2018年5月13日 主日礼拝「パウロの回心」
本日の聖書箇所
使徒の働き9章1〜30節
説教題
「パウロの回心」
今週の聖句
彼は地に倒れて、サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
使徒の働き9章4節
訳してみましょう。
1985 The most deadly sins do not leap upon us, they creep up on us.
(最も致命的な罪は、私たちに飛びかかることはありません。それらは私たちの上に這い上がります。)
1986 A little wisdom is better than a lot of wealth.
(少しの知恵は、多くの富よりも優れています。)
説教メモ
1.サウロの回心———その原因
まず、使徒の働き9章18節をご覧ください。
するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、
食事をして元気づいた。
(使徒9:18〜19)
「目からうろこのような物が落ちて」とあります。これは日本のことわざにもなっています。今まで分からなかったことが何かをきっかけに分かるようになることです。
パウロのことを大まかに紹介しますと、この使徒パウロという人、この人ほど福音宣教者として大きな働きをした人はいないと思います。そのパウロの原点は今日学ぶダマスコでの体験でした。主イエスとの一方的な出会いであり、救いの恵みでした。救われる以前のパウロ、その時はサウロと呼ばれていましたが、ナザレ人イエスをキリストだと主張する者、当時はキリスト者、クリスチャンなどという言葉はありませんでしたので、「この道の者」と呼ばれていた人たちを赦してはならないという厳格な律法主義者でした。彼は十字架に架けられたイエスをキリスト、すなわち「メシヤ」と宣伝する人々を抹殺するためにダマスコに向かっていました。その途中で、殺されたはずのイエスが天の栄光の中から直接、御声をもって彼にご自身を啓示されました。
サウロはこれによって、自分が正しいとしてきたことが完全な間違いであり、神への反逆であったとことをここで悟るのです。この罪の故に裁かれて当然の者を救ってくださったばかりでなく、福音を宣べ伝える者として召してくださった主の深い憐れみにどれだけ感謝したことでしょうか。
救われた彼は、自分が主イエスから受けた救いの恵みに対して、喜びと感謝をもって人々に宣べ伝え始めました。彼はイエス様から受けたこの恵みに、返しても返しきれない負債感を抱きながら(ローマ1:14)、終生、主に仕えた人でした。
このように、彼を福音宣教に強く押し出した力は、主イエス・キリストの愛に少しでも応えようとする御霊による熱い思いから出たものでした。彼は福音宣教者として多くの苦難を受けるわけですが、揺らぐことなくユダヤ人にも、異邦人にも主のみことばを宣べ伝え、最後には殉教しました。彼の宣教への熱意の原点は、ダマスコでの主との救いと召しにありました。パウロの宣教者としての生涯を見る時、それはただ主イエスの恵みと愛のゆえであったことを深く覚えさせられるものです。私たちの生涯も、救いのみわざをなしてくださった主の恵みと愛とに、感謝をもって応えていく者でありたいものです。
初めてサウロ(後のパウロ)が出てくる場面は、ステパノというクリスチャン最初の殉教者が登場してくるところ、使徒の働きでは6章のところです。ステパノは6章で登場し、7章で素晴らしい弁明を語り、ユダヤ人によって石打ちの刑に処せられました。彼はもともと、使徒たちがみことばと祈りとに専念するために、教会での煩雑な仕事を引き受けるために選ばれた7人の執事のうちの一人でした(使徒6:5)。使徒の働きを執筆したルカという人は、ステパノの人物像を紹介するために「満ちる」という言葉を繰り返して用いています。「信仰と聖霊とに満ち」、「恵みと力とに満ち」。これは「神さまから注がれて満たされた」という意味です。殉教するきっかけとなったステパノは、議論と弁明において、彼がいかに旧約聖書に精通しており、イエス・キリストという存在を旧約聖書から語ることの出来る素晴らしい人物であったかが分かります。
初代教会は偉大なるリーダーを、宣教の早々に失うことになりました。しかし彼の死をきっかけに、迫害はさらに激しさを増していきました。エルサレムから各地に逃げて散っていった者たちが、その地でそれぞれが福音を宣べ伝えることにより、福音は多くの人々に届けられることとなりました。
ステパノが殉教した時、彼の服の番をしていたのがサウロでした。そのサウロに、ステパノの殉教という目の前で起こった出来事は、彼に大きな影響を与えたであろうことは想像に難くないと思います。「一つの麦が死んで多くの実を結ぶ」ように、偉大な信仰者ステパノの死が、後の世界宣教のみを結ばせました。ステパノの死の姿、またその言葉は、イエスの死と重なることです。
さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、
ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。
彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
(使徒9:1〜5)
キリスト教に大きな影響を与えたパウロ。他の表現をすれば、キリスト教の歴史を作った人物がここに登場してきました。
サウロはタルソで生まれ育ちました。当時のアテネ、アレキサンドリアと並んでローマの三大学都であったタルソで、サウロは生まれ、高度な教育を受けました。そして彼は生粋のユダヤ人であり、先祖伝来の律法を守ることにおいて厳しい教育を受けてきました。神を信じる信仰には誰にも負けない熱心さを持っていました。さらに彼は生まれながらにして「ローマ市民」でした。ローマ市民権を持つということはとても大きな特権を持っていることでした。この特権は、後に大変役立つものとなりました。
彼の度を過ぎた熱心さは、ユダヤ教の教えの反対者や、律法に逆らうと思われる者を排除しようとする過激な行動に表れていきました。主の弟子たちに対する脅かしと、殺害の意に燃えてとは、異常なようなものに見えますが、サウロにするならば神のみこころを損ねる者を迫害することは、神に対する忠誠心であり、神に喜ばれることであると考えていました。その確信をもって「この道の者」たちを迫害していました。
今の私たちの社会においても過激な信仰を持っている人たちがいます。宗教観を持っている人たちがいます。そして社会的な批判を受けますが、彼らは依然として彼らの主義主張を繰り返しています。彼らは自分たちが信じている信仰により、いくらでも無慈悲になったり残酷になったりできるのです。
