2026年9月2日 水曜祈祷会「あなたに何を与えようか」
聖書箇所
歴代誌第二 1章
あなたに何を与えようか
「何を求め、何に頼るのか」
今日から、歴代誌第二を一緒に学んでいきたいと思います。
歴代誌第二は、ダビデに代わって王となったソロモンから始まります。そしてソロモンといえば、やはり「知恵の王」というイメージがあります。
今日の1章にも、その有名な出来事が出てきます。
神様がソロモンに、「あなたに何を与えようか。願え。」と言われました。
もし神様から、「何でも願いなさい」と言われたら、皆さんは何を願うでしょうか。
【少し考えてみてください】
ソロモンは、こう願いました。
1章10節
今、知恵と知識を私に授けてください。そうすれば、私はこの民の前に出入りいたします。さもなければ、だれに、この大いなるあなたの民をさばくことができるでしょうか。
ソロモンが求めたのは、長寿でも、富でも、敵のいのちでもありませんでした。
「知恵と知識を下さい。」
なぜでしょうか。
自分が王として有名になるためではありません。
「あなたの民を、私には治めることができません。だから、神様、私に知恵を下さい。」
そう願ったのです。
そして神様は11節で、
「そのようなことがことがあなたの心にあり」
と言われました。
ですから、この祈りは格好をつけて言った言葉ではなかったのでしょう。本当にソロモンの心にあった願いだったのです。
では、ここでいう「知恵と知識」とは何でしょう。
単に、たくさんのことを知っているとか、頭の回転が速いということではありません。
列王記第一3章の並行記事では、ソロモンは「善悪を判断して、あなたの民をさばくために、聞き分ける心」を求めています。
ですから、たとえば、
- 何が正しく、何が間違っているのかを見分ける知恵。
- 複雑な問題の中で、何が神様の御心なのかを判断する知恵。
- 人を公平に扱う知恵。
- 自分の利益ではなく、委ねられた人の益を考える知恵。
- 何をするかだけでなく、いつ、どのようにするのかを判断する知恵。
- そして何よりも、「私には分かりません」と認めて、神様に聞く知恵。
こういうものだったのではないでしょうか。
こうやって考えてみると、これは王様だけが必要とする知恵ではありませんね。
私たちも欲しいです。
「今挙げた中で、皆さんが特に『これは私も必要だな』と思うものはありますか?」
私も、どれも必要だと思います。
「神様、何が正しいのか見分けさせてください。」
「御心にかなう判断をさせてください。」
「人を公平に扱えるようにしてください。」
「自分のことばかり考えないようにしてください。」
「自分では分からないとき、あなたに聞くことができるようにしてください。」
私たちも、そう祈ります。
そして、その祈りは本心なのだと思います。
ところが、今日の箇所を読んでいて、少し考えさせられるのです。
本心からそう祈っているのに、実際にしていることは、まるで反対になってしまうことがないだろうか。
「何が正しく、何が間違っているのか、見分けさせてください」と祈る。
けれども実際には、自分が見たこと、自分が聞いたことだけで、人をさばいてしまう。
- 「神様、御心にかなう判断をさせてください」と祈る。
けれども実際に判断するときには、神様の御心を求めるより、自分の考えで決めてしまう。 - 「人を公平に扱えるようにしてください」と願う。
けれども、自分に好意的な人と、そうでない人とでは、態度が違ってしまう。 - 「自分の利益ではなく、人の益を考えられる者にしてください」と祈る。
けれども、いざ自分が損をしそうになると、自分を守ることが一番になってしまう。 - 「神様、私には分かりません。教えてください」と祈る。
けれども実際には、神様に聞く前に考え、神様に聞く前に決め、神様に聞く前に動き出してしまう。
祈りは本心なのです。けれども、歩みがその祈りについていかない。
これは、私たちにもあることではないでしょうか。
そして、ソロモンにもそれが起こっていったように見えます。
