2017年7月16日 主日礼拝「伝道の前進」
本日の聖書箇所
使徒の働き13章1節〜15章35節
説教題
「伝道の前進」
今週の聖句
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エペソ人への手紙2章8節
*「恵み」とは、受ける資格がないのに与えられること。“自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。”
訳してみましょう。
1911 Our unknown future is safe in the hands of the All-knowing God.
(私たちの未知の未来は、すべてご存知の神の御手にあって安全です。)
1912 Death is not a period — it’s only a comma.
(死は終止符ではなく、ただの句読点です。)
説教メモ
私たちのところにどのような経路を通って福音が伝わったのか、使徒の働きを通しても知ることができます。
1.聖霊による伝道旅行への派遣
ステパノが殉教し、それによって迫害がエルサレムから拡がっていきました。エルサレムの信徒たちは追われ、散らされました。彼らはただ逃げていたのではなく、福音を宣べ伝えながら各地を歩きました。
さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。
(使徒11:19)
信徒たちはアンテオケを拠点として伝道しました。
フェニキヤですが、地中海の東の沿岸を指します。キプロスは地中海東の島。アンテオケはシリヤの首都であり、そこは内陸の国際都市でした。ローマ、アレクサンドリアに次いで三番目に大きな都市でした。国際都市特有の自由な振る舞いが出来る空気があった一方、道徳的に非常に問題がありました。ユダヤ人のクリスチャンたちはユダヤ人だけに福音を語っていましたが、アンテオケにきたキプロス人、クレネ人はギリシャ人にも自由に証しをしました。
ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。
(使徒11:20)
「主の御手が彼らとともにあった」という表現があります。彼らは主によって用いられたことが分かります。その結果、アンテオケでは多くの人が罪を悔い改め主に立ち返りました。そしてここでアンテオケに最初の異邦人教会が誕生しました。
エルサレム教会は異邦人の改心を確認するためにバルナバを派遣しました。
この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。
(使徒11:22)
バルナバの励ましと熱心な指導によってますます多くの人が教会に加えられました。同労者の必要を感じたバルナバは、異邦人への「運びの器」として召されたサウロを連れて来て教師としました。
バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、
彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
(使徒11:25〜26)
その教会で初めて信じる者たちが「キリスト者」と呼ばれるようになりました。それまでは「この道の者」と呼ばれていました。キリストに属するものという意味を持つニックネームでした。今までのようなユダヤ教の一派ではなく、新しいキリスト者の群れとして認識されました。
さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。
彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。
そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。
(使徒13:1〜3)
聖霊によってこれから伝道旅行へと派遣されます。普通の信徒の群れから始まって、後に指導者を得て急成長していくアンテオケの教会の一部分を見ることができます。聖霊に命じられると、断食と祈りをもってバルナバとサウロを派遣しました。
こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。
(使徒12:12)
マルコと呼ばれているヨハネが登場します。彼はバルナバの従兄弟にあたる人物で、後にマルコの福音書を書いた人物です。このように聖霊によって伝道旅行は始まりました。
2.伝道旅行
パウロの第一回の伝道旅行と位置づけられています。
ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。
(使徒13:4)
この伝道旅行はキプロス島から始まりました。この時からユダヤ名であるサウロから、ローマ名であるパウロと名乗るようになりました。パウロは自分の回想場面では「サウロ」と言い、その他はすべて「パウロ」と呼ばれています。そのパウロの活躍はめざましく、ピシデヤの国境に接するアンテオケに向かう頃から「パウロの一行」と記されています。
