2016年10月2日 主日礼拝「ステパノ」
本日の聖書箇所
使徒の働き6章〜7章
説教題
「ステパノ」
今週の聖句
そのとき、イエス・キリストはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。
ルカの福音書23章34a節
訳してみましょう。
1833 When God forgives, He removes the sin and restores the soul.
(神が赦してくださる時、神は罪を取り除いてくださり、魂を修復してくださる。)
1834 Obedience to God is an expression of our love for God.
(従順は、私たちの神への愛の一つの表現である。)
説教メモ
1.評判のよい人
ステパノは、教会の中での最初の殉教者です。
皆さんにはたくさんの友人がおられると思います。あの人は赦せない。あの人は嫌いだ。そう思っている人はいますか?
もしそのような友人がいて、自分の方から関係を修復したい、相手を赦すと思う気持ちに変えられるならば素晴らしいことだと思います。相手が変わるのではなく、自分が変わると相手もおのずと変わってくるのではないかと思います。
淡路島に住んでいたAさんがいました。ある日近所の集まりの中で、ある一人の人からとてもひどいことを、それも皆の集まっている前で言われたそうです。その時は我慢しましたが、帰り道の途中、Aさんの心はムカムカして、Aさんをひどく言った人が憎らしくて憎らしくて仕方なくなりました。家に帰ってもますます「絶対に許せない!」という気持ちで一杯になり、夜も眠れなくなるほど怒っていました。それは次の日の朝も同じでした。いつものようにラジオをつけました。当時クリスチャンでなかったAさんでしたが、毎朝聞いているラジオから聖書のみことばが聞こえ、ふと聞き入ったそうです。その日はイエス様の十字架のお話しでした。「イエス様は自分を十字架に架けた人々のために祈りました。『天のお父様、あの人たちを赦してあげてください。あの人たちは、自分がどんなに酷いことをしているのか分からないのですから』」このイエス様のおことばが、憎らしい気持ちで一杯のAさんの心に染みてきました。イエス様に酷いことをしたAさんのためにも、イエス様は祈ってくださったことが分かったのです。Aさんは涙を流しながらイエス様に謝罪しました。そして自分に酷いことを言った人を赦せるようにお祈りしました。すると、Aさんに酷いことを言ったその相手が、その日の午後、Aさんの元に謝罪のために訪ねてきました。
赦せないと思いで一杯だったAさんが、ラジオの放送を通してイエス様の十字架の赦しのメッセージを聞いて、許せるようになりました。そうしたら、相手の心にイエス様がどのように働いてくださったかは分かりませんが、その日の午後、その相手はAさんの元に謝りにきたのです。
麗し話ではないでしょうか。たびたび私たちはこういう場面に出くわすのではないかと思います。どうしても許せない。しかし、自分のことを考えると、自分はどうだったのだろうか。自分は本当に聖書から見て罪深い人間だった。しかしその罪をイエス様がその身に代わって負ってくださった。だから私の罪は赦されているのだ。そしてもし自分の罪が赦されているのだとすれば、自分が相対する人の罪もイエス様は赦してくださるに相違ない。その人が祈ればその人の罪も赦されるはずだ。という原則に立って、自分の罪が赦されていることは感謝なこと、それならば相手の罪も赦される。そういう思いで、私たちには赦す土台が出来ているのではないかと思います。イエス様が赦してくださる。だから私も赦せる。人間的な思いでは絶対に赦せない。そういった感情的な面はあるかもしれません。しかし、イエス様がその人を赦していてくださるのだとすれば、私が赦せないということなどあり得ないこと。イエス様が私の罪を赦してくださったのだから、私もその人の罪を赦さなくてはいけない。少なくともそういった思いはあるでしょう。赦せないけれど、赦さなければならない。
今日はステパノのお話しを聞いて、是非その点を理解していただき、人を赦すということをご自分のものにしていただきたいと思います。
6章の冒頭を見てください。当時、教会がどんどん増えてきました。ペンテコステの日に3,000人の人がクリスチャンになり、それから何日か経った頃の話しです。相当数のクリスチャンがいたということを想像してください。やはりそこに問題が生じてきました。
そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。
そこで、十二使徒と弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。
そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。
そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、
この人たちを使徒たちの前に立たせて、そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。
(使徒6:1〜6)
ヘブル語を話すユダヤ人と、ギリシャ語を話すユダヤ人たちとの間に、食べ物に関する問題が生じ、関係がうまくいかなくなりました。そこでその問題に対処するために7人の評判の良い人が選ばれました。ギリシャ語を話すユダヤ人たちの中から、信仰と聖霊に満ちた人たちが選ばれました。
さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行っていた。
(使徒6:8)
この時選ばれたステパノと言う人が、いかに聖霊に満たされていた評判の良い人であったことが分かります。
ステパノは神さまのために素晴らしい働きをしていたときに、あまりにも素晴らしい話しによって、祭司や議会に属する人々が救われていきました。そこで非常な危機感を感じたのは、イエス様を信じないユダヤ人の祭司長はじめ祭司たち、あるいは議会に属する人たちです。その人たちがステパノを捕らえました。そして70人議会に連れて来て、ステパノに弁明をさせました。そして使徒の働き7章ではステパノの弁明が始まります。7:4からしばらくは、旧約聖書のストリーをかいつまんで話しています。アブラハムから始めています。
話しはアブラハムからヨセフに至り、さらにエジプトでの430年間の生活の中で苦しい奴隷生活の時代がありました。そんな中、モーセが誕生します。モーセはある日、ユダヤ人とエジプト人の喧嘩の中に入り、エジプト人を殺しました。モーセは良いことをしたと思っていました。次の日、今度はユダヤ人同士が喧嘩をしていました。モーセはまたその仲裁に入ると、
