2017年2月26日 主日礼拝「嵐の中で」
本日の聖書箇所
ルカの福音書8章22〜25節
説教題
「嵐の中で」
今週の聖句
イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も収まり、なぎになった。
ルカの福音書8章24節
訳してみましょう
1871 We see in part; God sees the whole.
(私たちは一部分を見る。神は全体を見る。)
1872 Praise comes naturally when you count your blessings.
(あなたがあなたの恵みを数える時、賛美は自然と起こる。)
説教メモ
1.D.L.ムーディー
ドワイト・ライマン・ムーディー(Dwight Lyman Moody,1837年2月5日 – 1899年12月22日)はアメリカの大衆伝道者、ムーディー聖書学院の創設者です。ひとことで言うとこの人は無学な人でした。神学校にも行っていません。しかし大衆伝道者として説教がとても上手で、多くの人々を導きました。近世の大伝道者として大変有名です。
彼は貧しい石工の家に6番目の子どもとして生まれました。彼が4歳の時に父親が急死しました。母親は9人の子を育てながら働きましたので、とても貧しい家庭でした。しかし母親はそのような生活の中でも主を信頼し、毎朝子どもたちに聖書を読み聞かせることを日課としていました。日曜日になると2㎞ほど離れた教会の礼拝に子どもたちを連れて行きました。
彼は冬になると学校に行き、春になると家計を助けるために働きに出ました。ですから十分な教育を受けられず、あまり読み書きが出来ないまま成長しました。
17歳になると、彼はボストンに行き、叔父の靴屋で働きました。彼の夢は「将来10万ドル稼いで、独立した立派な商人になる」ことでした。どんなに忙しくても教会の礼拝には出席していました。難しい説教がされると、彼は居眠りばかりしていました。彼にとって幸いだったことのひとつに、ある一人の教会学校の先生が彼に目を留めて、親切に指導してくれたことでした。ある日、先生は彼にどうしても救われて欲しいと願い、彼が働いている店に出向き、キリストの十字架と罪の赦しについて話しました。すると不思議なことに、その言葉は彼の心にすーっと入り、その時はっきり信じる決心をすることができました。
救われたその年の9月、彼はシカゴに行き新しい店で働き、そこで最優秀の売上成績を収めることができました。彼は商売がとても上手だったのです。また、仕事の傍ら、教会にも熱心に通い続けていた中で、自分も何か奉仕をしてみたくなり、日曜学校の教師をしてみたくなり、彼は教会学校の教師をしたいと申し出ました。すると教会は困ってしまいました。そしてある条件を出しました。それは、「君が新しい生徒たちを集めて1クラスを作るなら、歓迎しましょう」というものでした。彼は大喜びで、早速生徒たちを集めるために町に出掛け、たちまち10人ほどのわんぱくな生徒たちを集めました。そして彼は自分の日曜学校を始めました。最初は自分がお話しをするということより、生徒たちを集めるための係になって駆けまわりました。そして日曜学校は満員となりました。20歳の時、今度は自分の日曜学校を新しく創設しました。こちらの方も満員となり、彼は段々とお金儲けの夢よりも、神さまのために働きたいという思いの方が強くなりました。そして一生懸命、聖書の勉強を始めました。1860年。23歳の時、ついに大商人になる道を捨て、神にのみ従う決心をし、その夜から教会堂のベンチの上で眠り、パンをかじって伝道に励みました。
ムーディーは自分が無学で、無に等しいことを知っていたので、ただ神にのみ全信頼を置いていました。23歳の時には結婚し、夫婦二人で心を合わせて奉仕に励みました。彼は特にシカゴの貧しい人たちのために日曜学校を開き、また多くの人たちの助けを得て、1,500人も入る大きな会堂も建て上げました。1870年、YMCA(キリスト教青年会)の国際大会の会場で、で初めて「アイラ・D・サンキー」と言う人と出会いました。その二人はいつも一緒に伝道活動をし、有名になりました。ムーディーが福音を説教をし、サンキーが福音を歌うというスタイルでした。こうして彼らの働きは全米で多くの人たちに知られることになったにとどまらず、イギリスにおいても良く知られることとなり、彼らの行くところはいつも数千人、数万人の大衆で満ち溢れ、各地で大リバイバルが起こされました。
1889年、シカゴに聖書学院を創設し、その学校は今も「ムーディー聖書学院」として続いています。
