2015年10月18日 主日礼拝「終末の前兆」

本日の聖書箇所

マタイの福音書24章3〜14節

説教題

「終末の前兆」

今週の聖句

「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」

(マタイの福音書24章14節)

訳してみましょう

1737 To be at peace with God is to clash with the world.
(神と平和であるためには、この世と衝突することです。)

1738 Man has no lack when God is his supply.
(神が人の供給源のとき、人には何の不足もありません。)

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説教メモ

にせキリスト、戦争と戦争のうわさ、ききん、地震、教会の迫害、教会内での背教と腐敗、全世界への福音のあかし。

今週から新たに「終末」について、マタイの福音書24~25章から学んでまいります。

本朝は「終末の前兆」について見てまいりましょう。

「見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。」(マタイ23:38)

イエス様はこのように預言されました。
他の訳ですと「見捨てられてしまう」と訳されています。
それを象徴するかのように、イエス様が宮から出て行こうとされた時、弟子たちは近寄ってきて、

「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」(マルコ13:1)

荘厳な神殿を指し示し、イエス様の注意を神殿に促しました。

それに対しイエス様は

「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」(マタイ24:2)

と預言されました。

イエス様はそれから毎晩ベタニヤにお泊りになり、習慣に従ってオリーブ山にたびたび登られました。

オリーブ山の西側に立つとケデロンの谷とエルサレムの都が一望できます。

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エルサレムの神殿は金箔で覆われ、それはみごとに輝いていたそうです。
そして、とても大きな石が積まれた立派な建物でした。
イエス様は「その建物が崩れる」と預言されました。
その預言は後に成就することになります。

このマタイの福音書24章前半には「世の終わりの前兆の預言」があり、聖書の中でも難解な箇所とされています。
聖書学者の間でも様々な解釈がされているところです。
ですので、本朝お話しする内容も、ひとつの解釈として聞いてください。

ここで2つのことが問われます。

  • いつそんなことが起こるのか?
  • 再臨の時、世の終わりにはどんな前兆があるのか?

マタイの福音書24章3節をご覧ください。
弟子たちが「ひそかに」イエス様のみもとに来て訊ねました。

イエス様は23章までのあいだで、パリサイ人や律法学者もいる群衆の中で様々なことを語られました。
当然、弟子たちも近くで聞いていたことでしょう。
ところが、イエス様が群衆から離れオリーブ山にすわられた時、弟子たちはひそかにイエス様のみもとに近づき、

「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」(マタイ24:3)

と、弟子である自分たちにだけにでも、その時を教えてほしいとお願いしました。

「神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。」(マタイ21:43)=神の国がユダヤ民族から取り上げられること

「ところで、王が客を見ようとしてはいって来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った。招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」(マタイ22:11-14)=最後の審判のこと

「その日、復活はないと言っているサドカイ人たちが、イエスのところに来て、質問して、言った。「先生。モーセは『もし、ある人が子のないままで死んだなら、その弟は兄の妻をめとって、兄のための子をもうけねばならない。』と言いました。ところで、私たちの間に七人兄弟がありました。長男は結婚しましたが、死んで、子がなかったので、その妻を弟に残しました。次男も三男も、七人とも同じようになりました。そして、最後に、その女も死にました。すると復活の際には、その女は七人のうちだれの妻なのでしょうか。彼らはみな、その女を妻にしたのです。」しかし、イエスは彼らに答えて言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。」(マタイ22:23-30)=復活の世界のこと

「『主は私の主に言われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」』(マタイ22:44)=敵をメシヤの足もとに置かれる終末のこと

「おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。」(マタイ23:33)=地獄の刑罰のこと

これらのことをイエス様の傍らで聞いていた弟子たちが、人のいない所で「自分たちだけにお話しください」とイエス様にひそかにお願いしています。
私たちだけでも、「その時はいつなのか」、「その時の前兆はどんなものか」をもっと詳しくお聞かせくださいということでしょう。

マタイ24章3節の終わりをご覧ください。

「あなたの来られる時世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

あなたの来られる時”や”とありますが、ある写本では「すなわち」と訳しているものもあります。
あなたの来られる時、すなわち、世の終わりには、どんな前兆があるのでしょうか?とイエス様に訊ねています。