12節で神様は、ソロモンの願いを喜ばれて、知恵と知識だけでなく、富も財宝も誉れも与えると約束されました。
ところが14節になると、少し雰囲気が変わります。
「ソロモンは戦車と騎兵を集めた。」
戦車は1,400台、騎兵は12,000人。
さらに16節を見ると、その馬はエジプトから輸入されています。
ここで思い出す御言葉があります。
申命記17章で、イスラエルの王について神様は、「自分のために馬を増やしてはならない」と命じておられました。
それなのにソロモンは、馬と戦車を増やしていきます。
今日のみことばの光のテキストの解説にも、「戦車と騎兵は武力の象徴である」とあり、これが後のソロモンの堕落を思わせると指摘されています。
ここには何か、考えさせられるものがあります。
最初のソロモンは、「神様、私にはできません。知恵を下さい。」と願いました。
ところが、そのソロモンが、目に見える力を蓄え始めるのです。
もちろん、ここだけを読んでソロモンの心のすべてを決めつけることはできません。
しかし、後のソロモンを知っている私たちは、この姿に危うさを感じます。
「神様がいなければできません」と始めた人が、いつの間にか、「これだけあれば大丈夫」と思えるものを蓄え始める。
これが怖いのだと思います。
そして、それもまた、ソロモンだけの話ではありません。
私たちにも戦車や騎兵があるのではないでしょうか。
もちろん本物の戦車ではありません。
経験かもしれません。
知識かもしれません。
お金かもしれません。
人とのつながりかもしれません。
自分の能力かもしれません。
「今までこれでうまくいった」という方法かもしれません。
それら自体が悪いわけではありません。多くは神様から与えられたものです。
けれども、神様から与えられたものが、いつの間にか、神様の代わりに頼るものになることがあります。
ここで、皆さんにも少し考えていただきたいのです。
「私にとっての『戦車や騎兵』は何だろう。『これがあれば大丈夫』と、神様以上に頼ってしまいやすいものは何でしょうか。」
――これは、少し考えたい問いですね。
今日の箇所から、2つの問いを心に留めたいと思います。
1つは、「私は神様に何を求めているのか。」
もう1つは、「私は実際には何に頼っているのか。」
この2つです。
「主よ、知恵を下さい。」そう祈っている。
けれども、実際に判断するときには自分の知恵に頼っているかもしれない。
- 「主よ、御心を教えてください。」そう祈っている。けれども、もう自分の中では答えを決めているかもしれない。
- 「主よ、あなたに従います。」そう言いながら、「これだけは手放せない。これがなければ困る」という、自分の戦車や騎兵を抱えているかもしれません。
先日の主日礼拝でも、私たちは「今、主が何を語っておられるのかを聞く」ということを考えました。
今日も、やはりそこへ戻ってくるのだと思います。
一度、「主に従います」と決心したから、それで終わりではありません。
一度、本心から「知恵を下さい」と祈ったから、それで大丈夫なのでもありません。
神の知恵を求めた者は、今日もその知恵を求め、今日もその知恵によって歩む必要があります。
だから、もう一度神様の前に立ちたいと思います。
「主よ、私には分かりません。」
「私が正しいと思っていることさえ、本当に正しいのか、あなたに聞かせてください。」
「私が知らないうちに頼っている戦車や騎兵があるなら、それを教えてください。」
そして、「主よ、あなたの知恵と知識を下さい。今日、あなたに聞きながら歩ませてください。」
そのように、一緒に祈りたいと思います。
分かち合いから祈りへ
最後に、今日はこの2つについて少し分かち合ってから祈ってはどうでしょうか。
「今、自分が神様に特に求めたい知恵は何でしょうか。」
そして、
「自分にとって、神様以上に頼ってしまいやすい『戦車や騎兵』は何でしょうか。」
【みことばの光より——考えよう】
もし主から「あなたに何を与えようか」と問われたら何を願うか。

