2016年11月13日 主日礼拝「エリヤ(1)」
本日の聖書箇所
Ⅰ列王記16章29~17章16節
説教題
「エリヤ(1)」
今週の聖句
主は正しい者を飢えさせない。
(箴言10章3a節)
訳してみましょう
1844 Victory is sure for those who endure.
(勝利は、耐える人々に確かです。)
1845 God calls His children to unity.
(神は、一致のために神の子たちを召す。)
説教メモ
1.アッシジのフランシスコ
アッシジのフランシスコが作った賛美歌をご存知でしょうか? 今朝賛美した「賛美歌75番」。皆さんご存知でしょう。賛美歌をお持ちの方はご覧ください。これはアッシジのフランシスコが書いたものをベースに作られた賛美歌です。1182年に作られました。この年は実はフランシスコが生まれた年です。日本では何時代になるでしょう。「いいくにつくろう鎌倉幕府」1192年は鎌倉幕府が設立された年です。それと同時代となります。
彼はイタリア人で、裕福な毛織物商の家に生まれました。自分の息子が生まれたと喜んだ父は、富もあるので、息子を貴公子のように育てたいという願望がありました。ですので彼は金持ちの子息として生きることもできました。しかし途中で彼は色々な体験を通し、神さまのお取り扱いを受けて変わっていきました。
「アッシジ」というのは村の名前です。当時、隣村との戦がありました。イタリアという国が成立するのは後のことで、当時は色々な部族、村同士が争っていた、そんな時代でした。自分はお金があるので立派な鎧甲をつけて戦いに出て行きましたが、彼は負けてしまいました。そして一年間、牢獄に繋がれ、ようやく家に帰れた時にはその無理がたたって重い熱病に冒されてしまいました。段々病気が癒されていく過程において、彼は生まれながらに贅沢に成長してきた中で得た愉快な遊び友だちと縁を切り、本当に自分を満たすものは何なのかと、彼は真剣に求め始めました。神さまに祈り、一人瞑想にふけりました。そんな時、神の声を聞いたと言います。「フランシスよ、わたしの思いを知りたければ、今日まで肉の心で愛し求めてきたことを軽んじて憎みなさい。そうすれば、これまで避けていたものや嫌ってきたものに喜びと愛を見つけるでしょう」と。それから彼はツァラファテ(らい病)の人のところに行き、身体中、膿でただれている人の手を握りしめて持っていたお金を与えたばかりか、キスまでして慰めることができました。また、貧しい乞食が寒さに震えているのに出会いました。彼は着ていたものを脱いで乞食に着せてあげました。このようにして彼は、神さまが彼に告げられた新しい喜びと愛がどういうものであるのかを知ることができました。
彼は住む人もなく荒れ果てていたある会堂を建て直すようにとの神さまの声を聞きました。修繕費用を集めるために町中を歩き回り、物乞いを始めました。子どもから年寄りにまで馬鹿にされ、時には石を投げつけられたこともありました。人々は彼のそのようなあまりにも大きな変化に驚きました。父はショックを受けました。そして怒って、彼を丸裸で家から追放してしまいました。
そんな中、「小さな兄弟たち」というグループが出来てきました。彼らが言ったことは「清貧に甘える」「聖潔な生き方をする」「神に服従する」この三つを誓って、活動が広がっていきました。ある日、山道を通っていると、飢えたオオカミと出会いました。みんなが恐れおののいているのに対し、彼はオオカミに近づき言いました。「わが兄弟。私の友の者たちを苦しめてはならない。害してはならない」と優しく語りかけました。キリストの愛を伝えると、そのオオカミは飼い犬のようになってきました。また、小鳥には「わが姉妹よ。大空を翔るその翼のゆえに、主を褒め歌うように」と諭すと、小鳥たちは一斉にさえずり始めました。これは話しのような話しですが・・・。
私もクリスチャンになって初めの頃、アッシジのフランシスコのことを何かで知りました。そういう人がいたんだなぁと思ったものです。
2.エリヤ
今日は「エリヤ」について見てまいりましょう。今週と来週の2回にわたってお話ししたいと思います。
皆さんは、福澤満雄先生を覚えておられるでしょうか? かつて特別伝道集会にこれまで2回ほど来てくださいました。この先生が山形での牧会を退き、大衆伝道者となりました。現在90歳近いのではないでしょうか。あの福沢路得子さんのお父さんです。
福澤先生が神学校に行っていた頃、歯ブラシがなくなってしまいました。そのことを祈っていると、ある先輩が持ってきてくれたそうです。月謝が払えないときも、誰かも分からない人が必要なお金を送ってくれたそうです。結婚して子どもが生まれ、ある日飲ませるミルクが底をつきました。「神さま、このミルクが最後です。どうぞ愛する子にミルクを与えてください」と祈ると、翌朝プレゼントが届き、中には大きなミルク缶が入っていたそうです。このようなことは、私も神学校に行っていた時に体験しました。ですから信じられます。私が行っていた神学校は宗教法人となっていました。他の神学校はほとんど学校法人なんです。文部省の管轄です。そうすると授業料を払えそうにない人は受け入れられないのです。それではダメだということで、舟喜順一先生、羽鳥明先生らは学校法人とはせずに宗教法人の学校を設立しました。すると実際に貧しい神学生が来るわけです。でも、一生懸命祈っていると、必要は与えられました。そして無事に卒業できたという人が何人もおります。