そこでイエス様は答えられます。

「人に惑わされないように気をつけなさい。 わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こりますしかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。」(マタイ24:4-8)

さて、終末の前兆は「7つ」あることを見てまいります。

  1. 偽キリストが現れる
  2. 戦争と戦争の噂がある
  3. 飢饉がある
  4. 地震がある
  5. 教会の迫害がある
  6. 教会内で背教と腐敗がある
  7. 全世界への福音のあかしがある

イエス様はまず、「人に惑わされないように気をつけなさい。」と警告されます。
「偽のメシヤ」に、つまり「私こそ再臨のキリストである」と主張する人に惑わされないようにと私たちに注意を与えています。

「ところが、この町にシモンという人がいた。彼は以前からこの町で魔術を行なって、サマリヤの人々を驚かし、自分は偉大な者だと話していた。小さな者から大きな者に至るまで、あらゆる人々が彼に関心を抱き、「この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ。」と言っていた。」(使途8:9-10)

ここには、偽のメシヤが現れたという記述があります。
また、

「霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。」(Ⅱテサロニケ2:2)

このように、すでに紀元50年代には「主の日はすでに来た」とふれまわる者もいました。
その後も、7世紀初頭にイスラム教を起こしたモハメッドなど、多くの偽キリストが名乗りを上げました。
近年では統一教会、ものみの塔など異端が多く起こっています。
ですから、「人に惑わされないように気をつけなさい。」と警告をされています。

偽のメシヤは

  • 私の名を名乗る
  • 自分がキリストであると主張する

このような特徴があります。

イエス様の名をかたるということは、イエス様の名が知れ渡っている必要があります。
また、「私である」と言っただけで意味が通じるということは、皆に待望されている必要があります。
さらに、「時は近づいた」と言うからには、終末の時を待ち望む者の心が必要となります。

偽のメシアの出現は、聖書の知識とキリスト信仰がその場に行き渡っている証拠です。
聖書の知識とキリスト信仰が行き渡っていること。
それ自体も終末が近いという前兆となります。

さらにマタイの福音書24章8節以降に、「産みの苦しみ」と呼ばれる数々の出来事が起こります。
それは、戦争や飢饉などです。

戦争や、戦争のうわさが起こります。

かつて、平和を謳歌していたローマにも戦争の噂が流れました。
人々は恐れのあまり、仕事が手に付かない状態となりました。
アレクサンドリアではギリシャ人による暴動がおこり、およそ5万人のユダヤ人が殺されました。
また、ローマでは18カ月の間に、ネロ皇帝など4人もの皇帝が残虐な死に方をしました。
紀元70年には神殿が完全に焼き落とされ、ユダヤ国家は滅亡してしまいました。
そして、ユダヤ民族は世界各地に散り散りになってしまいました。
それから約1900年もの間、ユダヤ国家が地球上から消滅しました。

イエス様はエルサレムが崩壊する30年前にこのことを預言されました。

諸々の戦争と、諸々の戦争の噂があり、ローマ帝国の中では内乱状態がありました。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がりました。

次に飢饉がおこります。

「アガボという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。」(使徒11:28)

ここには大きな飢饉が起こったことが記されています。
私たち日本にも歴史の中でこれまで、大きな飢饉がありました。
今も世界的にみると多くの飢饉の国が存在します。

次に地震が起こります。

当時ヨーロッパの人々にとって地震はとても恐ろしいものでした。

戦争と戦争の噂と同時に、世界各地で起こる天変地異。
ルカの福音書には次のように記されています。

「戦争や暴動のことを聞いても、こわがってはいけません。それは、初めに必ず起こることです。だが、終わりは、すぐには来ません。それから、イエスは彼らに言われた。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現われます。」(ルカ21:9-11)

社会秩序が混乱し、自然の秩序も同様に混乱するのです。
これらはまだ、十分には歴史上体験していない出来事です。

社会秩序、自然秩序の混乱

「こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行なうようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。」(ローマ1:26-27)

人間が罪をおかしたゆえに、自然界は本来の神さまが創造された姿ではありません。

このことは、みなさんお分かりだと思います。

「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。」(ローマ8:18-19)

