2017年7月23日 主日礼拝「ヨーロッパ宣教」
本日の聖書箇所
使徒の働き15章36〜16章40節
説教題
「ヨーロッパ宣教」
今週の聖句
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
テモテへの手紙第一2章4節
訳してみましょう
1913 Beware of spending too much time on matters of too little importance.
(あまり重要ではないことに時間を費やすことに注意しなさい。)
1914 Pain will either turn us against God or draw us to Him.
(痛みは私たちを神に向かわせるか、私たちを彼に引き寄せます。)
説教メモ
1.第二回伝道旅行
今はヨーロッパはキリスト教が浸透し、その色が濃い地方ですが、しかしイエス様の時代はそうではありませんでした。ヨーロッパに行くと大きな聖堂も多くあり、ルネッサンスの影響もあって聖書に基づいた芸術作品もたくさん生み出され残されています。
今朝はそのヨーロッパにどのようなきっかけがあって宣教がなされていったのかを見ていきたいと思います。
パウロは第二回伝道旅行に出掛けます。15章のところではエルサレム会議がありました。大切なことが話し合われました。それは異邦人の割礼の問題でした。そこで決まったことは、異邦人に割礼を強要するのは良くない、割礼は必要ないという結論でした。しかし付随したことが書かれています。たとえば、
ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。
(使徒15:20)
ユダヤ人の手前、ユダヤ人との交わりのためにこのようなことが言われました。
昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」
(使徒15:21)
そのような約束事がありました。絶対そうしなさいということではなく、交わりのためにこれらのことをしようではないかということです。
この手紙を読んでアンテオケの信者たちは喜びました。ただ喜ぶだけでなく、その決定事項を異邦人に伝えるべく出て行きました。これが第二回の伝道旅行となりました。
パウロとバルナバは二回目の伝道旅行を計画しました。信者たちを励まし、エルサレム会議での決議事項を直接伝える目的もありました。
幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」
ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。
しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。
そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。
パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。
(使徒15:36〜40)
パウロはこの時、第一回伝道旅行の際に途中で帰ってしまったマルコと呼ばれる若者を批判しています。バルナバの従兄弟にあたる人です。このことでパウロとバルナバは対立しまいました。その結果、二つのチームに分かれて出かけて行くことになりました。このようにして福音宣教は拡大していきました。パウロとバルナバのいさかい。これもまた神さまのみこころの道だったのでしょう。
それともまた、私とバルナバだけには、生活のための働きをやめる権利がないのでしょうか。
いったい自分の費用で兵士になる者がいるでしょうか。自分でぶどう園を造りながら、その実を食べない者がいるでしょうか。羊の群れを飼いながら、その乳を飲まない者がいるでしょうか。
私がこんなことを言うのは、人間の考えによって言っているのでしょうか。律法も同じことを言っているではありませんか。
(Ⅰコリント9:6〜8)
彼らの不和がいつまでも続いたのではないことが分かります。
ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。
(Ⅱテモテ4:11)
ここでパウロとマルコが和解していたことも分かります。
バルナバとマルコは第一回伝道旅行と同じルートを行きましたが、パウロとシラスは逆方向に向かいました。
ここでテモテが登場します。
それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、
ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。
パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることを、みなが知っていたからである。
(使徒16:1〜3)
パウロはテモテにあえて割礼を受けさせました。エルサレム会議でも決まったことですし、パウロは割礼などどちらでも良いと考えていましたが、これからの伝道には割礼を受けさせた方が都合が良いと考え、割礼を受けさせました。テモテはすでに立派な信者でした。しかし地方にいるユダヤ人の手前そのようにしました。パウロはこのことについて別の手紙で説明しています。
私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。
ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。
(Ⅰコリント9:19〜20)
ここで言っています通り、ユダヤ人を獲得するためにユダヤ人のようになる。律法の下にある人々を獲得するために、律法の下にある者のようになったと言っています。テモテに割礼を受けさせた理由がここにあります。
2.聖霊の導き
パウロとシラスは計画通りにアジヤに向かおうとしましたが、聖霊によって禁じられ、行き先を変更しました。
それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。
こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。
それでムシヤを通って、トロアスに下った。
(使徒16:6〜8)
神さまの聖霊がどのように計画を変更させたのかは具体的に記録されておらず分かりませんが、恐らく様々な摂理によってパウロは聖霊の導きを察知したのでしょう。
