2026年9月16日 水曜日祈祷会「主に依り頼む礼拝を献げよう」

聖書箇所

歴代誌第二 13章

「主に拠り頼む礼拝」

今日は、歴代誌第二13章です。

ソロモンの後、イスラエルの国は南と北に分裂しました。
南ユダはダビデの家に従い、北イスラエルはヤロブアムを王としました。
そして今日の13章では、南ユダの王アビヤと、北イスラエルの王ヤロブアムが戦います。

戦いに集められた兵士を見ると、ユダは40万人、イスラエルは80万人。
単純に数だけを見れば、ユダは半分です。
その戦いを前にして、アビヤが山の上に立って、ヤロブアムとイスラエルの民に語り始めます。

このアビヤの演説を読んでいると、かなり立派なことを言っているのです。
北イスラエルは、主から離れてしまった。
金の子牛を神々として、自分たちで勝手に祭司を立てている。
しかし私たちユダには、アロンの子孫である祭司がいて、レビ人がいて、朝夕の全焼のささげ物を献げ、香をたき、供えのパンを備え、燭台に火をともしている。
そして11節の最後で、アビヤはこう言います。

「私たちは、私たちの神、主への務めを果たしている。」

これを読むと、何となく私たちも教えられるような気がします。
「そうだ。やはり礼拝は大切なのだ。」
「主が命じられたことを、きちんと守らなければならない。」
「自分勝手な礼拝ではなく、主が喜ばれる礼拝を献げなければならない。」
それは確かにその通りだと思います。
特に、この歴代誌を最初に読んだ人たちは、捕囚を経験し、そこから帰って来た人たち、その後の時代を生きた神の民でした。
国を失い、神殿を失い、そしてもう一度、神の民として歩み直していかなければならなかった。
「これから私たちは、どうやって信仰を立て直していけばよいのか。」
「どうやって礼拝を整えていけばよいのか。」
その人たちにとって、正しい礼拝を守ることは、とても大切なことだったでしょう。

私たちにとっても同じです。
礼拝は大切です。
御言葉を大切にすることも、祈ることも、賛美することも大切です。
主が教えてくださったことを軽く考えてはいけません。
けれども、ここで一つ考えたいことがあります。

正しいことを語っている。しかし、その心はどうだったのか

歴代誌第二13章だけを読むと、アビヤは本当に立派な信仰者に見えます。
ところが、列王記第一15章には、同じアビヤについて、このように書かれています。

彼は、かつて自分の父が行ったあらゆる罪のうちを歩み、彼の心は父祖ダビデの心のように、彼の神、主と一つにはなっていなかった。
列王記 第一 15章3節

少し驚きます。
歴代誌では、「私たちは主への務めを守っている。」「神が私たちとともにおられる。」と堂々と語っています。
しかし列王記を見ると、そのアビヤ自身の心は、完全には主に向いていなかったのです。
もちろん、だからアビヤがここで言っていることが全部間違っていた、ということではありません。
言っていることは正しいのです。
正しい礼拝を守ることも大切です。
主の御言葉に従うことも大切です。
けれども、ここで私たちは問われるのではないでしょうか。

正しいことを語っている私の心は、本当に主に向いているだろうか。

私たちは礼拝を守ることができます。
聖書を読むことができます。
祈ることができます。
賛美することができます。
信仰について、正しいことを語ることもできます。
けれども、それだけで、私の心が主に拠り頼んでいるとは限りません。
先日、8章を学んだ時にも、
「外側が整っていることと、主の前に正しいこととは、同じではない」ということを考えました。
ここでも同じことが問われているように思います。
礼拝が整っている。
語っていることも正しい。
では、その礼拝を献げている私の心は、どこを向いているでしょうか。

前にも敵、後ろにも敵

そして、いよいよ戦いが始まります。
ここからが私はとても興味深いと思います。
アビヤは立派な演説をしました。

見よ、神は私たちとともにいて、かしらとなっておられる。また、神の祭司たちも吹き鳴らすラッパを手にして、あなたがたに対し進撃の合図を吹き鳴らそうとしている。イスラエルの人々よ、あなたがたの父祖の神、主と戦ってはならない。とうてい勝ち目がないからである。」
歴代誌 第二 13章12節

とまで言いました。
ところが、実際に戦いが始まると、事態は思ってもいなかった方向へ進みます。
ヤロブアムは、ユダの軍隊の後ろに伏兵を回していました。

ユダが向き直ると、なんと、戦いは前後から迫っていた。
歴代誌 第二 13章14節

前にも敵。振り返ったら、後ろにも敵。逃げることもできません。
自分たちでは、どうすることもできない。
そして、その時です。
聖書はこう言います。

ユダが向き直ると、なんと、戦いは前後から迫っていた。そこで、彼らは主に叫び求め、祭司たちはラッパを吹き鳴らした。
歴代誌 第二 13章14節

「彼らは主に叫び求めた。」
私は、ここが今日の一番大切なところではないかと思います。
先ほどまで、「主が私たちとともにおられる。」と語っていました。
しかし今度は、その言葉が単なる演説ではなくなった。
本当に、「主よ!」と叫ぶしかなくなったのです。
「主よ、助けてください。」
「主よ、私たちにはどうすることもできません。」
「主よ、あなたが必要です。」
それが、主に拠り頼むということなのではないでしょうか。

