2018年6月17日 主日礼拝「アテネ伝道」

本日の聖書箇所

使徒の働き17章16〜34節

説教題

「アテネ伝道」

今週の聖句

この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。

使徒の働き17章24節
 
 
訳してみましょう。
1995 There is victory in surrender when the conqueror is Christ.
(征服者がキリストである時に降伏すれば勝利があります。)
1996 The Great Phisician always has the right remedy.
(偉大な医師<主>は常に正しい治療法を持っています。)
 
 

説教メモ

「使徒行伝」を他の言葉で言うと、「聖霊行伝」です。聖霊がどのようにパウロや他の人を導き、伝道が推し進められていったかを記しているのが「使徒の働き」です。また、使徒の働きは28章で終わっていますが、29章から先はずっと今に至るまで、そしてこれからも続いて行きます。聖霊の働きは依然として続いているのです。そしてそれは私たちクリスチャンがそれぞれ聖霊の導きによって歩んでいるその歩みなのです。聖霊がどのようにして一人ひとりのクリスチャンを導いておられるのかということは、とても重要なことなのです。
使徒の働き17章前半には、テサロニケとベレヤという地名が出てきます。つまりピリピ伝道が一応終わったと言いますか、ピリピではパウロが捕らえられて牢につながれておりました時に聖霊が働いてくださり、パウロをつないでいた手かせ足かせがほどけ、囚人たちが逃げてしまったと考えた看守が自害しようとしたその人に向かって、パウロは誰も逃げてなどいないからと、それを留めました。それでその看守は非常に驚き、そのことをきっかけにパウロの語る福音を信じました。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
(使徒16:31)

その通り、看守の家族は揃って救われて洗礼を受けました。
しかし反対する者はいつもパウロの後を追いかけていました。パウロはピリピに長く留まることができず、次の町、テサロニケへ行きました。テサロニケは当時マケドニヤ州の首都でした。パウロはそこでも福音を語り、何人かの人たちが信じて救われました。そしてテサロニケには教会が出来ました。しかしテサロニケにも長く留まることが出来ずに、追われている身ですから逃げるようにしてベレヤに行きそこでも伝道しました。ベレヤでも信じる人たちが起こされていきました。そしてパウロはベレヤの地の信者たちを褒めているところがあります。

ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。
(使徒17:11)

ベレヤのクリスチャンはとても熱心でした。これは私たちも見習わなければなりません。牧師が語ったことをすべて受け入れるのではなく、その内容が本当なのかどうかを聖書から調べてみる。注解書もたくさんありその解釈も色々ですから、自分がどの立場に立っているのかを明確にすることも必要かと思います。しかし一番の基本は、それが聖書の通りであるかどうかということです。
今日取り上げますのは、続く15節からのアテネでの伝道のことです。
 
 

1.アテネの町で

アテネと聞いて皆さんは何を思い起こしますか。オリンピックでしょうか。パルテノン神殿でしょうか。
今日の聖書箇所にもありますが、アテネの人々は論じ合うことが好きだったようです。何か耳新しいことがあれば無関心ではいられず、それをどうしても聞きたかった。そのような人たちが暮らすところでした。色々な事に関心を持つということは良いことでもあると思います。
 
ところで、今日は「父の日」です。
最近のニュースで、5才の女の子が両親の虐待によって亡くなり、その両親が逮捕されたということが報じられました。私たちはこのようなニュースを今回のことの他にも多く耳にしています。親の虐待によって亡くなる児童の数は、12万人もいるそうです。
今回亡くなった女の子は、はじめ体重が16㎏あったそうです。亡くなった時には12㎏にまで減っていたそうです。十分に食べさせてもらえませんでした。寒いベランダで文字を覚えさせられていたと言うことでした。そして学校に上がる前の5才の子に対して、20くらいのルールが決められていました。
私は父親に甘えたという記憶がありません。父親と母親と暮らした記憶、一緒に食事をしたり、一緒に遊んだという記憶がありません。そのような境遇で育ちました。ですから今日は父の日ですが、甘えられる父親がいるということは素晴らしいことだと思います。皆さんは父親に甘えて育ってきたでしょうか。
しかし、私たちクリスチャンは、たとえ肉の父親がどんなであっても、私たちには本当の天の父なる神さまがおられるということを知っています。それはなんと平安な思いが私たちの心に宿ることでしょう。そのことはその人を強め、平安を与えると思います。
 
