2017年3月19日 主日礼拝「ゲッセマネの祈り」

本日の聖書箇所

マタイの福音書26章30〜56節

説教題

「ゲッセマネの祈り」

今週の聖句

わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。

 
 
訳してみましょう
1877 You won’t stumble in the dark if you walk in the light of God’s Word.
(神のみことばの光の中を歩くならば、あなたは暗がりでつまずきません。)
1878 Many are brought to faith by trouble.
(多くは、試練によって信仰に導かれる。)
 
 

説教メモ

1.アブラハム・リンカーン

皆さん良くご存知の方です。第16代のアメリカ大統領です。
1809年、ケンタッキー州で生まれました。先祖はイギリスからの清教徒。お爺さんの突然の死によって彼の家族は離散しました。それからの生活は貧しく、入口も窓も、そして部屋も一つという質素な丸太小屋で育ちました。幼い頃からお父さんと農場に出て開墾の手伝いをしました。お母さんのナンシーさんは田舎の婦人としては珍しく読み書きができました。信仰にも篤く毎日聖書を読んではアブラハムに聞かせ、祈る事を教えました。
そしてお母さんはアブラハムに、「人間は聖い心を持つことが第一です。どんなに出世しても心が曲がっていては何にもなりません。神さまの前に正しい生活をしなさい。」と言い、また「読む本も色々あるけれど、聖書に勝る本はなのです。」と教えました。
そのお母さんは彼が9歳の時に、過労と栄養失調が原因で病気となり天に召されてしまいました。リンカーンの手元にはお母さん愛用の聖書が残されました。
やがて11歳になった頃、初めて村の学校に行けるようになりました。毎日片道4マイルの道を歩いて通いました。しかしそれは7か月しか続けられませんでした。それ以後、学校へ行って勉強するという機会はありませんでした。彼は自分で勉強することが大好きで、手当たり次第に字を書く練習をし、字を覚えると家にあったただ一冊の本の聖書を読みふけり、また村に誰かが本を持っていれば早速借りて読みふけっていました。
19歳の時、彼はインディアナ州に移り住みました。そこでミシシッピー川を下る船に乗って水夫として働きました。はるばるニューオリンズまで出掛けました。初めて見る大都会にはあらゆる民族の顔がありました。そして黒人たちが牛馬のように売買されている様子を目の当たりにし、心に憤りを覚えました。
21歳の時、家族はイリノイ州のニューサレムへ移住し、翌年にはまた別の土地に移りました。彼は一人、ニューサレムの町に残り住むことにしました。リンカーンは村の人から「正直者エイブ」と呼ばれ、またユーモア上手な人気者として評判を高めました。
なぜ「正直者エイブ」と呼ばれたのか。それは、彼は20歳の頃、町でただ一軒の雑貨商で働いていました。彼はお釣りを間違えたために夜中に雨の中、わざわざそれを返しに行きました。その話しが広まって「正直者エイブ」と呼ばれるようになりました。
それからスプリングフィールドに引っ越し、法律事務所を開き困っている人たちを助けました。35歳の時、ヘンリー・クレイトンという人が大統領候補となったため、推薦演説をしたところ、多くの人たちに感銘を与えました。そしてその名を高めました。そのためか、2年後にアメリカ合衆国の下院議員に選ばれ、奴隷解放を積極的に議会で叫びました。しかし政治に対しては失望させられることが沢山あったので、再選は諦めて弁護士に専念しました。
そうこうしているうちに、奴隷解放の問題は益々各地で議論されることとなり、全米は沸き返るような大騒ぎへと発展しました。国家は南北に分裂しそうな危機を迎えていました。天下の成り行きを静止していた彼は、今こそ国のため、自由のために尽くすときであると固く決心して立ち上がり、ついに1860年11月6日、第16代大統領として選ばれ国政を執りました。
リンカーンがホワイトハウスの人となってからまもなく、奴隷制度に立つ南米諸州はついに連邦から離脱して同盟を結び、そこから南北戦争が起こることになりました。彼の心は痛みました。5年の間、相互に過酷な血の雨が降り注ぐ状態で、彼はひたすら正しい神の御旨が成就することを祈りながら戦いを進めました。
1863年1月1日、奴隷解放宣言が彼の手によって発布され、黒人奴隷たちは驚喜して喜びました。戦争ははじめは南部軍が優勢を占めていましたが、それは名将軍ロバート・リーの指揮によるものでした。北軍には有能な指揮者がいませんでした。しかしゲティスバーグでの戦いで北軍は勝利を収めました。それから圧倒的な優勢を占めることになりました。1863年11月にゲティスバーグにおいてのリンカーンの演説は、歴史にその名を刻むものとなりました。
「主の御心のまま、この国が新しい自由の誕生を迎えることできるのです。そうしてこそ、人民の、人民による、人民のための政府が、この地上から無くなることはないのです。」
やがて北軍の勝利によって戦争は終わりました。国民が喜びに沸いているその時、1865年4月16日、不幸にも彼を憎む南部の暴漢の手によって暗殺され、リンカーンは偉大な生涯を閉じました。
 
