2018年7月1日 主日礼拝「ローマへ」

本日の聖書箇所

使徒の働き27〜28章

説教題

「ローマへ」

今週の聖句

恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。

使徒の働き18章9〜10節
 
 
訳してみましょう
1999 Contentment is wanting what we have.
(満足感は、私たちが持っているものを欲している。)
2000 Small light can dispel great darkness.
(小さな光は大きな暗闇を払拭することができます。)
 
 

説教メモ

つぶさに見て来たという訳ではありませんが、使徒の働きをこれまで見てまいりました。先々週はアテネ伝道、先週はエペソ伝道と来て、今週は少し飛びまして、使徒の働きの最後、27章から28章にかけてローマ伝道について見てまいりたいと思います。
パウロにはどうしてもローマに行かなければと言う思いがありました。そして私たちの目にはとても不思議に見えるパウロのローマへの導かれ方なのですが、すべてご存知の神さまにとっては不思議なことなど何一つありませんでした。そのあたりのところを見てまいりましょう。
 

1.船の難破

皆さんは長い船旅をしたことがあるでしょうか。私は3回、船で太平洋を横断したことがあります。1960年代が最初でした。その3回とも船酔いをしました。沖に出てしまうと船酔いはなくなってしまい、その船旅はとても楽しいものとなるのですが、最初の何日かは大変でした。私が乗った船は何万トンという大きな船でした。しかしこの時パウロが乗った船というのは帆船でした。風を頼りに進む船です。
パウロが言っているように、通常、冬の間は航海の専門家であるならば絶対に航海しない、そんな冬の季節でした。暴風が起こりとても危険。パウロは何度もその航海を止めるように言ったのですが、百人隊長はパウロの言うことよりも、航海士や船長たちの言うことを信用しました。ある面では仕方ないことでしょう。パウロは航海の専門家ではないのですから。航海士や船長は、冬を過ごすのに適していない港を出て、できれば何とかしてクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになりました。ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにされてしまいました。
パウロに神さまのおことばがありました。神さまの御使いが「恐れてはいけない。あなたは必ずローマ皇帝のカイザルの前に立つのだ。そして神はあなたの同船者たちをあなたにお与えになった」。そういう神さまのおことばが与えられていたので、パウロは大丈夫だと思ったのです。たとえ船が難船しようとも、自分は神さまに守られる。ローマに行ける。その確信がありました。それでパウロは他の同船者たちを励ましたのです。
ルカがこの使徒の働きの中で記述していることは、とても正確に書かれているそうです。ジェームス・スミスという30年ものヨット歴を持つ人がそのことを証言しています。スミスは地中海の天候がどのように変化するのかに熟知していました。その研究成果を「使徒パウロの航海と難船」という本にまとめています。その中でスミスは言っています。「パウロたちの航海は、地中海の東側沿岸を航海している初期の段階では、これといったことは特に起きなかった。しかしクレテ島に船を停泊させて冬を過ごすことは安全でも適切でもないことが分かる。船を出帆させたが、北東からの暴風に襲われて、絶望的な状況の中、14日あまり流されてようやくマルタ島に上陸できたのであった。」そのように書かれています。ですから、後のヨットでの航海の専門家も、この時期の船旅はすべきではないと言っています。そのような状況の中をあえて百人隊長はパウロたち一行を船に乗せて、ローマに向かったということです。
さて、ルカという人物ですが、使徒の働きには記されていませんが、使徒の働きを書いた者として、またパウロの伝道旅行に同行した者として、パウロはルカのことを「愛する医者」と呼んだり、「私の同労者」と呼びました。そのパウロの証言から分かるように、ルカは医者であり、名前からもギリシャ人であったことが分かります。ルカが書いた文章は素晴らしいギリシャ語が使われていました。ルカは「ルカの福音書」と「使徒の働き」を書きましたが、ルカの福音書では「イエス・キリストこそが主であり、救い主である」ということを主張しています。また使徒の働きにおいては、「その主が、弟子たちを用いて福音を全世界にもたらした」ことを主張しています。パウロの第2回目の伝道旅行の時、ヨーロッパに初めて渡り、ピリピ、テサロニケ、ベレヤ、アテネ、コリントと回り、トルコの西の端のエペソに来て、そこに長く滞在したことが書かれています。
しかしルカという名前は、パウロの書簡に3回出てくるだけです。
エペソに来てエペソの長老たちに別れを告げてエルサレムに向かいました。そこでの最後の勧めが使徒の働き20章に出てきます。パウロはエペソで3年間、夜も昼も涙をもって一人ひとりを訓戒してきたことを常に思い起こして欲しいと長老たちに言っています。自分は教会を神ご自身とその恵みのみことばに委ねる。なぜなら神のみことばだけが聖徒を育成し、御国を受け継がせる力であるのだから。福音宣教とは、主イエスのみことばにある通り、人の救いのために自分自身をを与え尽くすという生き方あると。そして一同は主の御前にひざまづいて祈り、パウロをエルサレムに送り出しました。パウロが去った後もエペソの教会、また他の教会は残された長老たち、リーダーたち、役員たちにその働きは移っていきました。
使徒の働きの21〜28章の間、つまり使徒の働きの最後の部分ですが、まず21章ではエルサレムへの到着と神殿での騒動が記されています。22章では神殿の群衆と最高議会サンヘドリンでのパウロの証言が書かれています。23章はその場所を総督が滞在していたカイザリヤに移し、24〜26章では、そのカイザリヤにパウロが幽閉され、軟禁されたこと、そして中央総督のペリクスやフェストという人物のことが書かれています。またアグリッパⅡ世のことも書かれています。パウロが当時の指導者たちの前で主イエスを証ししたことが分かります。
 