ある聖書学者によると、それはパウロ自身の健康状態に原因があったのではないかと言っています。
ご承知のとおり、私が最初あなたがたに福音を伝えたのは、私の肉体が弱かったためでした。
そして私の肉体には、あなたがたにとって試練となるものがあったのに、あなたがたは軽蔑したり、きらったりしないで、かえって神の御使いのように、またキリスト・イエスご自身であるかのように、私を迎えてくれました。
(ガラテヤ4:13〜14)
もしかしたらこれも聖霊によってパウロの健康的な理由をも用いられたのかもしれません。
トロアスという港町にくだりました。そこでパウロは幻を見ました。
ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。
パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。
(使徒16:9〜10)
パウロは即座に、これは神さまの御心であることを確信しました。それで当初には計画になかったヨーロッパ伝道が始まるわけです。
さて、使徒の働き16章10節で突然「私は」から「私たちは」と主語が変わっています。この使徒の働きはルカが記していますが、そのルカが旅に加わったことが分かります。健康状態に不安があったパウロにとってこのルカの存在というのはとても安心できる心強い存在となったのでしょう。ルカが医者だったからです。そのルカが伝道旅行に加わりました。
このように聖霊の導きにより、第二回伝道旅行がヨーロッパ地方への伝道へと進んで行きました。
3.ピリピでの宣教
ピリピという町は、マケドニヤ地方で一番大きな町でした。近くに金鉱がありました。紀元前358年にマケドニヤの王フィリポス二世がそこを占領し、紀元前31年に皇帝オクタビヤネス、聖書ではアウグストと言われている人が町を拡張してローマの植民都市としました。軍事的、通商上に非常に重要な町でした。ピリピの住民にはローマの市民権が与えられていました。
パウロはどこに行ってもユダヤ人が集まる会堂に入って教えてきましたが、ピリピにはユダヤ人が少ないために会堂がありませんでした。ユダヤ人たちは安息日ごとに川縁に集まっていました。
安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。
テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。
(使徒16:13〜14)
紫布を好んで使っていたのは裕福な人たちでした。その紫布を扱っていたルデヤもまた裕福だったようです。ルデヤはパウロの語る福音を信じました。
そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。」と言って頼み、強いてそうさせた。
(使徒16:15)
パウロたちの一行はルデヤの家に招かれそこに宿泊しました。ルデヤの申し出もあり、彼らはただそこに宿泊しただけでなく、その家がピリピ伝道の拠点となり、やがてヨーロッパ最初の教会として発展していきました。パウロは後にピリピ人への手紙において、ピリピの人々の健全な信仰を褒めています。
私たちが祈り場に行く途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させている者であった。
(使徒16:16)
パウロたちは占いで主人たちに多くの利益を得させていたこの女を癒しました。するとこんなことが起こりました。
彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕え、役人たちに訴えるため広場へ引き立てて行った。
そして、ふたりを長官たちの前に引き出してこう言った。「この者たちはユダヤ人でありまして、私たちの町をかき乱し、
ローマ人である私たちが、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しております。」
群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、
何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。
この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。
真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。
看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。
そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。
ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。
そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。
看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。
それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。
(使徒16:19〜34)
パウロとシラスは牢獄に入れられてしまいました。その牢獄の中で神を賛美していたその賛美を、牢獄の囚人たちと看守は聞いていました。そして聖書に記述があるとおりの不思議な出来事が起こり、結果的になんと看守家族全員が救われることになりました。
今でも同じ聖霊様が働いておられます。そして「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言われます。
ローマ市民権を持っていたパウロは、ローマ帝国の各地で異邦人を導くことが出来ました。ピリピの教会はパウロの伝道を熱心に祈り、また実際の物資を差し出して助けました。このようにしてヨーロッパ伝道が始まりました。
これから様々な事が起こります。ネロ皇帝の時代にはクリスチャンに対する激しい迫害がありました。そのような時代を通らされてもなお、今度はローマはキリスト教を擁護することになりました。そしてキリスト教がいっぺんにヨーロッパ全体に宣べ伝えられていきました。聖霊の力はものすごいと思わされます。その福音はますます拡がっていきました。そして私たちが住む日本にも福音が宣べ伝えられました。
同じ聖霊が今も働いておられます。