つまり、被造物たちも私たち人間が悔い改めることを望んできます。
なぜでしょうか。

「それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。」(ローマ8:18-23」

自然界の今のこの状態も、神さまが創造された本来の姿ではないのです。
私たちが目にしているこの世界は、神さまが本来創造された世界とはまったく異なります。
私たち人間がが罪を犯したゆえに、自然の秩序も変わってしまいました。
ですから、被造物も私たち人間が贖われることを切実に願っています。
戦争、飢饉、地震などの艱難は産みの苦しみの始めです。

マタイの福音書24章に戻ります。

「そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」(マタイ24:9-14)

ここでは教会に起こる前兆が書かれています。

教会が受ける迫害が起こります。
さらに教会内にも異変が起こります。
教会の大部分が躓き、裏切り、憎み合い、惑わされ、愛を冷やしてしまいます。

黙示録には「はじめの愛から離れてしまった」とあります。
新約聖書の時代から、教会の堕落、異変が語られていることが分かります。

これらは多くの人に一斉に起こる出来事として書かれています。

「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。」(Ⅱテモテ3:1-5)

堕落したクリスチャンのリストが挙げられています。
教会内に起こってくる腐敗についてのイエス様の預言です。

「全世界」とは?

世界には国連に登録されている国だけでも、およそ160~170カ国が存在しています。
聖書が言う全世界とは何でしょうか。

「まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。」(ローマ1:8)

「あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられている」とあります。
コロサイの手紙では

「この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられているのであって…」(コロサイ1:23)

福音はすべての造られたものに「宣べ伝えられた」と過去形で書かれています。

この福音の世界宣教は「証しをする」ためであって、必ずしも「信じる」ことではありません。
つまり、全世界が文字通り全員がクリスチャンになるわけではありません。
それは不可能かもしれません。
しかし、世のすべての民がキリストの証しを聞くということです。
「やがて世が終わる。悔い改めなさい。」
その御国の福音が全世界に宣べ伝えられ、すべての国民に証しされるということです。
そのことが終わってから「終わりの日が来る」という預言です。

すべての人が改心、改宗するわけではありません。
しかし、すべての人が福音を聞くのです。

それはこれまで多くの奉仕者により実現されてきました。
今では少数部族のもとにさえ、彼らの言語に訳された聖書が届けられています。

それから終わりの日が来る

マタイの福音書24章には「それから」「その時」という記述があります。
「そして、その時」終わりの日が来るのです。

それは先述のとおり、世界の人々が福音の証しを聞いた程度の時、すべての人々がクリスチャンに変えられていないかもしれないその時、突如として世の終わりがやって来るのです。

背景には教会の迫害、教会内での異変、躓き、裏切り、憎み合い・・・、それらがありながらも着実に地の果てにまで福音の証しがされていきます。

また、終末のその時は、私たちが引き寄せることのできるものでもありません。
世の終わりの時は、天の父なる神さまのみがご存じで、その手に握っておられます。
イエス様もこのようにおっしゃっています。

「その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」(マタイ23:36)

イエス様でさえご存じではないのです。

迫害も、背教も、世界伝道も、再臨の前兆であり、再臨を引き寄せるための原因ではありません
私たちの証しのための労苦は、再臨の前兆であり原因とはなりません。
再臨、終わりの時はあくまで神さまご自身が定めておられることなのです。
主権は神さまにあるのです。

私たちは今朝も主の祈りを祈りました。
「天にまします我らの父よ、願わくは御名をあがめさせたまえ、御国を来たらせたまえ・・・」

私たちは日々の祈りの中でそう祈っています。
その時、イエス様が再臨されるのです。
私たちの日々を、主の祈りとともに歩んでまいりましょう。
その時、終わりの日が突如として訪れるのです。
終わりの時は、私たちがコントロールできるものではなく、神さまが定めておられることなのですから。

特別なお知らせ

  • 北村家は10月20日より引っ越します。教会の電話番号はそのまま、北村牧師に連絡をとられる場合は、携帯にお願いします。
  • 本日の礼拝を最後に、大塚兄が神戸に戻られます。これまでの多くのご奉仕を感謝いたします。

 

来週の讃美歌

長野聖書教会の話題やお知らせをお届けします。

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