イエス様はこの時、サウロに特別な光と御声とをもって現れてくださいました。「サウロ、サウロ」と二回呼びかけておられます。聖書の中で神さまが名をもって呼びかけられるとことは、何か特別な御心を示されるときです。そしてサウロはこの時、初めてイエス様と出会うわけです。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」という言葉は、サウロにどんなに大きな衝撃を与えたことでしょうか。三日間飲み食いできなかったのは、その衝撃のせいだったと思われます。
彼はイエス様が十字架に架けられて死んだことは知っていました、三日目によみがえったことはまだこの時点、クリスチャンを迫害していた時点では知りませんでした。
アナニヤという人物が登場してきます。
さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、「主よ。ここにおります。」と答えた。
すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。
彼は、アナニヤという者がはいって来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」
しかし、アナニヤはこう答えた。「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。
彼はここでも、あなたの御名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから授けられているのです。」
しかし、主はこう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。
彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」
そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」
するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、
食事をして元気づいた。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいた。
(使徒9:10〜19)
ここでアナニヤという人物がパウロの回復のために用いられていくわけです。一人のユダヤ人が神さまによって選ばれ、しかしここにしか登場しないごく普通の「この道の者」、信徒でした。主が彼に語りかけると即座に答えました。「主よ。ここにおります。」名前を呼ばれてこのように応答する人は、信仰をもって神さまの前を喜んで歩いている人だと思います。アナニヤは神さまの言われることに喜んで従っていきたいと思ってはいましたが、あまりにも常識を越えた神さまからの要求には、躊躇せずにはいられませんでした。サウロという人が何をしてきたかを知っていたからです。ほんの数日前まで、サウロは「この道の者」を執念をもって投獄していました。その男の所へ行って手を置き祈るように言われたのです。アナニヤは動揺しました。そんなアナニヤに対する主の返事は、やはり「行きなさい」でした。彼がサウロの所に行くべき理由が記されています。
サウロが祈っているということ
サウロが主の選びの器であるということ
神ご自身が彼に示したということ
アナニヤは主のことばに後押しされるように、サウロが泊まっているところを訪ね、主の言われた通りにしました。するとサウロの目からうろこのような物が落ちました。目が見えるようになりました。
2.サウロの回心———その結果
使徒の働き26章を開いてください。パウロ自身がその時のことを振り返り、もう少し詳しく語っています。
このようにして、私は祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスコへ出かけて行きますと、
その途中、正午ごろ、王よ、私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです。
私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』
私が『主よ。あなたはどなたですか。』と言いますと、主がこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
(使徒26:12〜15)
ここに、先ほどの使徒の働き9章には出てきていないことが書かれています。それは「とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」という言葉です。主イエスは、パウロを頑固な家畜に例えて語られました。イエス様の時代には家畜を調教するためにとげのついた棒を使用したようです。ここではそれをたとえに用いて語られました。
パウロは復活の主にお会いして、三日三晩目が見えなくなりましたが見えるようになりました。そこに用いられたのがアナニヤという人物でした。
19節から後半には、サウロの証言が書かれています。サウロは回心するとすぐにダマスコの弟子たちの交わりに加わりました。
エルサレム教会にサウロを紹介したのはバルナバという人物でした。
パウロはすぐに諸会堂で、「イエスは神の子である」と宣べ伝え始めました。救われたことへの純粋な感謝の表れであったのかも知れませんが、サウロは黙っていることができませんでした。「イエスこそ神の御子、救い主」。この単純なメッセージこそが福音です。福音はそんなに難しいものではないのです。福音は何かは、サウロ、後のパウロがコリント人への手紙第一15章1節から語られています。パウロはこのダマスコでの体験を何度も何度も語り、そして人々に証ししていきました。
サウロの証言を聞いた人々は、それを信じた者も信じない者、皆が一様に驚きを隠せませんでした。信じているものを捕らえるために来た者、つまりサウロが信者となり、強い説得力と確信を持ってイエスは神の子であると告白していたからです。
初代教会はステパノを失いましたが、さらに勝って優れた説教者であり伝道者であるサウロ、パウロを得ました。
サウロがよみがえりの主にお会いして変えられたように、私たち一人ひとりも色々な形でよみがえりの主に出会って変えられてきました。サウロのように劇的な、外的な変化はなかったかもしれません。しかし内的には復活の主にお会いすることができ、見ないで信じ、イエス様を救い主と受け入れることができたことはとても感謝なことです。この幸いの福音を、まだ福音を聞いたことのない人々に宣べ伝えるために、主に導きと助けを求めてまいりましょう。
来週はペンテコステで何が起こったのかというところ、そして、どのようにして異邦人の教会が始まったのかというところを見てまいりたいと思います。