 

2.マルタ島上陸

今日の箇所に戻りますが、パウロに対する審問が終わり、パウロの願い通りローマに送られることとなりました。
ここからはアリスタリコ、ルカがパウロに同行しています。同行したルカによって生き生きとした文体で嵐の中のパウロの姿が描かれています。パウロは比較的寛容な扱いを受けました。鎖でつながれたりせず、比較的自由に船の中を行動できたようです。護送される普通の囚人のようにではなく、自由人のように振る舞っていたことが分かります。
非常に危険な季節にもかかわらず、航海を強行しようとする百人隊長。パウロは警告しました。パウロは正確な洞察をもって危険を察知しましたが、誰もパウロの言うことを信じず、無謀な航海に乗り出してしまいました。その結果、彼らの船はユーラクロン、日本で言う台風か突風のようなものに巻き込まれ、遭難してしまいました。航海の困難と具体的な状況が、その場に同行していたルカによってリアルに描かれています。
船は積み荷が捨てられ、船具も失ってしまいました。続く暴風雨のために進む方向を知るために必要だった太陽や月などの天体も見えず、進むべき方向も分かりませんでした。絶望的な状況に陥ってしまいました。ここでパウロは言いました。「元気を出しなさい。私たちは必ずどこかの島に打ち上げられるから」と、航海の専門家ではなく、一囚人であったパウロが皆を励まし力づけました。パウロの語る根拠は、パウロに現れた御使いの「あなたは必ずカイザルの前に立つ」という約束によるものでした。またこの同船者たちの命がパウロに委ねられたということでした。この時からパウロはグループのリーダーの立場に立つことになりました。
細かなところは避けてまいりますが、27章27節から28章10節までは、マルタ島に上陸したことが書かれています。船はパウロが言ったとおり陸に近づきました。暗礁に乗り上げることを懸念して碇を降ろし、囚人たちの逃亡を未然に防ぐと、パウロは一同に食事をとることを勧めました。彼らは14日間もの漂流の間、満足に食事をしていませんでした。14日間も船が木の葉のように波に翻弄されていた。食事もとれなかった。パウロはこれから島に上陸するにあたり、適切な判断と勧めをしました。パウロは神に感謝してパンを割いて皆に分かち合いました。
島に上陸する前に、囚人たちが泳いで逃げてしまう前に殺してしまおうという提案がありました。しかし百人隊長はこれまでのパウロの働きやその人物像を見たためか、パウロを殺させないように計らいました。そして一同は無事に島に上陸しました。彼らが流れ着いた島はマルタ島でした。今もマルタ島という名は残っています。
そしてマルタ島で約3ヶ月間過ごしました。