ところで、ローマ名である「パウロ」という名前の意味ですが、「最も小さな者」という意味があります。
彼らは安息日には会堂に入って、求められるままに奨励、説教をしました。
「イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ方々。」とパウロは呼びかけています。明らかにユダヤ教に改宗した異邦人を意識してのことだろうと思います。パウロはイスラエルの歴史から始めてダビデの子孫であるイエス様に及び、十字架と復活の事実を語り、「このイエスこそが神が約束に従ってお遣わしになった救い主である」と宣言します。最後に信じる者はこの方によって罪が赦されるのだと宣べて決心を促すと、多くの人が感銘を受けて、次の安息日にはほとんど町中の人が神のことばを聞くために会堂に集まりました。
ところが、それを良く思わない人たちがいました。多くの異邦人たちがこのように集まるのを見た一部のユダヤ人は、妬みに燃えてパウロに反対し妨害しました。このことからパウロは異邦人の光として地の果てにまで福音を宣べ伝える使命を悟り、「私たちはこれから異邦人の方に向かいます」と宣言しました。頑固なユダヤ人と神の恵みにとどまる救われる異邦人の姿が対照的に描かれています。永遠のいのちに定められていた人たち(13:48)は、救われる者を限定するのではなく、救われた人のことです。彼らが救いを神の選びと恵みとして受け止めたことを示しています。
パウロとバルナバはユダヤ人の迫害に遭いながらも旅を続け、多くの異邦人を救いへと導きました。パウロは異邦人伝道者として召されたと自らが語り、実際にそうなのですが、パウロたちがまず語ったのは同胞のユダヤ人に対してでした。ユダヤ人たちの集まりがあると聞くとパウロはそこへ出向いて福音を語りました。そしてまた妨害が入り、パウロたちは他のところへと向かいました。パウロは異邦人伝道の大宣教師でしたが、まず同胞のユダヤ人に救われて欲しいという願いがありました。しかしあまりにも妨害があるものですから、「私たちはこれから異邦人の方に向かいます」と言わざるを得なくなりました。そのようにして伝道旅行は続きました。
パリサイ派の人たちは、異邦人が救われることをあまり良く思っていませんでした。そして救われた異邦人に対して律法的なことを要求しました。「割礼」です。救われたのなら割礼を受けなさい。それが彼らの要求でした。それは大きな問題となり、エルサレム会議が開かれました。異邦人にも割礼を受けさせるべきか。議題はこの一つでした。
3.エルサレム会議
異邦人も救われるということを大きな風呂敷の幻を通して悟ったペテロ。他の使徒たちも異邦人に伝道し次々と救われていった。それを見て良く思わないパリサイ派の人たちは救われた異邦人に「割礼」を求めました。それが問題となりました。歴史的に教会会議というものが何回か持たれていますが、エルサレム会議が第一回目の教会会議でした。
保守的なユダヤ人クリスチャンは救いの条件として、救われた異邦人に割礼を求め、論争が起こりました。
しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
(ガラテヤ2:16)
福音の本質にかかわる重大な問題を検討するために、AD49年頃に史上初めての教会会議が開かれました。激しい論争の結果、ペテロが立ち上がりました。ペテロはコルネリオの家での出来事を証しし、「ユダヤ人でも追い切れないくびきを異邦人に負わせる愚かさ」を戒め、「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たち、つまり異邦人もそうなのだ」と述べました。
激しい論争があって後、ペテロが立ち上がって言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。
そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、
私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。
それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。
私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」
すると、全会衆は沈黙してしまった。そして、バルナバとパウロが、彼らを通して神が異邦人の間で行なわれたしるしと不思議なわざについて話すのに、耳を傾けた。
(使徒15:7〜12)
全会衆は沈黙してしまい、ただバルナバとパウロが語ることに耳を傾けました。
最後に、議長役をつとめていたヤコブ。ヤコブという人物はイエス様の実弟にあたる人です。ヤコブが異邦人伝道の成果はアモス書の預言の成就であると語りました。
