マケドニヤ地方にいる人が、「私たちを助けてください。」と懇願する姿を見ました。彼らは確信を得て、初めてのヨーロッパ宣教旅行へ向かいます。初めに到着した町は「ピリピ」です。そして次に来た町が「テサロニケ」です。
パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」と言った。彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。またほかに、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった。(使徒17:2~4)
パウロは、テサロニケの町には、3週間ぐらいしかいなかっただろうと思われます。なぜなら、彼はユダヤ人の会堂に入って彼らと論じた回数が、3回であると書かれているからです。そして、そのパウロの福音宣教によって、一部のユダヤ人と大ぜいのギリシヤ人がイエスを信じました。
ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。しかし、見つからないので、ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行ないをしているのです。」こうして、それを聞いた群衆と町の役人たちとを不安に陥れた。彼らは、ヤソンとそのほかの者たちから保証金を取ったうえで釈放した。兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂にはいって行った。(使徒17:5〜10)
そこでねたみにかられたユダヤ人が、町にいるならず者をかきあつめて、暴動を起して町を騒がせました。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいりこんでいます。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行ないをしているのです。」と、町の役人に訴えました。
仕方なくパウロやシラスやテモテは、夜の間にテサロニケの町を離れなければいけませんでした。そしてベレヤという町へ逃れ、そこで福音を宣べ伝えていましたが、なんとテサロニケからユダヤ人がやって来て、群集を扇動して騒ぎを起しました。そして、パウロが初めにベレヤを離れ、アテネに行きました。それからテモテはアテネでパウロに落ち合います(使徒18章)。この時点でパウロは、テサロニケにいる、新しく信者になったばかりの人たちが気になっていました。そこでテモテを改めてテサロニケに派遣しました。彼らが信仰にかたく踏みとどまっているだろうか。誘惑者がやって来て、彼らを誘惑しやしないだろうかと気にかかったのです。パウロはアテネからコリントに行きます。テモテもシラスもコリントでパウロに落ち合いました。そしてテモテは、テサロニケの人々の信仰と愛について、良い知らせをもたらしました。
しかし、テサロニケの教会にはいくつかの問題もありました。それは、「キリストがまもなく再臨するのだから働く必要はないのだ」とか、「もうすでに死んだ者は、キリストの再臨に与(あずか)れないのだ」と非常に悲しみにくれている人々がいました。さらに、異教的な生活に戻ってしまう信者もいたのです。(テサロニケ4章)
このままではいけない、ということで、このコリントの町でパウロは「テサロニケ人への手紙第一」そして「テサロニケ人への手紙第二」を書いています。
パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたの上にありますように。私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え、絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。(テサロニケ1:1~3)
パウロは、生まれたばかりのテサロニケの教会を愛し、覚え、祈っていることを、挨拶を通してテサロニケの教会の信者たちに知らせています。
実は、この長野聖書教会も祈られて建て上げられた教会なのです。前身は「安茂里聖書教会」です。54年前、それは東京オリンピックより2年ほど前に安茂里聖書教会は始まりました。宣教師であるスウィフト先生、ロビンソン先生、へランド先生が始められたのです。それから色々なことがありました。新会堂の建築もありました。もちろんトラブルもありました。その間ずっと、宣教師を日本に送ってくださった母教会に祈られていました。
このように安茂里聖書教会が祈られていたように、テサロニケの教会は祈られていた教会でした。パウロ、シルワノ、テモテをはじめ、他の一足先にたてられたピリピのクリスチャンたちも、おそらくパウロの要請によってテサロニケの教会のために祈っていたと思います。
さらにパウロは、テサロニケの教会は、神さまに選ばれた人たちなのだと言っています。
神に愛されている兄弟たち。あなたがたが神に選ばれた者であることは私たちが知っています。(Ⅰテサロニケ1:4)
実は私たちも選ばれた者たちです。
なぜなら、私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。また、私たちがあなたがたのところで、あなたがたのために、どのようにふるまったかは、あなたがたが知っています。あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。(Ⅰテサロニケ1:5〜6)
私たちの周りには、私たちと同じような境遇の方々がいたと思います。同じように伝道集会のチラシを手に取ったり、同じように福音が語られたり、同じようにみことばの種が蒔かれた。それなのに何故、私たちは教会にいるのでしょうか。そこにはやはり、神さまの選びがあったのです。いくら教会に良い印象を持っていたとしても、その人がクリスチャンになるわけではありません。神さまに選ばれた者だけがクリスチャンになるのです。神さまの選びがあるのです。そのことをパウロは言っています。
こうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです。(Ⅰテサロニケ1:7)
パウロはここから、神さまに選ばれた者、神さまに愛されている者として、どのような歩みをしていくべきかをのべています。
テサロニケはマケドニヤにあり、マケドニアとはギリシャの上部(北)に位置します。アカヤは下部(南)に位置します。
テサロニケの人々は、このギリシャ全体のすべての信者の模範となりました。どのような模範になったのかは次に記されています。
主のことばが、あなたがたのところから出てマケドニヤとアカヤに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰はあらゆる所に伝わっているので、私たちは何も言わなくてよいほどです。 (Ⅰテサロニケ1:8)
テサロニケには救われたクリスチャンがいるということがマケドニヤとアカヤの全域に知れ渡っている。さらに神に対する信仰も同じ全域に認められているということです。
私たちがどのようにあなたがたに受け入れられたか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、(Ⅰテサロニケ1:9)
この箇所も私たちに当てはまるものではないでしょうか。私たちも生まれながらにして仏教や神道が根付いている環境に生きていた者たちでした。「偶像」なんて言葉も思い浮かばないほど、当たり前のようにそういった環境の中で生まれ育ち、生きていた者たちでした。神に選ばれ、立ち返って(救われて)初めてそれが「偶像」であったのだということが分かったほどです。テサロニケの信者たちも同じでした。そのような中から神に仕える者となったのです。
また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めているのです。(Ⅰテサロニケ1:10)
およそ2000年前のユダヤ人たちは、やがて救い主が来るのだということを信じ、待ち望んでいました。今の私たちは何を待ち望んでいるのでしょうか。それは「イエス様が再臨されるのだ」ということです。それは世を救うためではなく、世を裁くために来られるのだということです。私たちキリストを信じた者は天に引き上げられます。しかし信じていない者は、残念ながらそこで裁かれるのです。そのメッセージは、私たちがどうしても世の人々に語らなければならないことなのです。そこでテサロニケの信者たちが世の信仰の模範となったように、私たちも模範とならなければなりません。
教会がどうしてもしなければならないことは何でしょうか。
教会にしか出来ないこととは何でしょうか。
それは「伝道」です。「福音を宣べ伝える」ことです。
それを私たちは忘れてはいけません。
世の中には聖書を読んだことのない人々、福音を聞いたことのない人々がたくさんいます。
そのような人たちに、私たちはどうしても福音を語っていかなければならないのです。それが教会の、最も優先されるべきことです。そのことをすることなしに、神さまは教会を発展させることはないでしょう。そのことを是非、おぼえていただきたいと思います。