ムーディーの伝道によって救われた人は、実に数えきれません。その中から世界中で大きな働きをしている人が多くいます。多忙な生涯を過ごした彼は63歳の時、カンザスでの1万人規模の集会において毎日毎夜、説教をしました。5日後に心臓が悪化し、働きを中止し静養しましたが、数週間後の12月23日の夜明けに、「地は退いて、天が開けた。これが死というものか。私の凱旋の日。光栄ある日だ。」と言って天に召されて行きました。彼を良く知っていたスコーフィールド博士は、あの田舎での教育のない少年があのように用いられたのは、第一に神の恵みによるものであり、明確な救いの経験があったからであると言いました。また彼は聖書をそのまま信じて従ったこと。聖霊に満たされた祈りの人であったと評しています。教育の程度や学歴などの如何に関わらず、若き日に真実な信仰を得ることこそ、大切であります。
ムーディーは聖書をよく読みました。神学校には行きませんでしたが、一般の説教者よりもよほど知識があったと言われています。
2.あらし
今日はイエス様が嵐を静めるところから、弟子たちの信仰を見てまいりたいと思います。
イエス様は弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう」と仰いました。その前に、皆さんには、イエス様を信じているのに、どうしてこんなことがと思われた事などありませんでしたでしょうか。イエス様を信じたからといって、人生の困難や試練がなくなるわけではありません。むしろ試練を通して神さまはもっと良いものを与えようとされています。
場面はガリラヤ湖。イエス様はすでに舟に乗っておられました。少し前の場面では、イエス様は舟の上から丘に向かって長い説教をされました。イエス様は多分お疲れになったのでしょうか。弟子たちも疲れていたことでしょう。その弟子たちに向かって「さあ、舟を出して向こう岸へ渡ろう」と仰いました。イエス様は神さまであられますから、この後に嵐が来ることなどご存知でした。このことで弟子たちの信仰を試されようとしたのかもしれません。弟子たちに求められることは、たとえどのような状況が起こっても湖の向こう岸に渡りきることができるのだという信仰でした。しかし弟子たちはいざ嵐が訪れると波を恐れ、自分たちの無力さにおののいていました。
恐れと信仰は同時進行しません。信仰がなくなれば、心は恐れに満たされます。しかし信仰に満たされるならば、恐れは消え去っていきます。この出来事はイエス様が神であることを覚えさせてくれると同時に、あらゆる状況においても主を信頼し、使命を果たすように、ということを教えてくれます。
先ほどムーディーの話しをしましたが、彼に向かってある女性が「素晴らしい神さまの約束を見つけました」と言って詩篇の56篇3章を示しました。
恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。
(詩篇56:3)
それを聞いてムーディーはもっと素晴らしい約束をお見せしましょうと言って、イザヤ書12章2節を示し
見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。
(イザヤ12:2)
このみことばを言いました。ムーディーがいかに聖書に精通していたかが分かる一コマですね。
自分の目線ではなく、いつも神さまの目線で物事を見ていくことができたら素晴らしいと思います。神さまが自分に何をしてくださったか。何をしてくださるお方なのか。そうすれば自分の弱さや小ささに必要以上に捕らわれることはないでしょう。
今日の聖書箇所は他に、マタイは8章23〜27節、マルコは4章35〜41節までに記されております。特にマルコの福音書では、神さまの力と権威を示す一連の出来事の最初として記しています。嵐を静める奇跡は、イエス様が自然を支配する力をお持ちであること。そのあとに続くゲラサ地方でのレギオンの追放、これは霊界への支配力をお持ちであること。そしてヤイロの娘の生き返りのことが5章に記されていますが、これは死を乗り越えた支配力をお持ちであることが表されています。
嵐ですが、ガリラヤ湖は洋なしをひっくり返したような形をしています。上方にはカペナウムがあります。湖面は地中海よりも212メートルも低く、南北20㎞、東西最大12㎞の幅の大きさの湖です。
イエス様一行はカペナウムを出発し、東側のゲラサ人の地に向かいました。激しい突風の出来事はその途中で起こりました。それは大雨を伴い、四方八方から強風が吹きまくるものでした。イスラエルで恐れられていた風は二つありました。冬と夏の風です。冬は冷たく乾いた東風で、その風が吹き付けると気温が一気に10度も下がってしまいます。そうすると一種のつむじ風となって漁師たちを恐れさせていました。一方夏の風は砂漠から吹く「ハムシーン」と呼ばれる熱風で、辺りの湿気を一気に奪い去り、一日にして数ヶ月かけて育てた畑の作物や野の草花を枯らしてしまうものです。おそらくここでの風は冬の風でした。
ペテロたちは漁師でした。ですからガリラヤ湖のことは良く知っていました。その自分たちの力ではどうすることもできない嵐がこの時、起こりました。彼らはどうしたら良いか分かりませんでした。