『この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。
それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。
大昔からこれらのことを知らせておられる主が、こう言われる。』
そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。
(使徒15:16〜19)
こちこちのユダヤ人は、自分たちこそ神の選民であるとの誇りがあり、異邦人のことなど眼中になく、異邦人が救われるなんて事は考えられないことでした。しかしここで異邦人が救われるのだということを聞き、「それはけしからん」と、割礼を求め、それをめぐって激しい論争がエルサレム会議でも起こりました。しかし最後にはイエス様の実弟にあたるヤコブがアモス書からの引用をもって会議を締めくくりました。
その結論は、
ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。
昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」
(使徒15:20〜21)
これは交わりのために守るべきことです。救いに割礼は必要ないが、モーセの律法に書いてあることは最低限守って欲しいと書き送りました。一つの結論とともに、ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの和解となりました。これがパウロの第一回目の伝道旅行の締めくくりとなりました。
教会はいつの時代も、教会の内外に問題があります。神が望んでおられる理想的な教会はこの地上にはないと思います。それぞれの教会が問題を抱えておりパウロはその解決のためにいくつかの手紙を書きました。その手紙が聖書に加えられています。教会には問題があります。教会には様々な年代、性別、性格、賜物が違う人々が集うわけですから、様々な問題があることは必然です。
ユダヤ人と異邦人との隔ての壁を乗り越えていく。これは聖霊の働きです。
迫害によって周辺諸国に散っていった信徒たちは、その先々でユダヤ人にしか福音を語りませんでした。しかしアンテオケではギリシヤ人にも福音が語られました。大勢の異邦人が信仰に導かれることになりました。こうしてアンテオケに最初の異邦人教会が誕生しました。その教会をエルサレムから派遣されたバルナバとパウロが指導しました。
アンテオケの教会は聖霊の導きにより、パウロとバルナバを宣教に派遣しました。キプロスから小アジヤに渡り、ユダヤ人の会堂を足がかりとして福音を宣べていきました。しかし行く先々でユダヤ人たちに妨害されました。福音を受け入れたのはユダヤ人ではなく異邦人たちでした。本来ユダヤ人と異邦人は共にキリストを信じて両者は一つとなっていかなければなりませんでした。しかし信じた異邦人と信じないユダヤ人は分離していきました。いずれにせよ、聖霊が異邦人に信仰の門を開いてくださったのであり、もはや動き出した聖霊の流れは、どんな迫害によっても止めることはできませんでした。
エルサレムでは第一回の教会会議が開かれました。
聖霊の流れに逆らったのは信じていないユダヤ人だけでなく、教会内部のユダヤ人からも抵抗する人が出ました。エルサレムの律法主義的傾向を残したい信者は異邦人クリスチャンの救いの条件としての割礼と律法遵守を求め、パウロと激しく対立しました。この問題を扱うために、彼らはエルサレムに集まって問題を討議しました。
激論の結果ペテロとヤコブは、ユダヤ人も異邦人もイエスの恵みによって救われる、異邦人の救いはアモスの預言の成就であり彼らに律法を強要してはならないという発言で一応落ち着きました。
しかし律法と恵みの問題は、これから後もずっと論議されることになります。クリスチャンは律法と恵みの分離、信仰と行いの分離に苦しむことになりました。
神の国においてはヤコブ書が語るように、律法と恵み、信仰と行いは一つであり、切り離すべきものではないとあります。そして両者を一つとする方として私たちに与えられたのが聖霊です。聖霊を無視してはもはや何も解決されません。聖霊が私たちにとって唯一の解決策であります。
私たちはいたずらに救われたのではありません。一人ひとりが聖霊の導きの中で聖霊によって救われたのです。私の罪の解決のためにイエス様の十字架があった。私の罪の身代わりとしてのイエス様の死がそこにあった。そして三日目によみがえられたのは私が永遠にこれからは罪の奴隷ではなく神の奴隷へと変えられたのだ。その決意を与えられたのは聖霊である。聖霊によって私たちは変えられました。その同じ聖霊が今も私たちを導いておられます。
私たちはがむしゃらに何かをするのではなく、それは聖霊が導いておられることなのかを、祈り求めながらわきまえていくべきです。日々の祈りの中で聖霊の導きを求めましょう。
私たちは日々変えられていきます。そしてそれは日々、様々な潤いをもたらします。