アテネの町で何が起こったのかは、16〜21節に。そしてパウロの説教が22〜31節まで。それに対するアテネの人たちの反応が32〜34節までに書かれています。
アテネの町を巡ったパウロは、町が偶像に溢れていることに憤りを覚えました。パウロの憤りは十戒にある「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」という戒めからでした。神を無視して生きている人々に対する神の思いを、パウロが憤ったということは反映していると思います。パウロは伝道のためにアテネに来たわけではありませんでしたが、いてもたってもいられなくなり福音を語り始めました。パウロの福音への思い、イエス様に対する熱意は常に語るというかたちで表されていきました。安息日には会堂に入りユダヤ人たちに向かって語りました。しかし平日には広場に集まっている人たちと論じ合っていました。そのアテネの広場では教師や哲学者たちが人々に知識を伝えていました。人々はそこで色々な知識を得ていました。パウロと論じ合う人たちの中には、エピクロス派、ストア派の哲学者がいました。彼らの目にはパウロはおしゃべりであると映りました。この「おしゃべり」の元々の意味は、無駄な知識を蓄えているという意味です。パウロの姿は彼らの目に、外国の神々を伝えていると映っていました。しかしアテネの人々は常に知的好奇心を満たすために新しいことを求め続けていました。パウロはアレオパゴスで定期的に会合を持つ評議会において語るようにと依頼されました。パウロはそこで福音を語り、説教をしました。その説教が22節から始まっています。
 
 

2.パウロの説教

教養のある人々に対して、パウロは特徴ある説教をしました。パウロは自分がコリント人への手紙の中で言っているように、ユダヤ人にはユダヤ人のように、その他の人々にはそれぞれにふさわしく語ることができたと、自分のことを言っています。パウロは導入としてアテネの人々の宗教心に篤いところを褒めました。そしてアテネの町の通りで見かけた「知られない神に」とある祭壇のことに触れ、彼らの知らない本当の神さまとイエスについて語り始めました。知られない神にと書かれた偶像があったのでしょう。それをパウロは用いて語りました。心には偶像に仕えている人たちに対する憤りもあったことでしょう。しかしそこにあるものをしっかりと見つめ、何が伝道に使えるか、説教に使えるかを考えていました。
パウロの説教の本質は、主に三つに分けることができます。

  • 24〜25節。神さまとはどのようなお方か。神さまは天地万物を創造された方であり、神さまは人の手で作られた宮には住まわれないのだということ。神さまは人に仕えられる必要はなく、かえって人にすべてをお与えになる方であるという、いわゆる「神観」、神さまとはどのようなお方であるのかを伝えています。
  • 26〜29節。ここでは「人間論」が語られています。アダムからの全人類の創造から、神さまが世界を人に委ねられたということ。人は神さまを求めて見出すべきこと。神さまは人の近くにおられることを、あえて彼らの先達である哲学者の言葉を引用し、彼らが理解と興味を引くようにと語っています。そして人が神のかたちにつくられた神の子孫なので、神をつくることは間違っていると言いました。
  • 30〜31節。結論としてイエス・キリストを紹介し、悔い改めを迫りました。

 

 

3.アテネの人々の反応

あなたがたの「知られない神」とはイエス・キリストである。神さまは天地万物を創造され、ひとり子であるイエス・キリストを私たちにお与えになった神さまである。そのイエス・キリストがこの世に降り、やがては十字架につけられ殺され、そして紛れもなく三日目によみがえられた。そのよみがえられたということを聞くと、彼らは到底信じることが出来ず、

死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう。」と言った。
(使徒17:32)

このように言ってあまり関心を示しませんでした。
パウロが宣べ伝えたのは、死者の中からよみがえられたイエス・キリスト、そしてよみがえらされた神さまのことでした。しかし多くの者はそれを受け止めることが出来ませんでした。
パウロの説教を聞いた人たちの反応はこのようなものでした。復活のイエス・キリストのメッセージを聞いた途端に好奇心が冷めてしまいました。ギリシヤ人は霊魂の不滅は信じていましたが、体の復活のことは信じていませんでした。彼らにとって体とは不完全なもの、俗悪なものという位置づけでした。霊は良いもの、体は悪いものという哲学思想があり、それが主流でした。
パウロはできる限り彼らに近づき、できる限り彼らが理解できるようにと福音を語りました。しかし多くの人々の心は捕らえられず、かえって嘲笑されてしまいました。

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
(Ⅰコリント1:18)