私たちの人生にも思わぬ嵐が吹き荒れることがあります。しかし「向こう岸へ渡ろう」と仰ってくださるイエス様がおられれば、私たちは決してうろたえることはありません。
しかし、あまりにも波風が激しかったために、弟子たちはうろたえました。その時イエス様はぐっすり眠っていました。弟子たちはイエス様を起こして助けを求めました。「先生。先生」と呼びました。
この「先生」と訳されている言葉ですが、ギリシャ語で「エピスタテース」で、ルカ特有のギリシャ語です。困ったときについとっさに出てきてしまった言葉だったのです。
3.信仰
問題は嵐ではなく、弟子たちの「信仰」にありました。イエス様は風と荒波とを叱りつけ、自然界を制御されました。風が収まったばかりでなく、波も収まり凪になったと記されています。神さまの力が現された。そのことに霊の目が開かれた瞬間でもありました。
ここで弟子たちの信仰が問われます。
イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」と言われた。
(ルカ8:25)
イエス様はお叱りになりました。
マタイの福音書では「信仰の薄いもの」、ルカの福音書では「信仰のないもの」。ここでは「信仰はどこにあるのか」と問われています。
これまでイエス様は弟子たちに語ることによって、またご自身のみわざを見せることによって、様々な方法によって信仰の教育を弟子たちにされてきました。弟子たちはイエス様がみことばによって病人を癒し、死人を生き返らせ、悪霊を追い出されるのを目の当たりにしてきました。しかし弟子たちには、そのような一つ一つの体験、実地教育が活かされていませんでした。弟子たちはイエス様の風や波にまで及ぶ権威に驚きました。
ペテロたちにとっては、強風、荒れ狂う波は悪魔的なものでした。
三か月後に、私たちは、この島で冬を過ごしていた、船首にデオスクロイの飾りのある、アレキサンドリヤの船で出帆した。
(使徒28:11)
デオスクロイは「航海の守護神」です。船乗りたちはそれを船首に付けていました。テレビで見る世界中の漁船にはこのようなお守りが据え付けられている光景を良く目にすることができます。日本の漁師たちも船中に神棚を祀り、漁の安全を神々に祈っていますでしょう。アレキサンドリアの船もそうでした。ガリラヤ湖の漁師たちの舟もそうでした。海で人を守るのは神々だけであると信じられていたためです。
万軍の神、主。だれが、あなたのように力がありましょう。主よ。あなたの真実はあなたを取り囲んでいます。
あなたは海の高まりを治めておられます。その波がさかまくとき、あなたはそれを静められます。
(詩篇89:8〜9)
こう記されてあります通り、静められた風と波に、弟子たちは父なる神を覚えさせられたことであります。
弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
(ルカ8:25)
「いったいこの方はどういう方なのだろう。」というこの問いは、次の9章に行きますと
ヘロデは言った。「ヨハネなら、私が首をはねたのだ。そうしたことがうわさされているこの人は、いったいだれなのだろう。」ヘロデはイエスに会ってみようとした。
(ルカ9:9)
というヘロデの問いに。さらに
イエスは、彼らに言われた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えて言った。「神のキリストです。」
(ルカ9:20)
この教会の信仰告白に導かれます。
「イエスとは誰か」それは人間にとって重要な、究極の問いです。
弟子たちはこの嵐を通してイエス様が神であることに目が開かれていくわけです。
信仰とは、みことばによって実生活の中で、イエスがどなたであるのかを知らされていくプロセスであります。
私たちには、人生に様々な嵐があります。また今、どんな嵐が吹いているでしょうか。受験、いじめ、家族の問題。今、直面する様々な問題があることでしょう。
そういう中で、嵐の中の弟子たちのように、真剣に、切実に主に訴えたことがありますでしょうか。その時、主はどのようにお答えになられましたか。
今、直面している問題に対して真剣に祈ること。私はこのことに皆さんを励まさなければなりません。
私たちはイエス様に従い、イエス様が共にいてくださることを知りながら、なぜ人生の歩みの中に困難が訪れるということに対して、皆さんはどのような思いをお持ちでしょうか。聖書も読んでいる。教会にも来ている。それなのにどうして困難や試練に襲われるのか。
なぜでしょうか。イエス様は私たちに何を期待しておられるのでしょうか。
困難や問題を通して、私たちは初めて真剣に主を求めるようになるのです。その過程でより神さまと親しくなり、主のお取り扱いを受けて成長していく。それはピンチをチャンスに変えるものとなります。そしてイエス様の本当の御姿を見ることができるのです。