 

2.祷り

ゲッセマネの祈りのところから見てまいりましょう。
私たちの心の中には色々な声が響いてきます。あるときは神さまの声。あるときは自分の声。表には現れないけれども悪魔の声。しかしその中で私たちを本当に幸せへと導くのは神さまの声のみです。
皆さんは1階から2階へ行くのにどのように行くでしょうか。通常は階段を一段一段上っていくものです。それは私たちの信仰も同じです。ひとくちに「神さまのみこころ」といっても、それは一生にわたって神さまの御心を求めていくものです。その中で今日成すべきことがあります。明日には明日成すべきことがある。そしてついには一生涯、すべてにおいて従うことができるような者になっていくのではないでしょうか。
イエス様のゲッセマネの祈りから始まり、逮捕、裁判、十字架がある。イエス様は完全な人間であると同時に神の子として、神さまの御心に従い通したところに注目したいと思います。

しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。
(マタイ26:56)

イエス様はこれらのことをこのように仰いました。そしてそのまま受け止めておられます。十字架の贖いを完成なさろうとするイエス様の決意と神さまの御心に対する服従がここにあります。多くの霊的な洞察が可能なところですが、父なる神さまの御心を見出し、それに従う従順さに、私たちは従っていきたいのです。
最後の晩餐が終わった後、イエス様と弟子たちは賛美しながらオリーブ山へと向かいました。イエス様はゼカリヤ13:7を引用し、弟子たちの躓きを予告しました。

剣よ。目をさましてわたしの牧者を攻め、わたしの仲間の者を攻めよ。――万軍の主の御告げ。――牧者を打ち殺せ。そうすれば、羊は散って行き、わたしは、この手を子どもたちに向ける。
(ゼカリヤ13:7)

そしてガリラヤでの再開を約束されましたが、それは軽く聞き流されてしまったようです。復活の時、女たちが御使いとイエス・キリストから語られたことを聞くまで、弟子たちはその約束を思い出せませんでした。

ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。
(マタイ28:7)
すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」
(マタイ28:10)

ペテロは反論しました。少なくとも自分だけは躓くことはない。他の者が躓いても私だけは大丈夫だ。私の忠誠心を他の者と一緒にしてもらっては困ると思ったのでしょう。ペテロには自分が第一の弟子であるという自負心があったのです。しかしペテロは後に、人間の心の不確かさを思い知らされました。
36〜46節まではは祈りについて書かれています。
ゲッセマネとは「油絞り」という意味です。オリーブの木が沢山生えてきました。そこをイエス様は祈りの場としていました。
イエス様はペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを伴ってゲッセマネの園に行きました。イエス様は園に入ると彼らから離れて一人で祈られました。間近に迫る苦しみを思い悲しみ悶え始められました。それは単に十字架での肉体の死を恐れたのではありません。むしろ罪のない御子が罪人として神との関係を断たれ、神の怒りにさらされ死を味わう苦しみと悲しみでした。
神さまはひとり子を見捨てられました。その悲しみです。自分は神の子であるのに、父なる神さまから断罪される。それは私たちの身代わりとなり、私たちが負うべき神の怒りと裁きを一身に背負われたからであります。それによって私たちはそのような苦しみと悲しみから救われました。イエス様の苦しみによって神の怒りが取り去られたのです。そこに福音の素晴らしさがあります。

「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」
(マタイ26:39)