福澤先生がまだ大衆伝道者となる前、山形で伝道したとき次のような出来事が起こりました。福澤先生が「エリヤのカラス」と呼んでいた一人のおじいさんがいました。そのおじいさんは毎週のように野菜や果物を持ってきてくださったそうです。カラスがエリヤに毎食パンと肉を運んでくれたように。今週の聖句にもあります「主は正しい者を飢えさせない。」という聖書のおことばは本当だということを知ったそうです。
皆さん、人生の中で私たちの信仰が進むとき、成長するとはどう時でしょうか。物事が順調に進んでいるときでしょうか。それともどうして良いのか分からない時でしょうか。経済的に、または人間関係、様々な悪いと思われる状況の時こそ信仰は進むのではないでしょうか。その時、自分の無力さを知り、神さまに依り頼むしかないという思いが強くなるのではないでしょうか。そういう時、信仰が成長するのだと思います。
ですから、苦しみの中、困難の中で神さまは私たちを支え、導いてくださるのです。
皆さんは宣教師館の中に入ったことがありますか? そこは以前「安茂里聖書教会」として用いられていました。その建物を建てるために、水田を埋め立てるところから自分たちの手でしました。日曜日の午後、レンタカーのトラックを借りて、犀川の河原から石や砂を何度も運びました。埋め立てた後は建物の土台を作りました。基礎を作るにも自分たちの手で、相当な苦労をしながら建て上げました。建前だけ大工さんにしてもらいました。それから私はそこに住みながら、どのくらい時間がかかったのかは分かりませんが、それこそ毎日、毎日コツコツと作り上げました。そのようにして出来た教会堂でした。
会計報告をご覧いただければお分かりになると思いますが、この教会の「牧師謝儀」は、毎月変動しています。こういった教会は珍しいと思います。教会を維持するために必要な経費をすべて支払った後、その残りが牧師謝儀となっています。例えば外部から新しい牧師を迎えようとする時、謝儀のことが聞かれると思います。私たちは「分かりません」とは言えません。私は学生の頃から今まで、ずっと貧乏学生、貧乏牧師をしてきたので、今も自分が貧乏だとは思っていません。色々な面で私は恵まれていると思っています。教会員の皆さんに恵まれています。こんな教会は他にないと思っています。一般的に教会では様々なもめ事があります。色々な意見があります。しかし、まず神さまのためにと、皆さんが協力してくだされば問題はなくなってくると思います。
私が学生の頃、家からの仕送りは一銭もなく、お昼も食べられないほどでした。すべてアルバイトで、まず学費を払い、家賃を払い。余ったものが食費となりました。ですから食べるのには困りました。安いパンだけ、ミルクだけ、缶詰だけという日も常でした。そんな貧乏生活をしてきた私ですから、貧乏生活には耐えられます。でも、すべての人が耐えられることではありません。
エリヤが活躍したのは北イスラエルで、王様の名前はアハブと言いました。
オムリは彼の先祖たちとともに眠り、サマリヤに葬られた。彼の子アハブが代わって王となった。
オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年間、イスラエルの王であった。
オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行なった。
彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。
(Ⅰ列王記16:28〜31)
北イスラエルの王というのは、大抵神さまに反して生きた罪深い王たちです。アハブもそうでした。そして、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとりました。
その当時から北イスラエルは偶像崇拝をしていました。偶像崇拝の本家本元のようなところから、イゼベルが妻として迎えられました。いよいよバアルに仕えることが北イスラエルの人たちに強制されるようになりました。真の神さまよりもバアルを拝みました。
さらに彼は、サマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。
アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行なった。
(Ⅰ列王記16:32〜33)
このような時代に、エリヤという預言者が登場しました。
続く17章から、突然のようにエリヤが登場します。
ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」
(Ⅰ列王記17:1)
2〜3年雨がまったく降らないとどういうことになるでしょう。水がない。つまり飢饉となります。それからエリヤは、アハブに追われ逃亡生活が始まりました。神さまはそのエリヤを助け、ケリテ川のほとりに身を隠させました。
「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。
そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」
幾羽かの烏が、朝になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉とを運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。