この十字架のことばはまさしくアテネの聴衆の反応が示す通りでした。しかし、救いに与る私たちには神の力です。私たちが宣べ伝えること、イエス・キリストが三日目によみがえられたと語っても、大抵の人たちが本気で聞こうとしないでしょう。また、語る私たち自身の内にも、こんなことを語っても良いのだろうかといったような躊躇があることも事実でしょう。これは間違いであり、福音はきちんと正しく伝えなければなりません。その福音を信じているのが私たちクリスチャンであることも伝えなければなりません。そうでないと私たちの伝道は成功しません。恐らく99%断られます。死人の復活など、決して受け止めようとしないのがこの世の常です。でも私たちはイエス・キリストが死んでよみがえられたことを信じています。そして私たちもまたよみがえらされるのだ、いや、神さまの御目から見たら、イエス・キリストを信じた瞬間に、すでに死んでよみがえらされた者として見ていてくださっているのだということを知り、信じているのです。ですから私たちは大胆にそのことを語っていくのです。

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
(ガラテヤ2:20)

皆さんにはこの感覚がおありでしょうか。そしてこのことは、自分に言い聞かせ続けなければなりません。そうすれば、福音を語ることに躊躇したり、恥ずかしいと思ったりすることはなくなるはずです。親戚や親しい友が私たちに対して何を言おうとも、私たちには何の苦痛もありません。
 
最後の所です。

こうして、パウロは彼らの中から出て行った。
しかし、彼につき従って信仰にはいった人たちもいた。それは、アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった。
(使徒17:33〜34)

アテネでは教会が建てあげられたという記述がありません。ただほんのひとかたまりの人たちが救われたことをパウロは伝えています。パウロは行くところどこででも教会を建て上げていったような印象を持っているかも知れませんが、アテネではそうではありませんでした。
私たちも福音を宣べ伝えますが、信じる人は本当にわずかです。いないかもしれません。しかし私たちは諦めてはいけません。昨晩はシモンさんのコンサートがありました。私は驚きましたが、そこで十数年ぶりに再会した人が来られました。その方のお子さんが幼いときに教会学校に来ていました。そんなことなど何も知らない一人の姉妹が、私の知らない所でその方に声を掛け、コンサートに誘ってくださったのです。そしてその方は教会に来てくださいました。またもう一人、近所の男性が来てくださいました。その方は新聞の折り込み広告を見てコンサートのことを知ったとおっしゃり、興味を持って電話で問合せをして来られました。しかし私たちはコンサートのチラシは100枚ほどしか印刷しておらず、まして新聞に折り込みなどしていません。そのチラシは私の家内がたまたまポスティングしたわずかなもののうちの一枚で、恐らくたまたま新聞に混じってポストに投函されたチラシを偶然見てくださったのでしょう。そのような方法でも一人の方が教会に来られました。
私たちは福音を語ることを諦めてはいけません。人はどんなきっかけで教会に導かれるか分からないからです。色々な機会に、色々な方法で福音を宣べ伝えて行きましょう。アテネの町では教会が始まったという記述はありませんでしたが、恐らくこの後、クリスチャンの数が増えていき、このことが教会の基礎となったことでしょう。皆さんの伝道もすぐに実を結ばないかもしれませんが、種を蒔いておけば、いつか必ず芽が出ます。私は農業をしていて本当にそのことを実感しています。種を蒔かなければ芽が出ない。私たちは時が良くても悪くても、みことばの種を蒔き続けなければなりません。できれば土を耕し、肥料を蒔き、良い土壌にしてそこに種を蒔ければ一番良いと思います。そのために普段、一緒にお茶を飲んだり、お話しを聞いたりと、そういったことが大切になってきます。私たちの責任は福音を伝えるということ。そして相手の方のために祈って行く。後はその方と神さまとの問題となります。その方はみことばをどう受け止めるか、そしてその方の内に信仰が芽生えるかどうか、それは聖霊がどのようにその魂を導いてくださるかということです。私たちはこの目でその実を見ることがないかもしれません。私たちは私たちの成すべきことをきちんとわきまえて、実行して行きたいものです。蒔かれた種は、すべてが芽を出す訳ではありません。しかし、ある種は時が来ると芽を出し成長し、そして実を実らせます。私たちが救われたのも、誰かがみことばの種を蒔いてくださったからです。今、私たちに出来ることは何でしょうか。そのことを覚えて歩んでまいりたいと思います。主が私たちを用いてくださいます。

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