主に拠り頼んだから

すると

そして、ユダの人々はときの声をあげた。ユダの人々がときの声をあげると、神はヤロブアムと全イスラエルを、アビヤとユダの前に打ち破られたので、
イスラエルの人々はユダの前から逃げ去った。こうして、神は彼らをユダの手に渡された。
歴代誌 第二 13章15~16節

とあります。
そして18節では、この戦いの意味がまとめられています。

イスラエル人はこのとき屈服させられ、ユダ人は勝利を得た。彼らがその父祖の神、主に拠り頼んだからである。
歴代誌 第二 13章18節

「アビヤが立派な王だったから」とは書かれていません。
「ユダの人々が完全だったから」とも書かれていません。
「主に拠り頼んだから。」
ここに、私は大きな恵みを感じます。

アビヤは完全な人ではありませんでした。
列王記を見るなら、彼の心にも問題がありました。
ユダの民も、決して完全な民ではありません。
それでも、前にも後ろにも敵がいて、自分たちではどうにもならないところで、彼らが主に叫び求めた時、主はその叫びを聞いてくださいました。
主は、不完全な者がご自分に拠り頼むことを拒まれなかったのです。

これは、捕囚から帰ってきた民にとっても、大きな希望だったのではないでしょうか。
彼らは失敗を経験した民です。
自分たちの先祖が主に背き、その結果として国を失い、神殿を失い、捕囚となった。
それなら、「私たちは失敗したのだから、もう駄目だ。」なのでしょうか。
そうではないのです。
もう一度、「主よ!」と叫ぶのです。叫んでよいのです。叫ぶのが良いのです。
もう一度、主に拠り頼んでよいのです。
そして主は、ご自分に拠り頼む者を見捨てられません。

主に拠り頼む礼拝を

私たちも同じだと思います。
私たちは、これからも礼拝を大切にしたいと思います。
御言葉を大切にしたい。
祈りを大切にしたい。
賛美を大切にしたい。
主が教えてくださったことを、きちんと守っていきたい。

けれども、その礼拝が、ただ形だけのものになってしまってはいけません。
正しい言葉を語っている。
正しい歌を歌っている。
正しく聖書を読んでいる。

しかし心の中では、自分の力に頼っている。
自分の経験に頼っている。
自分の知恵に頼っている。
そういうことが、私たちにもあるのではないでしょうか。

礼拝とは、「私は正しくできています。」と神様に見せるためのものではありません。
むしろ、「主よ、私はあなたが必要です。」と、主の前に出ることではないでしょうか。
「主よ、私には力がありません。」
「主よ、私には分かりません。」
「主よ、助けてください。」
「主よ、あなたに拠り頼みます。」
そうやって主の前に出る。
それこそ、主に拠り頼む礼拝なのだと思います。

私たちにも、前にも後ろにも敵がいるように感じる時があります。
前を見ても道がない。後ろを見ても逃げ道がない。
仕事のことかもしれません。
家族のことかもしれません。
人間関係のことかもしれません。
教会のことかもしれません。
あるいは、自分自身の弱さや罪の問題かもしれません。
どうしたらよいか分からない。
そんな時こそ、「主よ!」と叫んでよいのです。
立派な祈りでなくてよい。長い祈りでなくてもよい。
ただ、「主よ、助けてください。」それでよいのです。
その叫びそのものが、私は主に拠り頼んでいます、という信仰の告白になるのではないでしょうか。

そして、そのような信仰をもって、私たちは礼拝を献げていきたいと思います。
ただ礼拝を守るだけではなく、主を心から拠り頼み、心から主に叫び求める信仰をもって、礼拝を献げていこうではありませんか。

「主よ、あなたが必要です。」
その心をもって御言葉を聞き、その心をもって賛美し、その心をもって祈る。
そして礼拝が終わって、それぞれの生活へ戻った後も、前にも後ろにも敵がいるように思える時には、「主よ。」と主を呼び求める。

イスラエル人はこのとき屈服させられ、ユダ人は勝利を得た。彼らがその父祖の神、主に拠り頼んだからである。
歴代誌 第二 13章18節

私たちも、自分の力ではなく、主に拠り頼みましょう。
そして心から主を求める礼拝を、ともに献げてまいりましょう。

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