しかし、しばらくすると、その川がかれた。その地方に雨が降らなかったからである。
(Ⅰ列王記17:3〜7)
烏が運んできてくれたお陰で、しばらくは大丈夫でした。しかし、いよいよ川の水が涸れました。
すると、彼に次のような主のことばがあった。
「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」
(Ⅰ列王記17:8〜9)
シドンとは、アハブの妻イゼベルの出身地です。そこに行くように命じられました。
彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、たきぎを拾い集めているひとりのやもめがいた。そこで、彼は彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」
彼女が取りに行こうとすると、彼は彼女を呼んで言った。「一口のパンも持って来てください。」
(Ⅰ列王記17:10〜11)
彼女は驚いてしまいました。その理由が次に記されています。
彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。」
(Ⅰ列王記17:12)
彼女は飢饉と貧しさのために、今まさに息子と心中しようとしていた時でした。それを聞いたエリヤは言いました。
エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい。
(Ⅰ列王記17:13)
一見すると、エリヤはとても酷いことを要求しています。しかし、エリヤには主のことばが与えられていました。
イスラエルの神、主が、こう仰せられるからです。『主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」
(Ⅰ列王記17:14)
彼女は納得し、エリヤの言うとおりにしました。すると、エリヤが言ったとおりになりました。
彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。
エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。
(Ⅰ列王記17:15〜16)
その後、大変な事件が起こりました。彼女の息子が死んでしまったのです。
これらのことがあって後、この家の主婦の息子が病気になった。その子の病気は非常に重くなり、ついに息を引き取った。
彼女はエリヤに言った。「神の人よ。あなたはいったい私にどうしようとなさるのですか。あなたは私の罪を思い知らせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」
彼は彼女に、「あなたの息子を私によこしなさい。《と言って、その子を彼女のふところから受け取り、彼が泊まっていた屋上の部屋にかかえて上がり、その子を自分の寝台の上に横たえた。
彼は主に祈って言った。「私の神、主よ。私を世話してくれたこのやもめにさえもわざわいを下して、彼女の息子を死なせるのですか。」
そして、彼は三度、その子の上に身を伏せて、主に祈って言った。「私の神、主よ。どうか、この子のいのちをこの子のうちに返してください。」
主はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちはその子のうちに返り、その子は生き返った。
そこで、エリヤはその子を抱いて、屋上の部屋から家の中に降りて来て、その子の母親に渡した。そして、エリヤは言った。「ご覧、あなたの息子は生きている。」
(Ⅰ列王記17:17〜23)
このようにして神さまはエリヤを養ってくださいました。
私たちにはこれほどの困難なことはないかもしれません。しかし、それぞれに困難を覚える中に生活していると思います。そんな時、神さまは私たちを養ってくださいます。
主のことばを信じ、主のことばに従っていくことの訓練をさせてくださいます。
エリヤは主のことばを信じ、主のことばにその都度従っていきました。
さらに、飢饉と貧しさのために心中しようとしていたほどの極限状態にあったあの寡婦は、主のことば、エリヤのことばを信じ従いました。信じる信仰が試されました。
たとえ困難があっても、もう無理だという極限状態にまで神さまに従い続けて行く時に、最後の最後に神さまはすばらしいみわざをなされます。私たちは恵みに与ることができます。信仰者として神の偉大なご計画を知り、味わうことができます。そのことを知らずに人生を終えてしまうことはとても残念なことです。
あのヨブ記の命題は、正しい者がなぜ苦しまなければならないのか、ということです。
ヨブ記をお読みになると分かりますが、ヨブはひどい試練の中を通されました。その試練が神さまからのものであることをヨブ自身は知りませんでした。神さまを信じていた正しいヨブはなぜこのような試練にあうのかが分かりませんでした。友人たちにも因果応報の原理を突きつけられました。本当はそうではなく、正しい者も苦しみ、それに耐え抜いた時、ヨブにはそれまでの2倍の祝福を受けました。ヨブは最後まで耐え、最後まで神さまを信頼しました。神さまは、最後の最後まで試される場合があります。私たちの信仰が試される場合があります。そして最後の最後に気付かされ、そして祝福されることがままあります。そんなことを覚えたいと思います。
私たちは様々な困難な場面に遭遇しますが、あくまで信じ続ける。そうすると神さまのダイナミックなお答えを期待できるのです。