ここで言う「杯」とは神さまの怒りを表しています。どうしても飲まずに済まされない杯でしたら・・・という言葉は、イエス様が十字架の苦難を父のみこころとしてすでに受け取られたことをうかがい知ることが出来ます。
弟子たちはこのイエス様の苦しみの時に、目を覚ましていることができませんでした。死を覚悟しているとまで豪語した彼らです。イエス様は彼らを叱ることなく、

 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。
(マタイ26:41)

と勧めておられます。
イエス様も弟子たちも前夜から一睡もしていませんでした。肉体的にも疲労困憊していました。
弟子たちにとっては「他人事」。それでイエス様の苦しみ悶えている姿を前に眠ってしまいました。イエス様お一人が苦しんでいました。
 
 

3.裏切り

続くマタイの福音書26章47〜56節では「裏切り」について書かれています。
イエス様はゲッセマネで捕らえられ、大祭司カヤパのもとへ連行されました。
イエス様を捕らえに来た者たちの中には、様子を見に来たローマの千人隊長と兵士たちもいたと思います。しかしその多くはサンヘドリン議会から派遣されたユダヤ人でした。ユダは自分からイエス様に口づけをしました。それを合図としていたからです。情を現す行為が裏切りの手段に用いられました。弟子の方から口づけするとくことは、師に対する侮辱にあたりました。ユダはそれによってイエス様に決別の表明をしました。そんなユダに対してイエス様は「友よ」と優しく呼びかけられました。捕まえに来た人たちに対しても毅然とし、「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしをつかまえに来たのですか。」と、その異常さを指摘されました。

それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。
(マタイ26:53)

軍団とは「レギオン」と呼ばれており、1レギオンは6,000人。それが12軍団ですから72,000人。それほどの援軍を父なる神さまに願えば送ってくださるとイエス様は仰いました。イエス様は願えば今の状況が覆されることが可能であることをご存知でした。しかしイエス様はそうされませんでした。父なる神さまのみこころに従い通すためです。
 

「しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」
(マタイ26:32)

これは弟子たちに前から言っていたことでした。弟子たちはすっかり忘れてしまっていました。弟子のうちの一人はガリラヤではなく、自分の故郷であるエマオに行ってしまった人もいました。
やがて、ペテロたちは昔、漁師だったのでまた漁に戻りました。ガリラヤ湖で漁をしていた時、イエス様は御姿を現してくださいました。
これから後、ペテロが3度イエス様を知らないと言いました。そのペテロに対してもガリラヤの湖畔で御姿を現してくださいました。そして「あなたはわたしを愛しますか」と3度せまってくださいました。
たとえ躓いても、イエス様がガリラヤで待っていてくださる。
私たちにとってのガリラヤとはどこでしょうか。
私たちは試練に遭ったとき躓いてしまいます。それはその時、主を忘れてしまっているからです。しかし、イエス様がガリラヤで待っておられるということをいつも覚えていてください。

「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った。
(マタイ26:35)

しかしイエス様と一緒に目を覚ましていることさえ出来なかった弟子たち。
ゲッセマネの園で祈り終えられると、イエス様は仰いました。

「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。」
(マタイ26:45)

まさしくその通りになりました。
それはイエス様にとって避けられるものだったら避けたかったこと。しかしイエス様は神さまの御心を求め、その御心に従い通しました。

「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」
(マタイ26:39)

人間としてのイエス様の思いとしては当然の祈りではないでしょうか。イエス様に罪はありませんでした。十字架は必要ではなかったのです。それが杯です。その杯を取り除いて欲しい。それは当然の思いです。
しかしイエス様はご自分がこの世に来た使命は、十字架に架かり人々の罪を赦すためであることをご存知でした。そしてすぐに祈り直しました。

「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
(マタイ26:39)

私たちはこの祈りをお手本としなければなりません。
私たちには様々な願望があります。私たちは好き勝手なことを祈ります。それは私たちには必要なのです。しかし神さまは私たちの必要は私たちが祈るよりも前にすべてご存知なのです。でもその後に

「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
(マタイ26:39)

私たちもこのように祈るべきでしょう。そのように祈る祈りは、神さまは必ず聞いてくださり、叶えてくださいます。
父なる神さまの御心に従い通したイエス様の姿。そして神さまの御心を求めて祈られた姿。私たちもイエス様にならってそのように祈っていきましょう。

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