翌日彼は、兄弟たちが争っているところに現われ、和解させようとして、『あなたがたは、兄弟なのだ。それなのにどうしてお互いに傷つけ合っているのか。』と言いました。
すると、隣人を傷つけていた者が、モーセを押しのけてこう言いました。『だれがあなたを、私たちの支配者や裁判官にしたのか。
きのうエジプト人を殺したように、私も殺す気か。』
このことばを聞いたモーセは、逃げてミデアンの地に身を寄せ、そこで男の子ふたりをもうけました。
(7:26〜29)
モーセは肉の思いでこのようなことをしたので、モーセに謙遜を学ばせるためにミデヤンの地で40年間訓練させました。
40年後、神さまは訓練を終えたモーセを召し出しました。
四十年たったとき、御使いが、モーセに、シナイ山の荒野で柴の燃える炎の中に現われました。
その光景を見たモーセは驚いて、それをよく見ようとして近寄ったとき、主の御声が聞こえました。
『わたしはあなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である。』そこで、モーセは震え上がり、見定める勇気もなくなりました。
すると、主は彼にこう言われたのです。『あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたの立っている所は聖なる地である。
わたしは、確かにエジプトにいるわたしの民の苦難を見、そのうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下って来た。さあ、行きなさい。わたしはあなたをエジプトに遣わそう。』
(7:29〜34)
神さまは、イスラエルの民をエジプトから連れ出すためにモーセを召し出しました。そこからあの「出エジプト」が始まりました。
さらにステパノの弁明は続き、ダビデ王が出てきます。そしてソロモン王が出てきます。
ステパノはそのようなことを議会の中で弁明しました。
かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。 7:52あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。 7:53あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」
(使徒7:51〜53)
2.ステパノの殉教
それを聞いていた人たちは、どんな反応を示したでしょうか。
人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。
(使徒7:54)
「はらわたが煮え返る思い」とは、のこぎりで心を引き裂くという元来の意味があるそうです。それほど許せなかったのです。
ユダヤ人たちは神殿をことさらに大切なものとして扱っていました。しかしステパノはそうではない、「神さまがおられるところが神殿なのである」と言いました。神さまがおられるところで私たちは神さまを礼拝するのだと言いました。
ステパノは、はらわたが煮え返る思いでステパノに向かって歯ぎしりしている議員たちを前にして言いました。
しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、
こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
(使徒7:55)
イエス様は天におられて、ステパノのために祈っておられたのでしょう。そういうイエス様の姿を、ステパノは主言う噛めたのだと思います。
人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。
そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。
(使徒7:56〜57)
これは不可解な出来事です。ユダヤ人には人を殺すことが許されていなかったはずです。本当はピラトに願い出て、裁き、死刑の許可を得ることが正しい筋道でした。しかし彼らはそうしませんでした。
そこに後のパウロ、サウロがいました。パウロのことはまたの機会にお話ししたいと思います。
サウロという青年は、ステパノの殉教の姿を見ていました。この経験が、後にパウロが主に立ち返るための布石になっていたと思います。
こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」
そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。
(使徒7:59〜60)
ステパノは人々に石を投げつけられ、そして死を目前にして叫びました。自分を殺そうと石を投げつけている人のために祈りました。いや、叫びました。
「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」
ステパノの最後の言葉は、イエス様の十字架のおことばのこだまのように響きます。しかし、これを単にステパノが主の模範に従うものとしてしたのだと考えてはなりません。
アーネスト・ゴードンの「死の谷を越えて」という本の中では、彼による日本軍の過酷な捕虜収容所での証しがあります。その中で、著者はステパノのような祈りは出来ないと言っています。まず「私をお救いください。」と祈り、次に「彼らをお赦しください。」と祈らなければならなかったと言っています。罪人は他者をとりなす祈りにおいて、誰もイエス様の位置には立てないということを心に刻むべきである。罪のない主イエスが、罪を背負いながら、私たちの罪の赦しを父に願った。ステパノは救い主イエスと聖霊の助けとを叫び求めつつ、罪を許された者として、罪人と同じ位置から自分を迫害する者のために祈りました。ステパノの内に成熟した御霊の実が見られます。最後の最後までイエス様のおことばどおり、自分を迫害する者たちの救いために祈りました。そして息を引き取ったのです。
私たちはどうでしょうか。
信仰の故に、どのような迫害を受けようとも、相手のために執り成す者でありたい。そういう思いが与えられれば感謝です。相手を許せないと思うような状況にあって、私こそ罪赦された者であるという大きな前提の上に立って、神さまは私の罪を赦してくださったのだから、相手の罪もイエス様は赦していてくださるのだと思えるのならば、私もその人の罪を赦さないわけにはいかない。赦せる、赦せるようになるんだと、思いが変えられていく。そういうクリスチャンに成長していきたいと思います。