三か月後に、私たちは、この島で冬を過ごしていた、船首にデオスクロイの飾りのある、アレキサンドリヤの船で出帆した。
シラクサに寄港して、三日間とどまり、
そこから回って、レギオンに着いた。一日たつと、南風が吹き始めたので、二日目にはポテオリに入港した。
ここで、私たちは兄弟たちに会い、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマに到着した。
(使徒28:11〜14)

パウロたちはついにローマに辿り着こうとしていました。これまでの苦難の旅は決して無駄ではありませんでした。パウロのリーダーシップ、貢献は彼らの心に、特に百人隊長の心に深く刻まれたことでしょう。このパウロという囚人は、ただの囚人ではないと。
途中ポテオリという港で、パウロたちは囚人であったにもかかわらず、7日間の滞在が許されました。そこで兄弟たちと過ごしたとあります。これは明らかにパウロへの強い信頼の結果でした。パウロがローマに来ると聞いて、ローマからパウロに会いに来ていた人々がいて、その人たちが合流しました。そして彼らはローマに到着しました。
 
 

3.ローマに到着したパウロ

ローマに到着しましたが、パウロは囚人ではありましたが、割と穏やかな取扱いを受けました。番兵付きではありましたが、自分たちの家に住むことが許されました。パウロはローマにいたユダヤ人のおもだった人たちを家に招き、自らのことについて、イエス・キリストのことについて語りました。「ある者は信じ、ある者は信じなかった」とあります。パウロは彼らの姿勢をイザヤの預言から評価して、福音が異邦人に送られたことを宣言しました。ユダヤ人よりも異邦人の方が、福音に心が開かれていたということであり、それもまた聖霊のわざによるものでした。
ここで使徒の働きは終わります。こんなかたちで終わって良いのか、というような感じで終わっています。使徒の働きの最後にはこのようにあります。

こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、
大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。
(使徒28:30〜31)

これが最後のことばです。中途半端な終わり方をしているように見えますが、これは福音宣教がここで終わるのではなく、なお続けられ、今もなお続けられているということでしょう。聖霊の働きによって教会が前進していき、神の国が完成へと向かっていくことを表しています。
ですから、私は何度も申しておりますが、私たちが使徒の働き29章を記している、私たちの歩みが使徒の働き29章なのだということです。
私たちの行く先にはパウロ以上の困難があるかもしれません。しかし、パウロが励ました神さまの御霊は私たちをも励ましてくださり、なお宣教が進むように導いてくださっています。たとえ嵐の中でも、私たちは冷静に振る舞うことが出来ます。そして約束に従って必ず私たちが宣べ伝えることは成就します。また私たちは、私たちがある魂のために祈って来ていることは、必ずそれは成るのだという確信をもって歩み続けるのです。私たちは使徒たちを通して、宣教を通して福音を知りました。福音がどんどん進み、広がり、ヨーロッパ全土に、さらに海を越えてアメリカ大陸へ、全世界へと広がっていきました。私たちのところに届きました。そのことを感謝しましょう。宣教によって私たちは福音に接し、「イエスは主である」と告白し救われました。その私たちを通してもさらに福音は広がっていくことでしょう。私たちを通してみことばの種まきがしっかり行われていき、「イエスは主である」と告白する魂が起こされるよう、導かれてまいりましょう。使徒の働きはこの先も続いて行くのです。

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